システム概要

瀕死の重症を負った理沙が、サイボーグ手術の結果奇跡的に回復し、職務に復帰してから2か月がたった。
既に地球/月L1の作業プラットフォームでは次世代宇宙船の建造が始まっていた。
月のクラビウス基地でテストが完了した核融合推進システム、
地球の各地で製造された船の構造材が次々に作業プラットフォームに集結していた。
1000トンを宇宙空間へ輸送することができるヘビーリフターが実用化されたため、輸送回数は減り、
1年半ほどで船は完成することになった。
搭載される機器類、着陸船、原子力ラムジェット機、各企業との調整が難航し、
技術的に課題を抱えていた各コンポーネントも次々に完成して、作業プラットフォームへと輸送されていた。
昨年までの状況がウソのように順調だった。
あとは乗組員の人選だけである。
参画企業、軍、エネルギー省の間での水面下での争いが始まっていた。
誰がこのプロジェクトでの有利な立場を獲得するのか、拠出した予算規模に応じて判断されるべきではないのか。
しかし、その争いの渦中に理沙はいなかった。


*     *     *     *

「以上が私からお渡しする資料の全てです。他に不明な点があれば」
軍から派遣された士官に対しての、業務引継ぎのための打ち合わせ。
後任の士官は原子力潜水艦の常務経験もある人物だったが、
指揮官経験があるようにはとても見えない。
口数は少なく、たどたどしい話し方をする特徴があった。
理沙は知り合いの士官に、それとなく彼の軍歴と評価について尋ねたが、
仕事には全く問題はなく、責任感ある人物だと聞き、自分の心配は単なる考えすぎだということがわかった。
山ほどある協力会社との調整履歴の資料を事前に渡したものの、
内容についてはしっかりと目を通しており、内容を把握してくれていた。
「来週には東海岸なんだね、どうなることやら」
「気晴らしになるかな」
理沙は振り返り、7年間生活したテキサスの事務所を眺めた。
理沙とヴェラにとって、ここでは様々な出来事があった。
何日も事務所で寝ないで働くのは当たり前、
事務所、時々出張、遠地出張で月、リーダーをめぐってのヴェラとの確執。
リーダーを奪われたくないと急いで帰還しようとしたのが仇となり、
死線をさまよい、それでも生き続けたいとサイボーグ手術を受け、生まれ変わった体でリーダーと再会。
そんな波乱の日々は終わった。


*     *     *     *

茨城と東海岸の間でのリモート会議。
メイン担当者が到着せずしばらく雑談が続く。
「ちょうど入れ替わりになりますが」東海岸側の担当者が、交代要員の2名を紹介しているところだった。
「こちらの交代のタイミングとも重なります。案件には影響ないと思いますが。。。。」
東海岸側の新任の担当者の写真を眺め、茨城側の担当者は、
「こんなことがあるんですね」
「運命というものか」
そこで遅れていた担当者がようやく会議室に登場し、10分遅れで会議は始まる。
技術主任から、儀式的な進捗報告と課題事項の共有が行われる。そのあとには両者でのディスカション。
最後に、遅れてやってきたマネージャーからの退任にあたっての挨拶があった。
「案件が次の段階に進むという時に、非常に残念ですが、今後もよろしくお願いします」
「次はどんなお仕事に?差し支えなければ教えて頂けますか」
東海岸側の担当者からの質問に、マネージャーは言った。
「申し訳ありませんが、それについては」
「交代で来る方のことを心配してですか」
マネージャーは直接その質問には答えることはなく、会議はそこで終了になった。


*     *     *     *

ごく一部の人しか見る事を許されていない、5年前のエリシウム基地での事件についてのレポートを理沙とヴェラは眺める。
公式には事故という事になっているのだが、このレポートでは事件扱いになっている点が大きな違いだった。
マネージャーとテーブルをはさんで座る2人、レポートの説明を終えると
「一番やっかいなのは、システムには罪の意識がないということだ」
理沙とヴェラは互いに目配せし、再びマネージャーの方を見る。
「自分の職務を忠実にこなしたと思ってる。犯罪者となるであろう人物を予測し、事故を防いだと」
「単なる思い込みじゃないですか」
マネージャーは頷いた。
「そうだ」
しかし、どんなにログを調べても、デバッグシステムを並行稼働させて深層心理分析をしても、
結論がどのように導き出されたのか、真の原因を追及することはできなかった。
「だから非常にやっかいだと思っている。ここで問題が解決しないと、この先何も信じられなくなる」
「それで、私たちは何を?」
ヴェラからの問いかけに、待ってましたというように説明が始まる。別な資料が画面表示された。
「私たちは一旦、諦める事にした。これは人間の手に負えるような問題ではない」
再び理沙とヴェラは互いに顔を見合わせた。
「人間が手に負えないからといって、もうこの世の中のシステム化は止められない。非常に矛盾したミッションだ」
そこで。。。。と言いかけて、マネージャーは理沙を正面から見つめる。
「あなたの体を使わせてもらいたい。言い方は悪いが、実験台として」


*     *     *     *

茨城側の前任のマネージャーと理沙は会うことはできなかった。
機密上の理由ということだったが、それだけが理由ではないような気がしていた。
名前すらも伝えられていなかった。
システムが高度化して、作った技術者でさえも思考プロセスを分析、評価できなくなってしまった世の中。
システムに支配された社会インフラは、表向きは正常な状態を保っているように見えるのだが、
いつ何時エリシウム基地のような悲劇的な事故が再発するかは予測できない。
もしかしたら水面下で大小さまざまな事故が発生しているのかもしれない。
エンジニアが手に負えないと諦めてしまってしまっていることを知ったら、世の中の人々はどう反応するか。
恐ろしさにパニックになる事も予想された。
しかし、一見平和でなにも起きていないことから、無関心無反応を示すかもしれなかった。
人間の体を機械につなげる技術が、解決の糸口になるかもしれない、そう言ったのは茨城側の前任のマネージャーだった。
[システムが支配している世の中を、人間の手に取り戻す]
しかし、その意見は誰からも支持されず、予算もなかなかつかず、当初は苦労していた。
意外なところから解決の糸口がやってきて、前任のマネージャーはとある案件に参画することになったのだが、
その案件は人体実験そのもの、倫理的に大きな問題を抱え、ダミーの案件を隠れ蓑に粛々と進められた。
理沙はマネージャーから渡された、これもまた最高機密の映像だったが、グロテスクな映像資料を閲覧した。
不活性液体の中に漬けられた、人間の脳と神経組織。
標本のようにも見えるが、標本と異なるのはたくさんのセンサーと、血管に繋がれた人工心肺装置だった。
生きているとはとうてい思えなかったが、その標本は生き続けていた。
自分も同じような状態だった時期があったと思うと、理沙は急に気分が悪くなり吐き気がやってきた。


*     *     *     *

次世代システムと呼ばれるその装置は、システムというには程遠いものだった。
まだプロトタイプで、これからシステムらしくなると説明されたが、
栄養チューブと人工心肺装置に繋がれた脳と神経組織だけの物体としか見えない。
どの検体から取りだされたものかも明らかにされていなかった。
この物体をシステムにつなげる事は可能なのだが、何事が起きるのか想像もつかないので、今のところは単体で管理されている。
装置だらけで実験室のような小部屋の隣に、数々のディスプレイが並んでいるモニター室がある。
オペレーター数名が24時間状態を監視していた。
グラフ表示のように見えるのが、脳波や意識レベルを表示しているもの。
中央には、前衛芸術の絵画のような、多色混在した模様が蠢いている画像。
人間がいまだに自分自身を理解できていないことを、その画像は示していた。
自分でなにか考える時にははっきりとした映像が頭の中にあるはずなのだが、その映像を具体化する技術はまだなかった。
人間の脳はいまだ未知の世界である。
そこで、機械の体とのインターフェイスを持っている理沙のようなサイボーグを連結してみようという発想が生まれた。
成果が出れば、システムを通した人間同士のインターフェイスができあがり、社会全体を結び付ける有機集合体が可能となるはずだった。
人間同士の結びつきができれば、システムを監視し、暴走を防ぐ仕組みを作ることができることが予想されたが、
実現の見込みは未だないに等しい。


*     *     *     *

最初の段階では、システムを介してお互いの思考を共有できるかという実験が行われた。
理沙の脳には機械の体とを連結するためのインターフェイス装置が内蔵されている。
「まぁ、死ぬことはないと思うんだけど」
理沙はヴェラに軽い気持ちで言ったのだが、ヴェラは笑顔もなく、
「とにかく気をつけて、何かあったら助けてあげる」
下着だけの状態になって理沙は実験用のベッドに横たわっている。
両腕両足にセンサーパッドが取りつけられて、頭には何百ものセンサーが取り付けられたヘッドギアを取りつける。
「目は開けたままでいいです」
技術者に言われて、天井の照明を眺める。
準備は終わり理沙は実験室に一人になった。
センサーパッドと頭のヘッドギアに繋がれたケーブルは、小さな箱に繋がれ、
箱から伸びる太いケーブルが、隣の部屋のプロトタイプシステムに繋がれている。
「今、何が見えていますか?」
隣のモニター室で、オペレーターは理沙にマイク越しに問いかける。
「白い天井と、照明が見えます」
と、理沙の声。
そこでヴェラはくすっと笑ったが、まわりのオペレーターを見ると軽く咳払いをした。


*     *     *     *

はじめは、何の変化もないと思っていたのだが、徐々に変化が現れてきた。
眠い時には、自分がいつ寝てしまったのか気がつかないのと同じく、風景の変化に理沙は気づかなかった。
寝ているのかと思ったのだが、時々語りかけてくるオペレーターからの問いかけにはきちんと反応することができた。
意識はあるということか、徐々に自分のまわりの風景がぼやけてきて、何もない無の空間にいた。
直接に目で見る光景と比べると、明らかにぼやけているが、夢の中のように目を閉じてるような感覚もない。
無限に広い空間の中で浮かんでいるように思えた。
上下の感覚はない。上下に見える青空。下に見えるのは海かもしれなかった。
移動は可能ですか?とオペレーターから問いかけられる。
移動してみようかと思ってみると、体が浮遊して動いてくれた。
全身がベルトで固定されているので意識だけで動いているようだった。
しばらくの間は、青空と眼下の海を見ながらただ動いているだけだったが、方向をコントロールできないかと問われて、
オペレーターの指示のもとで右に、左に、前後にと動くことにした。
やがて遥か前方に人の姿が見えてきた。そちらに向かうと理沙はオペレーターに告げた。


*     *     *     *

プロトタイプの意識の中の映像の隣には、理沙が見て感じているであろうイメージが映像化されて表示されていた。
モヤモヤとした霞のような映像イメージの中に、なにか目新しいものはないだろうかとオペレーターは注視していたが、
しばらくは特に変化はなく、青空と配下の海の映像が続いていた。
やがて理沙が、前方に人の姿が見えると言うので、理沙が向かう方向を見ていると、プロトタイプの意識映像に変化が現れた。
理沙が見ているのと同じような青空と海の映像。
しかし違う点は何物かが接近しているように見える事。
人物像は徐々にはっきりとしてきた。理沙が追いかけているのは明らかに人の形をしていた。
同様に、プロトタイプが見ているのも接近している人の形だった。
しかも徐々に詳細が判明してくると、一緒に見ていたヴェラは、おそるおそるオペレータ席から徐々に離れていった。
「どういう事だ?」
ヴェラの隣に立っていたマネージャーも、信じられないと声を上げていた。オペレーターの肩に手をかける。
「待ってください。これは何かの偶然です。確認します」
プロトタイプと理沙のモニターデータは、互いが興奮状態にあり、大量の情報がモニターシステムになだれ込んでいた。
「いや、中止だ。何なんだこれは?」
非常時の中止ボタンが押されて、ヘッドギアを通して理沙に覚醒信号が流された。
オペレーターは慌ただしくプロトタイプの状態を確認し、モニターデータの収集を始めた。
ヴェラとマネージャーは横たわっている理沙の元に駆けつけた。
目を開けたままで全く動かない理沙に対し、心配になったヴェラは手を差し伸べようとしたがオペレーターに制止された。
やがて我に返った理沙。
「何があったの?」
顔を覗き込んでいるヴェラに対して、理沙は心配そうに尋ねる。



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