替え玉

新型宇宙船が完成し、「エンデヴァー」と命名された。
木星と土星を長期間探査し、深宇宙開発をさらに加速させることが期待され、また「ディスカバリー」計画での
数々の反省も込められたため、宇宙船は過剰なまでのスペック、かつ多数の装備を搭載した巨大なものとなった。
全長は200メートル以上、史上最大の宇宙船となった。
地球/月L1の作業プラットフォームでは盛大な完成式典が行われ、合衆国大統領は人類の夢と希望を込めた演説をした。
ただし、肝心の乗組員については公表されることはなかった。訓練中であること、また国の安全保障上の理由等もあり、
世間の目からは隠された。さらに、木星と土星の覇権、国家間の冷たい争いもその理由のひとつである。


*     *     *     *

研究所で次世代システムの研究に集中していた、とある週末の午後、理沙は突然に事業団本部から呼び出された。
上司である、支援輸送部隊の中佐が、深宇宙開発タスクの担当に加わることになったのは、4か月ほど前の事。
深宇宙開発のタスクに参画することで、宇宙船の推進システムへの知見を深め、それにともなう輸送システムの構築が、
太陽系内の兵站の構築に生かせることになり、結果として軍の太陽系内への進出を加速することになる。
それが軍としての狙いだった。しかし事の始まりは、理沙がかつて作成した太陽系内のロジスティック構想がもとになっていたが。
「進捗はどうだね?」
事業団オフィスの中で、ただ一人軍服姿の中佐は常に浮いていたが、理沙が到着して彼は少々ほっとしているようだった。
「はい、順調です。設計のためのモデルデータを構築するのが少々単調ですが」
2人はソファに向かい合って座り、中佐は理沙にデータシートを手渡した。
「エンデヴァー」乗組員の名簿だった。
搭乗するのは12名、しかし、不測の事態に備えて正/副の搭乗員を確保し、合計で24名。
新型宇宙船建造プロジェクトに参画している、30近い国から搭乗員の募集が行われ、選抜された結果24人が決定したのがつい先月。
1年後の出発に向けて、日々訓練が行われていたが、搭乗員の氏名の公表は出発直前まで行われないことが内々で決められていた。
搭乗員のデータひとりひとりに理沙は目を通した。
「何か、気がついたことは?」
中佐は口元に笑みを浮かべていた。
理沙は、24人のうちのまだ半分まで目を通したところだった。中佐から言われて、さらに気になるところはないかと、
経歴等細かく見ていたところで、理沙は小さく声をあげた。
データシートから目を上げて、理沙は中佐の目をしっかりと見つめた。「まさか、この人」
中佐は頷いた。
「自分から志願して、選考試験をきちんとパスしたのだから、別におかしなところはないのだが」
理沙はデータシートをテーブルの上に置き、プロフィール情報のページを開いた。
メリッサというその女性は、月や火星での生活の経験もある、事業団の中では有能な職員の一人である。
月や火星の基地での生活環境の改善のための、数々の技術的功績があり、7年前には新しい水/空気/有機物リサイクルのための
改良型システムの構築のために、火星のエリシウム基地に派遣されたこともあった。
「例の事故、ですね」
研究所で閲覧した、次世代システムの開発のきっかけとなった、エリシウム基地での事故のレポートの中で、
理沙は彼女の名前を見たことがあり、その事が記憶に強く残っていた。
「一時期は、リハビリもかねていったん職を離れていたこともあった。その彼女が今回志願している」


エリシウム基地での悲劇的な事故の後、その女性は急遽地球へ帰還することになった。
いずれ近いうちに結婚することも決まっていた、同僚の死を目の前で見て、精神的ショックからしばらくの間彼女は、
仕事に復帰するのは難しいと考えられていた。
しかし、丁寧なカウンセリングにより、徐々に平常心を取り戻し、1年後には職場に復帰。
職場の中では事故の事について緘口令が敷かれ、そんな中で彼女は何事もなかったかのように仕事に集中し、
新型宇宙船搭乗員の募集が始まると、真っ先に彼女は志願した。
何事もなかったかのように日々振舞う彼女、しかし、その心の中は誰にもわからない。


「憶測で物事を判断してはいけないのだが」
中佐はプロフィールを見ながら、彼女の事故後の経過についてのコメントを終えると、
「なにがしかの思惑もあって、このプロジェクトに志願したのではないかと」
「それは、考えすぎだと思います」理沙は遮った。
中佐はソファにゆったりと座り、それでも理沙の事をしっかりと見つめると、
「他人からの後押しがあったのかもしれない。例えば」
交友関係を洗い出すのは難しいことではない。中佐の話は、彼女の交友関係から、その先につながる人物、
さらには企業、またはその背後の国家組織にまで発展していった。
「中国も、本気でやろうとしている。早ければ来年あたりにも」
「彼女が、中国に何かのかかわりがあると?」
中佐は理沙の問いかけには答えなかった。その代わりに、
「理沙、彼女に接近して、問題がないか調べてくれ。それと、」
中佐のその後の発言に、理沙は少々戸惑った。


*     *     *     *

翌日には研究所に戻り、ヴェラからは何があったのかと尋ねられたが、彼女にはそれとなくぼかした返事をした。
しかし中佐のその後の行動は速かった。研究所に戻って2日後には、次世代システムのリーダーに連絡が入り、
理沙を今月末をもって研究タスクから外すことが決まった。
事業団側からの急な動きに、ヴェラがリーダーに詰め寄ることもあったが、
理沙は彼女に、上司である中佐に事業団本部に呼び出されたことを白状し、少々の禍根は残すことになったが、
ヴェラに対して、理沙が今までまとめた研究レポートの引継ぎの手続きが始まった。
「いろいろと言えない事もあるわけよ」
出発の日、研究所の正門の前で、理沙はヴェラの手を握りしめた。
「いや、別に気にしていないよ。理沙の任務だからね」
ヴェラから言われて、理沙は彼女に対する思いがさらに強くこみあげてきた。
「また連絡ちょうだい」
ヴェラはそこで、おそらく今までで初めてのことだったが、理沙に対して敬礼をした。


*     *     *     *

事業団本部に戻ると、理沙はさっそく中佐直下で働くことになった。
表向きは、研究所に異動になる今から1年半前までかかわっていた、「エンデヴァー」の推進システムの地上での支援スタッフの扱いだったが、
徐々に「エンデヴァー」搭乗員に近いところで働くことになり、とうとう直接24人と会う日がやってきた。
理沙の方から彼らに直接自己紹介することはなく、単なる推進システムの支援スタッフとして黙々と管制室で働き、
時々管制室にやってくる彼らを遠目に眺め、彼らの行動をチェックしていた。
その日は、ある日突然にやってきた。
彼女は、事業団本部オフィスの廊下で、数名の同僚と一緒にコーヒーカップを手にしながら雑談していた。
理沙もまた、プロジェクトの協力会社の社員と、会話しながら廊下を歩いていたが、目の前にいる彼女をそれとなく眺めながらも、
彼女の会話に聞き耳をたてていた。そしてあと数メートルというところまで接近したところで、ほんの一瞬視線が合った。


*     *     *     *

「理沙に、ちょっとやってもらいたい事がある」
理沙から中佐に対する毎日の報告の場で、唐突に中佐は言った。
「搭乗員の予備メンバーとして、理沙を登録することにした」
中佐のいつものやり方に、理沙も次にはどう手を出してくるか予測はしているものの、中佐はさらに先を行っていた。
「既に搭乗員が決まっているところで、そんな事は可能なのでしょうか?」
しかし、そんな発言を予測していたように、中佐は言った。
「搭乗員名簿が公表されていない今だから、できるわけだ」
まだ理沙が搭乗することが決まったわけではない。正/副搭乗員の、そのまた予備の要員という無理やり作ったような立場で、
いったい何ができるのか。
しかし理沙には、何かあらかじめ決められたレールの上を着々と進んでいるような、そんな予感がしていた。
「ああ、それと」
ソファから立ち上がり、部屋を出ていこうとするところで、中佐はこう言い残した。
「船長だけには、私から直接伝えようとと思っている」



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