幸せいっぱいの朝

鏡の前で軍服の襟を正し、髪型に乱れがないかどうか確認する。
準備が完了したところで会議室に入る。10名ほどの記者が待機していて、壁際には撮影スタッフ。
理沙は席に座り、記者たちの表情を確認し、話し始めた。
「この会議室の皆さん、そして画面の向こう側のすべての方々に、これから進める計画についてご説明いたします。
地球から遥か遠く離れた木星で、私達300名の作業員は、将来のエネルギー資源の確保のために働いてきました。
最初の調査の段階から数えると、20年以上、実施計画の段階まで遡ると40年近くになります。
核融合エネルギーの実用化はまだ始まったばかりですが、限りある化石燃料に頼るエネルギー供給体制から脱却し、
人類がこれからも生き延びるためには、核融合エネルギーの利用をさらに加速させなければなりません。
今回の実験は、その前提となる最初のステップです」
理沙の背後の壁に、衛星軌道から撮影された木星の姿が表示された。


「ヘリウム3は、月の土壌からも採取可能ですが、木星の上層大気中にも蓄積されていることがわかっています。
木星周回軌道上の衛星や、突入探査機による調査によって、ヘリウム3の大気中の分布、木星全体での埋蔵量が、
かなり正確にわかってきました。並行して、大気中からどのようにしてヘリウム3を採取することが可能なのか、
実験が進められました。最初の実験から7年ほど経ちますが、どのように大気中から採取するのが効果的か、
上層大気中を飛行する原子力ラムジェット機をいくつか製造し、実験を重ねてきました。
実用に耐える原子力ラムジェット機が、今回地球から到着し、予備的な慣らし運転を何度か行いましたが、
今回、本稼働を想定した、高負荷ストレステストを実施いたします。
上層大気に突入し、超高速で飛行しながら、翼の前縁から大気を採取し、高速に加圧するタービンで、
採取した大気を機体内のタンクに貯蔵し、再び上昇し衛星周回軌道に戻る。
衛星周回軌道上では、精製プラントが待機していて、精製プラントはラムジェット機から採取した大気を受け取り、
ラムジェット機はメンテナンス後に再び木星へと向かう。
ちょうど、ミツバチが花から蜜を集めて巣に持ち帰るようなものです。ラムジェット機が持ち帰る事のできるヘリウム3の量は、
それほどの量ではありませんが、今回の実験が成功したならば、何百、何千のラムジェット機が製造されて、
木星と精製プラントの間を24時間往復することになります。精製プラントからタンカーが地球や他の太陽系内の惑星に向け出発し、
木星は太陽系のエネルギー供給基地となるはずです」


*     *     *     *

頭が強烈に重い。ジェシーはようやく瞼を開けて、天井を眺めた。
静かな部屋の中で、自分のではない寝息が聞こえる。ゆっくりと振り向くとやはり彼がいた。現実の世界の出来事だと実感する。
ゆっくりとベッドの上で起き上がり、まだ頭は重かったが、包み込まれるような幸せを全身で再び感じた。
そして昨夜のことを再び思い出す。濃厚な夜だった
最初のキスだけで、あれほどの幻想を見るとは思ってもいなかったが、彼に勧められるままに渡された錠剤を一口だけ舐めて、
そのあとはお互いに貪るように口の中で絡み合った。それでもまだ気持ちにおさまりがつかなくなって、
抱き合ってみたり、全身を舐めまわしてみたり、そこで最初のフィニッシュを迎えたが、
しばらくすると再び全身に煮えたぎるようなものが巡ってきて、また同じようなことを繰り返した。
自分の意志とは全く関係なく、体だけが勝手に動いて、何度も抱き合ったり、舐めまわしてみたり、再びフィニッシュ。
さすがに3度目のフィニッシュで全身がくたくたになってしまい、そのまま倒れこむように寝てしまった。
頭は重かったが、酒を飲みすぎて二日酔いというのとは違い、全身を包み込むような満足感でゆるやかに目が覚めてきた。
時計を見るとすでに朝の9時を回っていた。元々今日は学校に行く予定はないので、一日をのんびり過ごすつもりでいた。
裸のままでベッドから出て、キッチンでオレンジジュースをコップ1杯一気に飲む。
さきほどまでの包み込むような満足感が徐々に薄れていって、現実の世界に戻った。
ベッドに戻ると、彼はまだ寝ていたが、頬に濃厚なキスをするとゆっくりと起き上がり、2人はまたそこで濃厚なキスをした。
しかし、昨夜のように気持ちが燃え上がる事もない。
なんだ、この程度のものだったのかと思えたほど、今のジェシーは覚めていた。
「何か飲む?」
そしてジェシーは、彼から頼まれてコーヒーをグラスに注いで持ってきた。
再び寝室に戻ると、寝室のディスプレイでは朝のニュースが表示されていた。そして、女性キャスターの説明。
[木星の作業プラットフォームでは、木星からのヘリウム3資源採取のための実証実験が最終段階を迎えています。
これは今から1時間前のリアルタイム映像です。原子力ラムジェット機の高負荷ストレステストが現在行われています]
画面が、高精度モニター衛星からの映像に切り替わった。原子力ラムジェット機が三角形の黒いエイのように見える。


「まもなく上層大気突入」
理沙は、フライトディレクターのすぐ横の席で、担当者がチェックリストを読み上げるのを見守る。
前面のモニター画面には、高精度モニター衛星からの映像、その左右には機体の状態を示す表示。
フライトディレクターは腕組みをして無言でモニター画面を見守り、理沙もまた無言。
機体の前縁部分の温度が急激に上昇する。大気への突入が始まったことを示している。
「前縁部分の圧力と温度は規定値内」
フライトディレクターが理沙の方を見た。視線を向けられて理沙も彼の事を見つめる。小さく頷く。
大気突入が始まると、上空のモニター衛星からの映像にも変化が見られた。前縁部分がしだいに炎に包まれたような状態になり、
オレンジ色の炎が機体後部にしだいに長く伸びていくのがわかった。
「スロットを開けます。10秒前・・・・5秒前・・・・スロットオープン、加圧を開始します」
機体内部の4台の加圧装置が、取り入れた大気を加圧し、機体中央部のタンクカートリッジへと蓄積してゆく。
ここまでは「エンデヴァー」での何度かの実験でも見ていた場面だし、同じ機体を使用して既に何度も行われている。
しかし今回は、実際の商業運転を想定して、今までの実験の時よりもさらに降下し、5倍の長時間も高温高負荷の状態で、
大気採取を行うことを想定している。
一度のフライトで採取できる大気の量が増えれば、商業利用と採算ラインがようやく見えてくることになる。
機体を包む高分子複合材や、機体の構造については、最初に「エンデヴァー」で実験した原子力ラムジェット機とは、
比較にならないほどタフなものへの置換えが進められていた。
15年前当時と比べると、形は同じように見えても、全くの別物である。
モニター衛星からの映像では、もうすでに炎に包まれて長い尾を引いている流れ星のようにしか見えなかった。
理沙はその映像と、大気突入終了予定のカウントダウン表示を無言のまま見つめていた。


ジェシーもまた、1時間遅れで理沙の見つめている同じ映像を見ていた。
半年前に木星への出張に出かけた理沙は、ジェシーのことを心配して時々メールを送ってくることがあった。
木星へと向かう旅客船から何度か、その時には狭い船内の個室からの映像だったが、
木星へ到着後は、あてがわれた部屋からの映像になっていた。今自分がいる寝室と変わらないほど整った部屋で、
窓からは時々木星が見えていた。
原子力ラムジェット機が木星の大気に突入して10分ほど経過していた。スタッフが読み上げる経過時間、機体の状態、
モニター衛星からの映像では、長い尾をひいて大気中を飛ぶ流れ星のように見える。
無言で食い入るようにジェシーは画面を見つめていた。気がつくと、彼もまた同じように画面を見ている。
[機体前縁部の温度に変化が]
画面が切り替わり、作業プラットフォームの管制室の映像になった。
前面には、大画面のモニター画面。何人かのスタッフの背中が見えるが、理沙の姿はすぐにわかった。
後ろからの映像が横からのものに切り替わった。理沙が画面一番手前に見える。
[前縁部の温度が上昇中]
画面が再び、モニター衛星からの遠景に切り替わった。
流れ星の状態にはまだ変わりはなかったが、少しづつではあるが、尾の長さが長くなっていくように見えている。
テスト終了のカウンドダウン表示には、まだまだ長い時間が残されていた。
[翼全体に、高温部分が。耐熱シールドに影響が]
[あと120秒]
さきほどまで読み上げていた声と違う声がした[上昇の準備]
[上昇開始の準備、スロットクローズ]
[翼全体が高温状態。まもなく限界点]
モニター衛星からの遠景に、目に見えた大きな変化はなかった。
一瞬の出来事だった。流れ星が爆発し、大きく砕け散った。
[通信が切れました。ただいま状況を確認中]
しかし、確認するまでもなかった。モニター衛星からの映像では、ラムジェット機が砕け散りあっというまに消滅していた。
画面は女性キャスターの映像に戻っていた。
[現地で何か問題が起きたようです]
あわただしく画面が切り替わる。再びモニター衛星からの映像に切り替わり、木星の雲海だけの映像。
そのあとは作業プラットフォームの管制室の映像、音声は聞こえていないが、スタッフが慌ただしく動いている。
席中央のフライトディレクター、その隣にいる理沙が何かを指示しているように見える。
さきほどまでの高揚した気分は消滅してしまった。中継が終わっても、ジェシーはしばらくの間ニュース映像をぼんやりと眺めていた。



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