エリシウムの悲劇

「いったいなぜ?」
ゲートの前で一組の男女が、検査官と言い合いになっていた。
「彼は何も問題はないはず。なのになぜ入場できないの?」
と言われても。。。。と検査官は困り果てた表情をしながらも、規則に従い2人に説明する。
「とにかく、確認がとれるまでは基地に入場できません」
では、なぜ出発時に問題なくて、基地に入場する時点で問題が発生したのか。
「控室でお待ちください。確認が取れたところで入場の手続きをさせていただきます」
2人は検査官に導かれながら控室に向かう。
並んで入場を待っている人々が、彼らを不審のまなざしで見つめる。


*     *     *     *

火星のエリシウム平原。
アメリカ合衆国を中心とした10か国が共同で建設したエリシウム基地。
ようやく居住用の集合住宅が完成し、恒久的に居住が可能となったその基地に、第一次の居住者が到着した。
総勢50名の男女。原子力推進の宇宙船で地球から4か月かかって到着し、
火星の開拓に夢と希望を抱いて到着した彼らは、まだ工事中でむき出しのパネルだらけの入管設備に若干失望したものの、
まぁ、この先どんどん良くなるさと、入管ゲートに向かっていった。
スキャナー装置のゲートを抜け、荷物のX線検査、そしてディスプレイ画面に向かって質問に答えるチェックシステム。
地球上の空港では毎度おなじみの装置たちを、単なる儀式のように軽い気持ちで通過してゆく。
その一組の男女も、同じようにチェックシステムの前でシステムからの簡単な質問に答える。
そこで問題は発生した。
ゲートの前を通過しようとする2人を、検査官が呼び止めた。
「すみません。ちょっとお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
管理用コンソールには、彼ら検査官だけが知っているエラーコードが表示されていた。
もう一人の検査官が念のためシステムに対して確認の質問をした。
再度その男女をチェックシステムの前に立たせて、今度は1人づつチェックを行うと、
問題があるのは男の方であるとシステムは判断した。
検査官2人は、しばらくの間コンソールに表示されているエラーコードを見て悩んでいたが、
入管作業をこのまま止めるわけにもいかず、とりあえずその2人を控室で待たせることにした。
「たぶん、何かの間違いでしょう。とりあえず管理者にも確認します」


*     *     *     *

「犯罪履歴?」
男は検査官の上司である人物から説明を受けていた。信じられないという表情。
「いやいや、疑うわけではありません。厳しい審査の末にここにいらっしゃったわけですから、問題ないとは思っています」
「当然でしょ」
女の方も言い方は丁寧ではあったが、明らかに不満のありそうな表情。
「だったら、中に入らせてください」
「いや、それはできません」
そして至急地球の犯罪者データベースを再照会していると2人に説明した。
しかし、そばに立っているさきほどの検査官は、既に照会は済んでおり、データベースの情報上問題ないことを確認していた。
その事を言いたくて喉元まで来ていたのだが、上司からは止められていた。
「照会にはもうちょっと時間がかかります。申し訳ありませんが今日は入管施設で待機していただけますか?」
女の方はゲートから入ることを許された。
ひとりとぼとぼと歩いて居住ブロックにたどりつき、自分の住む部屋に入った。
地球とほぼ同じ24時間と少々の一日の世界。窓の外はすっかり夜の風景。
半年後にはここで結婚式をあげるつもりだったのだが、火星での最初の夜は彼女にとって最悪な夜になった。


*     *     *     *

翌日、なかなか寝付けない夜を過ごし、女は朝の早い時刻に再び入管設備にやってきた。
昨日の検査官は当直時間ではなかったので、別な検査官が出迎えてくれた。
彼は入管設備の個室にいた。
個室といっても、倉庫のような小さな場所にベッドとテーブル、そして壁面ディスプレイ。
「まだ整備ができてなくて、こんな粗末な所で申し訳ありませんね」
しかし、彼はドアがロックされていて内側からは開けられないことに不満を抱いていた。
「これじゃ犯罪者扱いだ」
女は彼のことが心配で夜もまともに眠れなかったことを語った。
「なにかおかしいと思わない?」
同じ頃、昨日2人と面談した検査官の上司は、エリシウム基地の指揮官と今回の件での今後の対応について会話していた。
「なにかおかしいのですが、原因がわかりません。なぜ彼が犯罪者扱いなのか」
「いまの調査状況は?」と、指揮官。
「なぜ犯罪者と判断したのか、チェックシステムが判断に至った経緯について調査しています」
指揮官は腕組みして、しばらくの間考え、くるりと後ろを振り向いて窓の外を眺めた。
窓の外では朝日をあびて2台のトラクターが作業台車を牽引してゆくのが見えた。
「システムが判断を間違えた可能性は?」
「それを疑ってもいますが、でも、その場合はもっとややこしい事になります」
指揮官は再び検査官の上司の方に向き直り、部屋の中を見渡した。
指揮官室の壁には、一面のマルチディスプレイがあり、この基地のすべての状況を見渡すことができる。
もしなにか事が起こった場合、このディスプレイには騒乱の状態が映し出され、あっという間にこの基地は死滅する。
考えたくない事だが、どんな大事故も始まりはごくささいなトラブルだということを彼はよく知っていた。


*     *     *     *

結局のところ、その後も男は個室から解放されることはなかった。
毎日のように心配して女は彼の元に通っていたが、日を追うごとに彼は憔悴して寝不足の赤い目が痛々しかった。
「いったいどうしたいんだ?」
あせる彼の事を女がなだめても、聞く耳をもたなかった。それでも懸命になだめる。
「仮にでもいいので、居住ブロックに入れるようにしてもらえませんか。何かあった時には私が責任をとります」
何かあった時。。。。と検査官の上司に言ってしまった直後、女は事の重大さを感じたが、
本来であれば何でもないはずのことに、憤りとともにあきれたといった気持ちが混在していた。
「わかりました。今日地球側と協議して対応を考えます」
しかし、その日も結局のところ終日待たされたが、なにも進展はなかった。


*     *     *     *

地球のシステム担当者からの連絡に、指揮官は事がますます複雑になる方向に向かっているのに苛立ってきた。
チェックシステムの診断に誤りがあるのではないかとの指揮官からの問い合わせに対して、
診断には誤りはなく、別な原因があるのではと指揮官に対して疑いがかけられていた。
「こちらでもさじを投げかけています。いちおう、システム開発会社も巻き込んで調査をしていますが」
しかし、限界はある、とシステム担当者は意味深な言葉を最後に述べた。
人間には手が負えない。。。。という言葉が、指揮官の脳裏に。昔どこかで誰かが言っていたような気がする。
[システムは答えを出すが、その答えに至った経緯を説明することはできない]
人間が作ったものなのだから、人間が調べれば必ずわかるだろう。とも言われていたが、
今ではそんな発言は空しいことに聞こえる。
いったい誰が彼らの考えを理解できるのだろう?
システム担当者からの連絡は終わった。静かな指揮官室に眩しい西日が差し込んでいる。
ふと目を上げると、どの部屋にも備え付けられているモニターカメラが気になった。
今この瞬間、いったい何を見て何を考えているのだろうか。


*     *     *     *

「そんな事はやめて」
男から耳元で言われたことに対して、女は信じられないといった表情。しっかりと彼の目を見つめる。
「騒ぎを起こしたらだめよ。大丈夫。ちょっとしたトラブルよ」
いや。。。と彼はもう何も信じられないというように女の言葉を遮った。
「自分にはわかる。明らかに敵意を持っている。ならば実力行使してやる」


*     *     *     *

頭の後ろに手を組んで、システム開発会社の技術員は思い悩んでいた。
どんどんハードルが上がっていくなぁ、これじゃ開発者であってもわからない。
膨大な量のコードをしらみつぶしに調べて、
これまた膨大なテストケースをシステムに投入して、時間のかかるテストをする。
どんどんハードルがあがって、テストケースの量が増えて品質も求められるとなると、実地テストしかない。
トライアンドエラーでシステム自身に経験をさせて、自分で正しい道を選ばせるというのは、ある意味正しいように思えても、
何か事が起きた時の分析がどんどん難しくなっていくというものだ。
エリシウムで、身柄を拘束されて憔悴しているエンジニアである男と同様に、その技術員もまた憔悴していた。
憔悴してまどろんでいる中で、ぼやけてゆく天井を眺めながらふと脳裏に何かが思い浮かんだ。
彼は目覚めると、デバッグシステムに対して一つの質問をした。
[もし、彼が今の拘束状態が続いた場合、犯罪に発展する可能性は。。。。。]


*     *     *     *

エアロックの前の男女、検査官と警備アンドロイドが取り囲んでいた。
男は女の背後に立ち彼女の首元にアーミーナイフを向けていた。
「さぁ、俺の事を解放してくれ」
彼のすぐ後ろにはエアロックの開閉用のスイッチが。
キーが無ければ開かないのだが、非常用のスイッチがあり、
スイッチの保護カバーをたたき割れば、スイッチを押すことができる。
ただし今はエアロックの外は火星の薄い大気だった。
検査官の前に、ようやくやって来た指揮官が立つ
「そんな事はしないでくれ。頼む」
一触即発の状態はそのまま1時間以上も続いた。
はじめて火星に到着した時に、軽やかで幸せいっぱいの2人の姿はどこにいってしまったのか。
男は寝不足からの疲労で視線もうつろ、全身が硬直してしまっていて、手足が微妙に痙攣している。
男が女の耳元でなにかを言っている。恐怖に震えている女が小さくうなずく。
検査官2人が指揮官の脇に立ち、3人並んだ状態で徐々に男女の方に近づいてゆく。
男はエアロックの非常スイッチまであと数十センチのところまで後退した。指揮官2人がさらに接近。
ちょっとしたスキをみて、右に立っている検査官が一気に動いて女の手を掴む。
ぐいと力を入れて引きはがす。
警備アンドロイドが一気に前に出た。
アンドロイドの掴んでいる拳銃が火を放つ。あっというまに男は銃弾を数十発あびた。
しかし、外れた銃弾がエアロックにも当たり、傷ついたエアロックから室内の空気が漏れ始める。
あわてて検査官と指揮官は後退する。
泣き叫ぶ女をなんとか無理やり抱えて通路途中のシャッターのところまで来ると、シャッターを閉めた。
閉めている途中でエアロックは吹き飛び、男と警備アンドロイドが室外に勢いよく吸い出された。
非常アラートが全館に響き渡ったが、やがておさまった。
あとには何事もなかったような不気味な静けさ。



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