生産準備

世間からのバッシングに、理沙はすっかり慣れてしまった。
たった2機の原子力ラムジェット機で、細々と木星大気中から毎日ヘリウム3を採取するものの、
得られる量は微々たるもの。精製プラントは予定通りに3基完成していても、稼働率はフル操業時の1パーセントにも満たない。
多額の投資に対して、得られたヘリウム3は、発電所1か所を1年間稼働させるのがやっとだった。
議会では木星開発事業に対しての批判で紛糾し、事業に対する米国の費用負担分の停止と、事業からの撤退について、
採決が行われたが、危ういところで否決された。
景気対策や社会保障ももちろん大事だが、これから先50年、100年を見据えた国家的事業にも、長期的な視野で取り組むべきで、
そもそも、米国の毎年の拠出金は、毎年の国防費の5分の1でしかない。理沙はそう思っていた。
「今撤退して、もし50年後に後悔しても、誰も責任取ってくれないと思いますよ」
いつの日か、批判する人々に対して見返してやろう。
気がつけば、大佐の後任の事業団側からのリーダーとは、既に7年ものつきあいになっていた。
仕事で常に多忙な理沙から見て、いったい何を考えているのか得体の知れない上司に対し、不満も少々感じていたところ、
着任して1か月後の、彼からの一言が理沙の気持ちを一気に変えた。
「私は正直言って何も出来ないが、何かあったときには全ての責任をとる」
原子力ラムジェット機のストレステストの失敗の際にも、また、プロジェクトの継続決定の際にも、
彼は政府役人、議員たちの批判にさらされながらも、理沙と現場を守ってくれた。
「それで、今日はいったいどんな知らせかな?」
腕組みをして、彼は理沙の事を見上げる。
「生産準備が整いました。採取、精製、輸送のすべての準備がまもなく完了します」


*     *     *     *

木星で核融合燃料生産の準備が進められていた頃、
太陽/地球L3のとある小惑星では、実験の準備が進められていた。
その小惑星は、小惑星帯からわざわざ運んできたもので、大きさは400メートル少々、ケイ素と金属と構成されている小惑星である。
500メートルほど離れたところに、作業船が係留されており、40名ほどが乗船していた。
「据え付け完了」
作業船の小さなコントロール室では、現場監督と技術担当がモニター画面を見ながら、作業員と会話をしていた。
「状態を確認します」
小惑星表面にいる作業員は、小惑星に開けた直径1メートルほどの穴の中を覗き込んだ。
穴の奥、30メートルほどのところにシリンダー型の機械が見えたが、赤いランプ表示が緑に変わった。
「こちらも確認しました。準備完了です」
作業員は、小さな着陸作業機に乗り、小惑星から離れた。
現場監督は、着陸機がこちらに向かってくるのをモニター画面上で眺めながら、操作パネル右上のスイッチの蓋をはずした。
10分後、着陸機が格納庫に入ったことを確認すると、
「ではこれから作業開始する」
パネル右上のスイッチを入れた。
しかし、何も起こらなかった。モニター画面上では。
小惑星は相変わらず目の前にあり、爆発するようなこともなかった。
モニター画面右側の、作業の進捗を示すリスト表示には、
[Metal-seedシステム作動]
しばらくはその1行表示のみだったが、やがてチェックリスト表示が現れて、次々に流れていった。
30分ほどの間、現場監督はそのリスト表示を眺めていたが、やがて席を立って、
「とりあえず昼食にします。何かあったら呼んでください」
技術担当に言い残すと、食堂へと向かっていった。


原子力ラムジェット機のストレステスト時の事故原因については、
耐熱素材の耐性上の問題、飛行コースの設定上の問題、その他総合的に分析が行われ、
事故から半年後には改善プランがSTUから提出された。報告がまとまるまでの間、
事業団には国の事故調査委員会からの立ち入り調査もあり、理沙にとって寝る暇もない日々が続いたが、
上司は約束通りに、国の役人と前面に立って戦った。
「こんな時に、鬼の首でもとったようにしゃしゃり出てきて、そんなに楽しいかね?」
そして、国家100年の計でもある核融合燃料生産プロジェクトの意義について、彼は役人たちの前で淡々と説いた。
そんな毅然とした態度も功を奏したのか、やがて改善プランは受理され、改良型の原子力ラムジェット機の製作が開始された。
並行して、改良型の機体が完成するまでの間、事業をどうすべきなのかについてのトップ判断が行われた。
テスト用の2機のうち、1機が失われて、残る1機で何ができるのか。
精製プラントは1基が木星で待機中。2基が完成しまもなく地球衛星軌道上から出発予定。
作業プラットフォームもまもなく3基体制が確立する予定で、あとは原子力ラムジェット機次第である。
例えてみれば、開店休業中の状態。
そんな状況の中、STUから改良型の原子力ラムジェット機の完成に、さらに1年必要との知らせが入った。
トップ判断会議の場は重苦しい空気の中で行われた。事業の一時停止も選択肢として挙げられていた。
そのような雰囲気の中で、推進事業体の欧州グループから、パイロット生産の事が提案された。
「量は少なくても、採取から精製、輸送までの一貫生産を開始するのはどうでしょう?」
1機の原子力ラムジェット機がフル稼働しても、1か月でようやく発電所1か所を1年間稼働させるほどの量にしかならないが、
月のヘリウム3生産に頼らない、新たな生産拠点ができるということは、作業員にとっても大きなモチベーションになる。
早速会議の場で、パイロット生産開始が1年後に設定され、作業プラットフォームB内に、現場指揮のための監督所が正式に設置され、
行政官の派遣も決定した。
「さて、どうにか先が見えたところで」
会議が終わり、上司といっしょに廊下を歩きながら、理沙は言った。
「あたしも、現場に顔出しした方がよさそうね」
「ぜひそうして欲しいな。いい刺激になる」
パイロット生産予定に合わせて、理沙の木星への出張が1年後に設定された。


*     *     *     *

理沙にとっての3度目の木星。もうすっかり慣れたものである。
作業プラットフォームAは、中核ブロックに加えて、居住ブロックの増設と、旅客・貨物ターミナルの増設も終えて、
作業拠点かつ生活の場としての機能をほぼ確立していた。理沙はまだ整備されたばかりの商業設備を眺めながら、
「エンデヴァー」での狭い生活空間でさえ、上等だと思っていたのが、
今では地上の空港設備とそれほど変わりない風景に、時間の経過を実感した。
「どうでした、なかなかいい眺めだったでしょう」
旅客ロビーで、2か月前に着任した初代行政官と合流すると、彼は言った。
「地球の商店街と、それほど違和感ないですね」
商店街の店員が来月に到着すると、街びらきも行われることになっていた。
2人で再び商業設備を歩き、貨物ターミナルに向かいタンカーの係留設備を眺めたり、
今ではまだ空の状態だが、ヘリウム3と水素を貯蔵し、タンカーや旅客船に燃料を供給する設備を見た後は、
行政官の執務室でしばらくの間今後の事について会話をした。
「作業員は続々と到着していますが、問題はいつまでモチベーションを保つことができるのか。本格生産しだいだと思いますが」
不安の表情が見える彼に、理沙はその気持ちを払拭するように言った。
「だからこその操業テストだと思っています。あすは必ず成功させますから」


理沙は、中央制御室で精製プラントの状況を見守る。
すでに原子力ラムジェット機から採取された大気が、分離・精製装置を通過し、純度の高いヘリウム3と水素がタンク内に蓄積されていた。
ここまでは何度も単体の操業テストで確認されているが、今回は作業プラットフォームから到着したカートリッジに、
つい先ほど精製されたヘリウム3と水素の充填が行われた。
充填されたカートリッジは今回1本。ダグボートに繋がれて作業プラットフォームBへと向かう。
「これが毎日見られるようになるといいですね」
すぐそばにいる作業主任から声をかけられたが、理沙は表情を変えることなく、
「もうすぐ忙しくなりますよ。楽なのは今のうちです」
ダグボートはやがて作業プラットフォームBの貨物ターミナルに到着した。
本格操業開始時には、ダグボートは何十ものカートリッジを曳航しながら貨物ターミナルに到着するはずである。
到着ターミナルの反対側には、何百メートルもある係留設備があり、本格操業時にはタンカーが係留され、
カートリッジの積み替え作業が行われるはずである。
「生産物の到着確認。係留完了しました」
理沙は、中央制御室のスタッフ、モニター画面の向こう側にいる他の作業プラットフォームのスタッフに言った。
「操業テスト完了。皆さん、ご苦労様でした」



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