誤解が解ける

1年半ぶりでの職場復帰の日。理沙は自分を見つめる周囲の目を気にしながらもプロジェクトのオフィスに入った。
メンバーみんなが理沙を注目する。ヴェラが最初に歩み寄ってきた。固く手を握る。
「無事に戻れて、おめでとう」
彼女は以前と全く変わりなかった。彼女の背後からリーダーがやってきた。
「無事に復帰できて、よかった。待っていたよ」
「ありがとうございます」
理沙がリーダーのことを見つめると、彼は微妙に視線をそらせた。
2人のその様子を、ヴェラはしっかりと見ていた。


*     *     *     *

医療センターでのリハビリ期間中、ヴェラとは何度か顔を合わせる事はあったので、仕事の進捗については彼女から聞いていた。
理沙の穴埋めとしてヴェラが核融合推進システムのタスクを管理し、タスクは滞りなく進んでいた。
復帰最初の日の午前中は、ヴェラからの仕事の引継ぎと、関係各社への復帰の挨拶で終わってしまった。
ヴェラと2人で、昼食を食べ、午後は特に急ぎの用事もなく、会議の予定もなかったので2人でラウンジで過ごした。
「いろいろあったようね」
理沙が話を切り出すと、
「いろいろとあったよ。本当に大変だった」
自分勝手な行動から、こんな結果になってしまって、彼女には本当に済まないと思った。
しかし、ヴェラはうつむき加減の理沙を見て、
「あ、別に理沙の事を言っているんじゃない。気にしないで」
目の前で手を振って、無理やりの笑みを見せた。
理沙が原因で起きた事故ではない事は、すでに事故当時の原因究明で判明していた。
NASAがちょうど空いていたシャトルに乗ることを理沙に提案し、その提案を受け入れて理沙はシャトルに乗っただけであり、
別に理沙には落ち度はない。問題は、その後発覚したシャトルの自動操縦システムの判断の不具合だった。
当時、空港周囲の気象状況は非常に不安定であり、いつマイクロバーストが発生してもおかしくない状況だったにもかかわらず、
操縦システムは大丈夫であると判断し、着陸を強行し、突然に発生したマイクロバーストに対応できなかった。
「あまり、自分のことを責めなくてもいいんだよ」
彼女の心配そうに見つめるその目を見ているうちに、理沙は彼女が本当に自分のことを心配してくれていることがわかってきた。
かつて、リーダーと彼女が口論しているところを見るたびに、なぜかリーダーから彼女を引き離したい、
そんな気持ちに駆られることもあり、いずれはヴェラとも口論になるだろうと思ったが、その日がやって来ることはなかった。
「それよりも、理沙」
ヴェラは淡々と話し始めた。心の中に重くのしかかっているものを、ゆっくりと吐き出すように。


「そんな事をしていいと思う?」
ヴェラは言葉を選びながら、慎重にリーダーに言った。「まぁ、何をするのも自由でしょうけど」
「それほど仕事に影響する事かな?」
リーダーはなんとか波風を立てたくないというように見えた。
「影響するも何も、プロジェクトの進行と判断に影響が」
「公私わきまえていればいいんだよ」
話題をどうにかして仕事の事に戻したいリーダーに対して、事の深層部分をえぐるように追及するヴェラ。
会話はヒートアップするばかりで、ヴェラからの攻撃に対して、ただ応戦するだけのリーダー。
帰宅しようとしている理沙が、ガラス越しに口論する2人を見ていたが、当の2人は全く気づかなかった。
「とにかく、わきまえた行動をして欲しいと思います。リーダー、あの人との付き合いは止めた方がいいです」
リーダーは、何か言いかけたところで、やめた。そしてイスに座る。
ヴェラも対面の席に座った。
「あなたが言うように、誰とつき合うかというのは自由だと思います。でも、利権がからむとね」
名前はあえて出さなかったものの、リーダーは誰の事を言っているのか理解した。
3か月前のその日、制御システムの構築に関する打ち合わせの場で、リーダーのちょうど正面にその女性は座り、
ヴェラはリーダーのすぐ右隣に座っていた。
会議は協力会社の責任者と、リーダーの2人が中心だったが、なぜかリーダーはその女性の方に時々視線を向け、
反応してその女性もなぜかリーダーを熱い視線で見つめている。
会議が終わると、その女性は協力会社の責任者といっしょに、しばらくの間リーダーと会議室で会話をしていた。
ヴェラは2人が会話するその様子を、少し離れたところからしばらく見ていたが、心の奥底ではアラートが鳴っていた。
「あの会社には、取引上問題があると思っています。でも、なんとか気に入られたいんでしょうね」
そして、ヴェラの悪い予想は的中した。


「あの人は、彼女に骨抜きにされたのよ」
事の経緯を話し終えて、ヴェラの表情はすっかり吹っ切れているように見えた。
当の本人は、目立たないようにしたつもりだったのが、最初はちょっと事務所のラウンジで会う程度だったのが、
一緒に食事をする機会が徐々に増え、どうにも抜け出せないところまで追い込まれてしまった。
ちょうど、理沙がクラビウス基地で核融合推進システムのテストに立ち合っていた時だった。
しかし、ヴェラは時々の理沙との会話の際にも、その事に触れる事は一切なかった。
理沙同様に、ヴェラもまたリーダーの事を思い、お互いにリーダーを奪われたくないと警戒していた。
「もう終わったよ」
そしてうなだれて、そのまま黙ってしまった。
「そうだよね」
理沙は、ヴェラの手をそっと握った。
ヴェラの目元が少しだけ涙でにじんでいた。「別にいいじゃない。リーダーの事は」
これでよかったんだ、と理沙は思った。お互いに好きにしていた男を奪われて、互いに戦友であったことをちょうど今知った。
お互いに争っていたところを、思いもかけないところからやって来た敵にあっさりと奪われた。
心から打ち解けてヴェラと話が出来て良かったと、理沙は思った。胸につかえていたものが解けてすっきりした。
「そうだよね、あんな奴」
ただし、リーダーとのあの日の夜の事だけは内緒にしておこう、と理沙は思った。


*     *     *     *

「無事に職場復帰できました」
軍のオフィスで、上司である中佐と直接会うのは2年ぶり。理沙は敬礼し、そして深く頭を下げた。
「なんとお礼を申し上げたらよいか」
いやいや、とにかく元気でなにより、と中佐はいつものように笑顔で理沙の事を迎えてくれた。
徐々に分かってきたことだが、事故後の対応、特にサイボーグ化手術の件に関しては中佐が先頭に立って対応してくれたこと。
医療技術の発展のための実験台になってもいいから、とにかく理沙を元のように仕事ができる体にして欲しい、
そんな中佐の熱意がなかったら、おそらく理沙は今この場にはいなかったかもしれない。
「体の方はどうかな?」
「ええ、リハビリはまだ続けています。時々体が思うように動かない時がありますが、地道に訓練するしかないそうです」
手術に至るまでの経緯、軍と医療センターの間で調整に奔走したバックヤードの人々、費用についての取り決め等、
ひとつの巨大プロジェクトに匹敵するほどの対応が、理沙のために行われていた。
「これからは、皆様に恩返しをしたいと思っています」
中佐は頷いた。2人はソファに座り、しばらくの間新型宇宙船のプロジェクトのことで雑談した。
「ただ、私の体の今の状況では、今まで通りの仕事は無理かと」
「それは私も気にしていた。なので事業団に近々申し入れをしようかと思っている」
プロジェクトのメンバーの調整について、中佐は話を始めた。
新型宇宙船の建造プロジェクトと並行して、新しい設計思想のもとに作られた制御システムの実証実験が始まり、
そのための人員調整が行われるとの事。人選はほぼ決まっていて、ヴェラが候補にあがっていた。
「そのタスクに、理沙にも加わってもらいたいと思っている」
理沙はすぐに了解した。ちょうどいいタイミングだと思った。しかも、ヴェラと一緒であればなおさらである。
「来月にはプロジェクトの増員が行われて、組織体制が変わる。そして」
ひと呼吸おいて、中佐は言った。
「私の立場も変わる」


*     *     *     *

中核メンバーの増員が決まり、ヴェラと理沙は制御システムの開発タスクに異動が決まり、引継ぎが始まった。
リーダーは引き続き新型宇宙船のタスク全体のリーダーとしてとどまることになっていた。
理沙はヴェラと共同で、新担当者への引継ぎを始めた。ちょうど新型宇宙船の建造が始まろうとしていたところだったので、
引継ぎのタイミングとしてはちょうどよかった。四苦八苦しながらのシステム設計や、推進システムの実証実験はすべて完了し、
あとは世界各国で組み立てられていたコンポーネントを、地球/月L1の作業プラットフォームに運んで組み立てるだけである。
テキサスを離れ、東海岸の研究センターへと向かう前日、理沙とヴェラはリーダーに最後の挨拶をした。
「リーダー、いろいろとありましたが、お体には気をつけて」と、ヴェラ。
理沙もまた、彼の手を握り、そして一言。
「リーダー、ごきげんよう」



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