瞳の魔力

STU(Space Technorogies United)の技術主任を長年務め、
核融合の技術ノウハウに関しては現場では誰もが一目を置いている、通称[ミスター核融合]が地球に戻る日を明日に控え、
理沙は労をねぎらうつもりで現場の有志を集めてささやかなパーティーをした。
作業プラットフォームBは商業設備が充実し、飲み屋街も先月オープンしたところで、
中国料理店では彼を囲んでの送別会を行ったが、
懐かしい中国料理を食べながら、遠い故郷を思い出したのかしんみりする場面もあった。
「帰ったら、親孝行をしたいと思っていたのですが。。。。」
彼はそこで言葉に詰まってしまった。
理沙は知っていた。
つい先日に母親が亡くなり、死に目に会うことができなかったからである。

*     *     *     *

「こんな場所で、こんなにいい気持になれるとは思っていなかった。」
ほろ酔い状態で店を出て、[ミスター核融合]は少々足元がおぼつかない状態で、理沙に支えられながら歩いた。
「少し酔い覚ましをしたい」
商店街の並びには、理沙が時々通うカフェがある。
2人は店の前にあるオープンスペースのテーブルに座り、とりあえずコーヒーを注文した。
彼の視点が定まらない。
これほどに酔っている姿を見るのははじめてだった。
STUでの担当者会議の場で会った、14年前の日の事がつい最近の事のように思い出される。
動乱の中国から亡命して、本国に残した家族の事を心配しながらも、
自分の技術ノウハウを世の中の発展に役立てるために、「エンデヴァー」のプロジェクトを後方から支え、
その後の木星資源開発プロジェクトでも事あるごとに彼はかかわっていた。
原子力ラムジェット機の事故で、プロジェクトは四面楚歌の状態になった時もあったが、彼はいつでも前向きだった。
「終わらないプロジェクトなんて世の中にはないんだ」
そう言いながら、部下に対して常にはっぱをかけていた。


通路の向こう側の展望窓の外では、出発を待っている輸送船が2隻。
長さ30メートルの水素/ヘリウム3貯蔵コンテナを数十個搭載した輸送船は、ブドウの房のようにも見える。
最初に輸送船が地球に向けて出発するのを、理沙は感慨深く眺めていたのだが、それも今では日常の風景と化していた。
「あなたには、感謝の言葉もありません」
目の前で、彼は手を振った。
部下の前では常にロジカル考え、冷徹な態度でメンバーを束ねているのだが、理沙の前ではいつも気のいい紳士。
自分が軍人であることを気にしての態度だと理沙は思っていたが、いつもなんとなく不自然に感じていた。


*     *     *     *

発着ロビーからそれほど離れていないので、船の出発/到着アナウンスが時々耳に入ってくる。
輸送船の準備が完了し、1隻がまもなく地球に向けて出発しようとしているところだった。
店の中では何人かの客が壁面ディスプレイのニュースを見ているところだった。
大統領選挙の公開討論会が行われていた。
大統領選挙に「エンデヴァー」の元船長が出馬することは知っていたが、彼は一人で苦戦していた。
「タイミングが悪いような気がするな」
[ミスター核融合]は日頃は政治の話は避けているようだったが、「エンデヴァー」元船長の出馬の話題だけは関心があった。
20年近く前の最初の宣言以来、元船長は着実に自分の夢に向かって進んでいた。
「無理してこの機会に出馬することもないのに、って私も思います」
理沙が元船長から最初に出馬表明を「エンデヴァー」船内で聞いた時、壮大な夢だと感動したものだが、
その夢に、利権目当ての人物が次々に飛びついた。寄ってたかって。
今日も討論会で彼は次に目指すべきフロンティアについて語っていた。
彼は常に木星開発プロジェクトの間接的な推進役の一人だった。


*     *     *     *

公開討論会を見ながら、少し酔いが醒めてきたのか、[ミスター核融合]は理沙を正面から見つめて、
「以前から、言いたいと思っていたのだが」
理沙もディスプレイから目を離して彼の事を直視した。
まだ視線が定まらないように見えるが。
「なかなか言い出せなかった」
いつもの彼とはちょっと違うような感じがした。
明日で地球に戻り、そのままSTUを退職する予定なのだが、ここで何か告白でもしたいのか。
冷徹でロジカル思考の彼は今日はちょっと不自然に見える。
「瞳の魔力という言葉があるのだが、何のことかわかるかね?」
視線が落ち着いてきて、真顔の彼から言われたその言葉は非常に不自然だった。
「さぁ」
理沙は言われていることの意味が全くわからなかった。
しばしの沈黙。
「何のことでしょう?」
しかし彼の異常なほど長い沈黙に、なんとなく理沙は察しがついた。
「何かあったんですか?」
「それ以上聞くな」
気のいい紳士が、ほんの一瞬ではあるが冷徹な技術者の口調に変化した。
しかし、後悔したのかすぐにいつもの表情に戻った。
「いや、すまなかった」


*     *     *     *

[ミスター核融合]の酔いが冷めたのを見届けて、2人は店を出た。
彼の言った言葉の真相は、結局のところその後聞き出すことは出来なかったが、
その事にはあえて触れずに彼と一緒に職員住宅まで歩く。
家の前で理沙は彼と握手を交わし、別れた。
当直に戻るために指令区画へと向かう間、理沙は時々後ろを振り返ったが、彼はまだ理沙の姿を眺めていた。
振り返るたびに彼は手を振っている。名残惜しそうに。
通りを曲がり、再び商業区画の前を通る。
展望窓の外では既に輸送船が出発した後でポートは1つ空いていた。
その空いたポートに、地球から到着した一隻の連絡船が接岸しようとしていた。



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