宇宙飛行修士プログラム

毎日が忙しさと共に過ぎ去ってゆく、気がつけばレーダー基地に赴任して1年になろうとしていた。
理沙は20人の部下とともに、人々が知らないところで日々格闘していた。国家元首が時々キナ臭い発言をすることもあるが、
その発言の裏付けとして、理沙たちのような縁の下で働く軍人が最前線で戦っていた。
つい2日前には、衛星破壊ミサイルの実験と称して、中国から高高度ミサイルが発射されて早期警戒衛星が1つ失われた。
実験は失敗し、ちょうど付近を飛んでいた米国の早期警戒衛星が被害を受けた、というのが公式な発表だったが、
報復攻撃発動寸前のところ、上層部の判断で中国の衛星に対する攻撃命令は中止となった。
当直が終わり、理沙は宿舎へ向かおうと車に乗った。
短い夏が終わろうとしていて、遠くに見える山々は赤や黄色に色づいていた。まもなく雪が降り始めるだろう。


シフトの都合上全員とはいかなかったが、理沙は部下含め5人ほどで、近くの湖のほとりのホテルに1泊の小旅行に出かけた。
夜はホテルの食堂で優雅に食事。しかし、常に携帯端末を肌身離さず持っているが。
「いつも気にしているのですが、少尉」
自分と2つほど年下のレーダー担当が、理沙の事を覗き込むように言った。
「私たちの任務は、これからも続くのでしょうか?」
勤務時間ではてきぱきと冷静に事を処理する彼女だったが、プライベートではどこにでもいるような女学生に見える。
こんな娘が横浜の店で働いている時にもいたな、と理沙は彼女の軽い口調を懐かしく思うことが時々あった。
「必要とされる間は、ね。それがどうかしましたか?」
立場上、理沙はそう言えばよい。
しかし、彼女はそこで終わりにはしなかった。
「私たちの日々の対応記録が、対応事例としてシステムに取り込まれているということを聞きました」
それは理沙が部下への訓示の中で、つい最近言った事だった。
「ええ、それが時代の流れだともね。でも、私たちは任務に従うだけです」
彼女の話はそこで終わりになったが、同じような危機感を持っているのは彼女だけではないと思った。
食後はラウンジで各自気楽に過ごすことにした。4人の部下が楽しく談笑しているところ、
理沙は少し離れたところで本を読んでいた。しかし、さきほどの会話が気になってしまい読んでいても頭に入らなかった。


*     *     *     *

短い秋が終わり、毎日のように雪がちらほらと舞う季節になった。
理沙は上司である少佐に呼ばれて、会議室で今後のシステム更改計画についての説明を受けた。
軍関係のシステムの高度化と、経費削減を目的として、新システムへの更改が中枢では始まっていた。
日々の対応記録を、対応事例としてシステムに取り込むのは、そのための準備のようなもので、
完了すれば、高度な判断部分を除いて、ほぼすべてがシステム化されることになり、人員は10分の1に縮小されるとの事。
理沙は何事もなかったかのように再び指令室に戻り、監視コンソールに向かっている部下たちの仕事を眺めた。


「ちょっとご相談があるのですが」
別な部下が、先行きの不安もあり、もし配属転換になるときには軍を辞めると理沙に言ってきた。
理沙は特にそのことを咎める事はしなかったが、
「辞めるのであれば、次の仕事のことを考えておいたほうがよいかと」
「それについては、いくつか考えています」
中西部の小さな街の出身の彼は、実家に戻っても仕事がなさそうなので、技術畑の自分に合っている仕事を探していて、
宇宙開発関係の職に就きたいと言った。
「それは突拍子もないわね。あてはあるのかしら?」
すると彼は、NASAと連携して開発事業を推進している、国際的な開発事業体の立ち上げに必要な技術要員の募集について話し始めた。
まだつい先月に発表されたばかりで、理沙も発表そのものについては知っていたが、
「宇宙であれば、まだまだ働ける場所がありそうだし、技術も生かせる場所があるかと考えました」
いったん彼に対しては再考するように言ったが、このような相談が今後増えるだろうと思った。
その日理沙は宿舎で、彼の言っていた、開発事業体の技術者募集に関連する技術者養成プログラムについて調べ始めた。
宇宙飛行修士プログラムと呼ばれるそれは、宇宙飛行士のような技術や体力を求めるものではないものの、
専門技術を持った技術者を広範囲に集め、実務として宇宙開発に必要な技術者を育成するというものである。
宇宙船建造に関係する技術だけでなく、生命科学、農業、建築、エネルギー、通信とシステム工学、法律、
とにかくありとあらゆるものが必要とされていた。近々の目標は地球外に人間の居住するための拠点の開設。
読めば読むほど、理沙の心の中で何か熱いものがこみあげてくるのを感じた。


定例的に、理沙は少佐に対して、日々の仕事の状況に加えて、後進の育成状況について報告することになっていた。
その日も、20人の部下について、職務の状況を冷静かつ公平な目で見つめ、今後の彼ら一人一人の成長に合わせた、
理沙なりに考えたロードマップおよび配置転換について、説明をとりあえず終えた。
「ご苦労様。今後の事については軍の計画次第ですが、同じ職務に固守するのはよくないとのあなたの考えには、私も賛同します」
そして、何人かの部下から非公式に聞いた、今後の仕事についての不安についても、名前は明らかにせずに報告した。
「不安は誰でも感じるものです。皆の生活は守りたいですが、国の方針で動いている以上はどうにもなりません」
ひととおり会話を終えたところで、理沙は自分から話を切り出したい事があったが、その場で話すことはやめた。


*     *     *     *

数日後、少佐からいつものように自宅に招待された時に、理沙は話を切り出した。
「宇宙飛行修士プログラムを、受けてみたいと思っています」
夫が不在の、少佐と2人だけの食卓の場で、少佐の表情は一瞬険しくなったが、
やがて口元に笑みが戻り、ワインをちょっと口にすると、
「それもいいかもね。で、あなたの専攻って何だったかしら?」
「士官学校の研究施設で核融合プラズマ制御の実験をしていました。4か月ほどですが」
大学生の研究にちょっと毛が生えた程度ですが、と付け加えたが、
「いいんじゃないの。それをアピールすれば道が開けるかもしれないわね」
あっさりと、特に反対されることもなく、少佐の方が理沙の話にのめり込んでいた。
自分よりも10歳以上年が若く、もし家族がいなければあなたのように自由にやりたいことをやりたかった、と、
その夜はワインをちびちびと飲みながら、初めて聞くような昔話を少佐から聞かされることになった。
しかし、理沙がそろそろ宿舎に帰ろうとした頃、少佐はきちんとけじめをつけることを忘れていなかった。
「いったん今日はあなたからの話を聞きましたが、今すぐに判断はできません」
少佐は、理沙の事を自分の後進とすることをまじめに考えていた。
つい先日も、理沙の後進についての育成状況の報告を受けた時に、いずれこのレーダー基地を理沙に任せ、
人員規模を縮小されることがあったとしても、この重大な任務をきちんと果たすようにと言われたばかりだった。
さきほどまでのほろ酔い気分が、その一言で一気に冷めた。


*     *     *     *

その後、理沙は再び職務に集中した。
宇宙飛行修士プログラムのことはいったん頭の隅に追いやり、少佐からの指示のもとで管理業務を徐々に引きうけ、
自分の仕事を部下に徐々に分散した。湖畔のホテルでの小旅行の際に今後のことをはじめて質問してきた、
まだ可愛げさが残っている彼女には、理沙の右腕としてのサブリーダー的な立場を与えた。
そして3か月の日々が流れた。
少佐に、宇宙飛行修士プログラムの事を話した夜、その翌日に、3か月後に再度話をしましょうと言われたのだが、
ちょうど3か月後に、少佐の方が話を切り出してきた。部下の育成状況についての定例報告の場での事だった。
「その後、考えはまとまりましたか?」
理沙は、その一言ですぐに彼女の思いを理解した。
「はい」
反対するつもりはないというのはわかっていた。しかし、職務上はすぐにわかりましたとは言えない。
「修士号をとって、その後の目標がはっきりしているのであれば、私は反対はしません」
理沙は、さっそくその翌日にNASAの申し込み窓口に、修士号プログラムの申し込みをした。
少佐からも、必要であれば、上司としてあなたをNASAに推薦するとの心強い言葉を貰った。


2日間の短い休暇を取得し、理沙はテキサスへ向かうことになった。
書類選考は選考基準があってないようなもので、ほぼ100%がリモート面談することになった。
本格的な大規模開発事業が動き出していて、人はいくらいても足りない状況だった。
テキサスでの直接面談は、各事業の担当者との面談となり、理沙が専攻している核エネルギー分野での担当者との面談が、
予定されていた。
面談の場で、理沙は担当者から自分が進みたいキャリアと、産業界へどのように貢献したいのかについて尋ねられた。
「士官学校の研究所で、核融合プラズマの実験装置を使ってプラズマ特性の研究をしていました」
その後、直接研究の成果を生かす場はなく、軍での任務を日々黙々とこなしていたものの、
この修士号プログラムの事を知り、改めて自分が社会貢献したい事について考えた事等、淡々と思いを述べた。
会場で、一人だけの軍の制服姿の人物に、理沙はふと気になった。
階級は中佐。面接の間なにも質問されなかったのだが、終始見つめるその視線が気になった。



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