「エンデヴァー」2度目の出発

「エンデヴァー」元船長の退職の日まであと数日。
理沙が発起人となり、船長の送別会が開催されることになった。
12名の元乗組員のうち、すでに3人は事業団を去っており、
海外に移住した者含め、一同はテキサスの事業団本部近くの馴染みの焼肉レストランに集合した。
「まずは」
理沙はテーブルについた皆を見渡し、
「ご結婚、ではなくてご婚約おめでとうございます」
拍手のあと、理沙はテーブル中央の元船長とメリッサ2人にプレゼントを手渡した。
「開けていいのかな?」
包みを開けようとするメリッサのことを理沙は制止した。
「自宅に戻った時のお楽しみということで」
元探査機担当の意味深な笑みを見て、メリッサは何かを感じたのか、それ以上尋ねる事はなかった。
婚約したとはいえ、式をいつあげるかということはまだ未定。
そのうえ、事業団退職後の仕事もまだ決まっていないということで、
前途多難な生活になることが予想されたが、元船長はあまり気にしていないようである。
「今までもそうだったのですが、まぁ、何とかなるんじゃないのかというのが私の予想で」
あんがいそんなものだろうと、理沙は思った。
全体を俯瞰し、ゴールをしっかりと定めたら、地道にそのゴールに向けて進む。
時には挫折しそうになることはあっても、あきらめなかればゴールに必ず到着できる。彼はそんな男なのだろう。
あとは、メリッサがそんな彼の性格にどこまでつき合っていけるのか、その事を理沙は心配した。


*     *     *     *

「エンデヴァー」は、探査ミッションから帰還すると、地球/月L1の作業プラットフォームに係留され、
2度目の探査ミッションのための整備が行われた。
当初、予想もしていなかったタイタンでの救出ミッションに使用された、原子力ラムジェット機は、
地球の整備センターに運ばれて、精密検査と修理/整備が行われたのちに、
次の航海のために「エンデヴァー」まで再び輸送された。
地上での精密検査の際に発覚したことだが、救出ミッションのために翼に急遽取りつけたハードポイントのために、
翼の骨格部分にかなりのストレスがかかり、高負荷の状態があと数分長く続いていたならば翼には亀裂が入り、
機体が空中分解していたかもしれない、ということを理沙は知らされた。
結果オーライで良かったのかもしれないが、検査結果レポートを見せられた時に、
理沙は改めて事の重大さを知り、背筋が寒くなった。
もし機体が空中分解をしていたら単なる美談では済まされなかっただろう。
世の中いつでも、冒険の自慢話の裏には、このような恐ろしい事実があるものだ。


2回目の探査ミッションのための乗組員の選定は、1度目の探査ミッションが完了する前には既に完了していた。
理沙たちが帰還したとき、ワシントンでの記者会見の際に、2回目の乗組員との対面と引継ぎ式が行われた。
新しい船長と元船長は固く握手を交わし、そのあと対面した新旧各12人がお互いに握手を交わした。
軍からの出身者も2名参画しており、理沙は先陣を切ったという意味では、彼ら2人から見て憧れの存在となっていた。
「しっかりと、勤めを果たしてください」
そう言うと2人はしっかり直立状態で、理沙に対して敬礼をした。
彼らと直接会うのは初めての事だったが、土星からの帰還の途中から彼らに対してのレクチャーは始まっていた。
ミッションの際に収集された木星と土星に関する科学的調査データはもちろんの事、
船内システムに関する稼働実績データ、理沙は事あるごとに推進システムや核融合ユニットの稼働、
操作、トラブル対応に関するデータを整理していたので、
そのようなノウハウはシミュレーション訓練では得られない貴重なものとなった。
「エンデヴァー」は調査船であるとともに、宇宙飛行士や技術者養成のための訓練施設でもあった。
地球から遠く離れ、時には自分たちでリアルタイムに物事に対応しなくてはならず、
時には苦境に陥ることがあるのかもしれないが、
その時には「エンデヴァー」の船内データベースに蓄積された事例集が役に立つことになるだろう。
同時に、そのような貴重なノウハウを狙っている者もいることを、乗組員や事業団のスタッフはよく知っていた。
実際にノウハウが盗み出されて、のちほど大事になる事態が発生するのだが、まだその時点では発覚していなかった。


*     *     *     *

最初のミッションからの帰還から1年が経過し、「エンデヴァー」の整備が完了した。
原子力ラムジェット機も作業プラットフォームに到着して、いつでも出発可能な状態になった。
既に12人の乗組員は作業プラットフォームに到着していて、最後の調整に入っていた。
理沙は、地上の管制室で出発に向けての支援を行っていた。
2度目の探査ミッションは、木星の調査と原子力ラムジェット機による木星上層大気サンプルの採取のみに焦点が絞られていて、
ほかは木星の開発のための技術開発や、航行用の灯台衛星の設置等、
将来の木星開発に備えた、実務的な内容の作業の比重が高くなっていた。
「あとは、ヘンな邪魔が入らなければいいのだが」
管制主任が冗談半分そんな事を言ってはいたが、理沙にとっては、笑い飛ばすこともできなかった。
土星最初の到着で、中国には先を越されたが、そんな事でくよくよしてもしょうがない、
資源開発で主導権を握り、利権を獲得できればいいのである。
議会とのタフな戦いがこの先にあるのはわかっていたが、予算獲得後は一気に前に出る事ができるように、
事業団の木星開発プロジェクトは、近々増強されることが決まっていた。
事業団の中での単なるタスクチームではなく、資源開発局として事業団の中の事業部に昇格させる準備も始まっていた。
対して、中国側の動向はと言えば、昨今特に漏れ聞こえてくる内政不安定な状況に、全世界が注目していた。
土星への一番乗りは成功したものの、目玉となる成果はそれだけで、
土星の調査もたいして行わずに地球へと帰還し、その後は2度目の探査計画の話題は聞こえてこない。
予算で滞っているのかと思いきや、それ以前の問題として、10か国共同の宇宙開発事業体にあたる中国の開発組織が、
政治利権の問題で崩壊寸前にあるとのこと。
幹部政治家の宇宙開発利権絡みの政治闘争が、中国の開発事業体を分裂させ、空中分解させた。
探査船は、地球/月L2の基地に係留されたままで、整備もまだ始まっていない。
しかし、作業プラットフォームとして建設されたはずの地球/月L2の基地に、レーザー兵器の設置が開始されたとの情報に、
「エンデヴァー」の出発直前、長距離レーザー攻撃されることはないだろうかと、事業団上層部は恐れた。
「私には、単なる威嚇行為にしか思えませんが」
理沙は、事業団上層部からの問いかけに対し、あっさりと言い切った。
「国内はそれどころではないと思います。情報元は言えませんが、あと数年で中国は崩壊します」
その先に起きる事について、問いかけられることはなかった。
あえて説明する事もないほど恐ろしい事だからだ。


*     *     *     *

「出発1時間前」
既に「エンデヴァー」は作業プラットフォームを離れていた。
動力炉にスイッチが入りラジエーターパネルがほんのり色づいている。
管制室の、管制主任のすぐ後ろの席で、理沙は数々のモニターの表示に目を配り、
管制主任と「エンデヴァー」船長との交信のやりとりを聴いていた。
30分前になると、とりあえずひととおりのチェックは終わり、あとはシステムに全てを任せた。
理沙は、元船長の壮行会の際に、元乗組員皆に出発の様子を一緒に管制室で見届けようと声をかけたのだが、
結局のところ元船長とメリッサ含め、管制室にやってきたのは理沙も含めて5人だけだった。
「もう、過去のものだからね。自宅で見ているのかもしれないし」と、元船長。
しかし、自宅で映像を生で見ているにしても、管制室で眺めているにしても、
心の中では12人はどこかでつながっているものと、壮行会の席で元船長は言った。
そして、年に1度はOB会と称して12人で皆集まろうということが、その場で決まった。
「いや、12人どころではないでしょう」
元観測主任は、今後探査ミッションが継続し、乗組員OBはさらに増えていく事になると述べた。
そして「エンデヴァー」は太陽系開発のための技術開発と人材育成に活用されて、人材が増えていくだろうという事も。
「とんでもない船だなぁ」
作業プラットフォームからの遠景を見ながら、元船長は呟いた。
「なんだかものすごく懐かしい。いつかまた乗りたいなぁ」
管制主任が、そんな感慨にひたっている元船長に言った。
「出発前に、何か彼らに一言を」
マルチモニター画面に、「エンデヴァー」船長の顔が映し出された。
船長の落ち着き払った様子を見て、元船長は何かを話そうとしたのだが、なかなか言葉が出なかった。
理沙は、画面右下のカウントダウン表示を気にしながらも、元船長の言葉を待った。
「船長、あとはよろしく頼みます」
元船長がそう言うと、画面の向こう側で船長は軽く敬礼した。
「いってらっしゃい」
そこでカウントがちょうどゼロになった。
「エンデヴァー」の推進システムが動作を開始した。



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