最初の製品出荷

原子力ラムジェット機により、木星大気中から採取したヘリウム3と水素は、精製プラントで分離/加工され、
3つの作業プラットフォームのタンク内に蓄積されていたが、その量は当初予定していた生産量の1パーセントにも満たない量で、
しばらくの間は、作業プラットフォームの核融合炉を稼働させるために消費されていた。
1年ほどかけて徐々に蓄積し、タンカー1隻分の量になったため、ようやく地球へ向けての最初の出荷の日がやってきた。
地球の管制室では、ささやかながら出荷のセレモニーが行われた。
「生産プラントの建設にゴーサインが出されてからちょうど10年で、ようやくこの日がやってきました」
実際には40分のタイムラグがあり、見ている画像は40分前の映像なのだが、
理沙含めた管制室のスタッフは、静かに出発するタンカーを眺め、
補助エンジンを噴射して徐々に加速するその姿に、自然と拍手が沸き上がった。
地球からの輸入に頼ってきた木星の開発拠点が、今日から生産拠点として稼働を始めた。
まだよちよち歩きのようなものだが、これからは確実に成長して、やがては地球の生活を支え、
その先には太陽系の物流とエネルギーを支える未来が待っている。
理沙があたりを見渡すと、何人かが感情極まって涙をこらえている人もいたが、おそらくそんな思いがあるのだろうと思った。


出荷開始の10日後、現地スタッフの削減が始まった。
3つの作業プラットフォーム、3基の生産プラントは完成しており、今後作業プラットフォームの増設は計画されているものの、
1000人もの作業員の常駐は不要とみなされ、生産管理をするための100人少々のスタッフのみが残ることになった。
理沙の仕事も、現地の生産拠点が完成したことで、今後は現地の仕事を前線で見守る必要はなくなり、
地球上で現地スタッフを支援する立場となった。
残作業として、改良型の原子力ラムジェット機の開発を見守る事と、今後の生産拡大のための準備があったが、
これまでの10年間の苦労と比べれば大したことではない。
軍からは、いつまでに戻ってくるようにとの命令はまだなかった。
太陽系内を縦横に自由に航行できる巡洋艦のプロトタイプが、次々に設計から製造の段階に入り、
今のところ、特に理沙の助けは求めていないとの事だったが、
それを聞いて理沙は内心ほっとしたものの、自分はもう軍から求められていないのかという疎外感も多少はあった。
「いつか必要になったら、必ず連絡します」
以前、新型揚陸艦の設計タスクについて理沙に語っていた大佐も、つい先日に同じような返事をしてきた。

*     *     *     *

今後のことを見据えて、出来る事から始めようと理沙は思った。
帰宅の時間が劇的に早くなり、しかも毎日帰宅できるというのは、理沙にとって非常に大きな生活の変化であるとともに、
理沙の自宅近くに最近引っ越してきたジェシーの目から見ても、劇的な生活の変化だった。
「もうあたしのことは気にしなくてもいいから」
いつものように、夕食の用意を手伝う彼女に理沙は言った。
「それよりも、自分の生活のことを気にした方が」
1年ほど前から付き合いを始めていて、自宅アパートで既に同居を始めている彼氏とは、理沙も既に何度か会っており、
初対面の段階で、理沙は彼のひととなりを含め気に入っていた。
「決めるのなら、早いうちがいいよ」
するとジェシーは言った。
「実は。。。」
つい先週に、正式にプロポーズされて、結婚を決めたとの事。
その日の晩は、婚約祝いのパーティーとなった。
理沙はささやかながらジェシーのこれから先の幸せを祝い、とりとめもない話が夜遅くまで続いた。
これほどまでの楽しい夜は彼女と会って6年間なかっただろう。
ジェシーが帰宅するのを見送り、その日の理沙は深い安心感と満足感で気持ちよく眠ることができた。


良い知らせは続くものである、
翌週のSTUとの打ち合わせの場で、原子力ラムジェット機の改良型がようやく完成するとの報告があり、
次の木星でのテストの日程を決める事になった。
理沙は自らもテストに立ち合う事を申し出た。
スケジュールが会議の場であっさりと決まり、半年後のテストに向けた準備作業が始まった。
関係者とテスト日程を決めている中で、理沙は自分も木星へ行くと言ってしまって少々後悔することになった。
先週のジェシーとの会話の中で、彼との結婚式の日程の話があったのだが、
その日程と重なることはないか、結婚式までに地球に戻ることはできるのか、
内心やきもきしながら関係者と打ち合わせをしていた。
幸いにも、テストは高負荷ストレステストを中心に、期間を短縮することが可能であることがわかり、理沙はほっとした。
2か月後に木星へ出発する輸送船に改良型ラムジェット機を搭載し、その2か月後に理沙は木星へと向かう。
1か月間のテストに現地で立ち合い、完了したらすぐに地球へと帰還する。
上司に、ジェシーの結婚式の日程について伝えると、彼もまた自分の事のようにその事を喜んでくれた。
2年ほど前には上司も同じように、自分の孫の結婚式に立ち合っていた。
「今回はきっとうまくいく、いや、必ずうまくいく」
そう言って励ましてくれる上司に、理沙はさらに好意と深い尊敬心を感じた。


*     *     *     *

今まで何度も店の前を通り過ぎていたのだが、その日理沙は店の前で足を止めて、店内を眺めた。
店員は奥の部屋にいるのか、または不在なのか、
誰もいない店内に足を踏み入れ、ゆっくりと店の奥に向かって歩き、雑然とした商品をひとつひとつ眺めた。
古着あり、生活感あふれる骨董品あり、そうかと思えばどこの画家が描いたかもわからないような絵もある。
この店はいったい何を扱うところなのか、よくわからないところがあるように見えたが、
店内を眺めているうちに、理沙はこの店の世界観について、徐々にではあるがわかってきた。
「いらっしゃいませ」
初老の店員が出てくるものと想像していたところ、店の奥から現れたのは、おそらくジェシーと同じ年頃の女性だった。
「あら、あなたが店員さん?」
彼女は頷いた。
2人でゆっくりと店内を歩きながら、店員は商品について説明を始めた。
商品の配置について、各商品の詳細や、この店にやって来るまでのいきさつについて、理沙が尋ねると彼女は即座に答えた。
まるでこの店のすべての商品について知っているのではないかと、理沙が賞賛すると、彼女は、
「この店の商品のデータは、この小さな端末ですぐに調べられますから、それと」
まぁ、考えてみればそんなものだろうとすぐにわかったが、理沙が感銘を受けたのは彼女のそのあとの一言だった。
「新しい物だけがどんどん世の中に溢れて、古いものが捨てられていくのが、なんだか不憫に思えて」
店の中にあるひとつひとつの商品には、持ち主とともに歩んだ時間があり、
たとえ持ち主がこの世に存在しなくなっても、物だけはさらに長く生き続ける。
ふと手に取った小さなコーヒーカップは、尋ねてみれば100年以上前の製品で、
当時のアメリカ合衆国は、東西冷戦の激動の時代だったが、
そんな中でも普通に生活して、家族を養い、未来に向けて希望を持っていた人々がいた。
「この店はタイムカプセルなんです。前の店主は3年前に亡くなりましたが、この店を失くしてはいけないと思いました」
理沙はそのコーヒーカップと、さらに店の奥にあった本棚から、昔の小説を数冊、タイトルが目についたものを購入した。
「そういえば、時々店の前を通るのを見かけていますが、この近所の方ですか?」
「ええ、実はいつもこの店のことを気にしていました」
その日の午後は、店員ととりとめもない話をして過ごした。
ジェシーと同じような年頃であることに親近感をもったが、理沙は彼女の仕事に対する使命感のようなものに感銘を受けた。
あたりが暗くなったところで理沙は帰宅したが、それまでの間、店に客は1人も来なかった。


*     *     *     *

STUの技術者から、別件で報告したいことがあると呼ばれ、理沙は会議に参加した。
「今まで紆余曲折はありましたが、ようやく実用に耐えるものができあがりました」
遡る事4年前の実験の映像が映し出された。
太陽/地球L3まで曳航された小惑星に、作業船が到着するところから始まり、掘削用の装置が直径2メートル程の穴をあけ、
その穴の中にすっぽりと収まるような形のユニットが、ゆっくりと穴の中に押し込められていった。
作業船のコントロール室で、2人のスタッフが作業を見守っている。
準備が完了したところで、小惑星に着陸している小さな着陸機がゆっくりと作業船へと戻っていった。
[作業完了です]
作業船とコントロール室との会話が続く、やがて着陸機が作業船に戻ったことを確認すると、現場監督は言った。
[Metal-seedシステム作動]
その後、10日ほど経過したところで、コントロール室内にアラート音が響き渡る。
作業は中止され、次の映像は中止から半年後。
システム作動ののち再び中止、そして再び再開、テストのたびに新たな課題が発生するものの、
地を這うような粘り強い改良が続き、最後に、つい最近のテストの状況が映し出された。
「ちなみに、今現在も増殖活動は続いています」
小惑星の内部を食らい、個体を増やしてゆくシステムを想像すると、
理沙は胸躍るものを感じながらも、少々空恐ろしいものも感じていた。



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