長く孤独な闘い

一時は、証拠として全く意味がないと、理沙の記憶分析については棚上げにされたが、
その後弁護人が状況を確認したところでは、完全に却下されたわけではないようだった。
今回の事故に関して裁判長含めた別タスクの調査チームは、軍法会議が進められている間、
理沙が問題提起したシステム側の不具合に関して、裏付けとなるデータを密かに集めていた。
とはいえ、収集可能なあらゆるデータを分析したところで、原因にたどりつけるとは限らない。
彼らもまた行き詰っていた。
「ひとつ、ご提案が」
弁護人は、新たな証拠人の要求をした。
もちろん、事前に理沙との綿密な打ち合わせの上での要求である。
「タイタン基地の行政官を、この場に呼ぶことはできないのでしょうか?」
距離的な問題もあり、リモートとなるかもしれないが、手を借りる事が可能であれば非常に心強い。
もしかしたら、ヴェラから理沙に託されたメモのコピーでも持っていないだろうかとの、藁にもすがるような思いからである。
救命ボートで木星のまわりを漂流していた2か月の期間中、理沙は肌身離さず持っていたはずなのだが、
救出後におそらく押収されてしまったのだろう。
行政官の出頭要求は、特に裁判長からの反対もなく受け入れられた。
しかし、3週間後の裁判長からの返事に、理沙は再び落胆させられた。
「要求は却下されました。出頭およびリモート参加も不可です」
理由についての説明はなく、記憶分析に関する不毛な議論は再開された。

*     *     *     *

「私が思うには」
裁判長を前にした、理沙への口頭弁論の機会が再び与えられた。
「行政官は本当はこの場で述べたい事があるはずです。ですが、そうすることが出来ない理由があるのではないかと」
検察官がすぐに反応した。
「それは、あなたの主観にもとづくものであり、当の本人の意見ではありません。この場の主張としてふさわしくない」
裁判長が検察官を制止した。理沙は再び淡々と語り始める。
「この場で語ることができないのは、自分の身に及ぶ危険を考えての事だと思います」
「利害関係があると言うのですか?」
「はい、利害関係というよりも、それ以上のものだと思います。行政官はその証拠を持っています」
そこでひと呼吸おいて、理沙は自分の置かれている立場についてふと思った。
微妙にではあるが、まわりの空気が変わり始めていた。
理沙の行動に対する、軍士官としてあるまじき無責任な行動についての裁判から始まり、理沙が反論したことに対して、
最初のうちは、残されている記録データをもとに、理沙の主張にまったく取り合ってくれなかった状態であったのが、
今では、理沙の口頭弁論に対して身を乗り出して聞いてくれている。
自身の記憶分析に関しても、個人の主観だけのデータでは使い物にならないといったんは却下されたものの、
実は却下されておらず、保留状態である事。
自分の知らないところで、実は非常に大きな動きが始まっていて、単なる軍法会議の枠ではおさまらないレベルになっているのではないか。
理沙はそんなことを肌で感じていた。
「その証拠となるものに、なにか決定的なことが書かれているということですか?」
理沙は頷いた。
顔を上げて再び裁判長をしっかりと見つめる。
徐々にではあるが、理沙は手ごたえを感じた。


長い廊下が理沙の目の前に続いていた。
誰かに先導されて、長い廊下を歩いてゆく。遥か先、廊下の突き当りには光の差し込む玄関がある。
自分の歩く両側は暗闇。先に見える玄関まではそれほど距離はないので、歩いてゆけば確実に行きつけるだろう。
いろいろと苦労はあったが、この先に見える玄関にたどり着ければもう大丈夫だという安心感があった。
するとその両側の闇の中から、何者かが2人の目の前に飛び出してきた。
逆光になっていてその者の姿や表情はよく見えない。
しかし、目が慣れてきたところでよく見ると、その何者かは銃を持っていた。そして理沙の事を狙っている。
突然、時間の感覚が非常にスローになってしまったのか、自分を先導する男は理沙の方に振り返り、
理沙のことを守ろうとして理沙の前に立ちふさがった。
何かを叫んでいるように思えたのだが、声がスローになりすぎていてよく聞き取れない。
立ちふさがっている何者かが銃を発射した。
数発の弾丸が体の両側をよけていくのがはっきりと見える。
理沙を守ろうとして立ちふさがった男が理沙に覆いかぶさる。
そこで理沙は目が覚めた。
夢の記憶はすぐに薄れてしまったが、自分の両側にある暗闇が気持ちの中に重く覆いかぶさっていた。


「決定的な証拠がないところ、これは私の主観としての意見と受け取ってくださって結構です」
話はヴェラと共同で、次世代システムの概念設計をまとめるための実験を行っていた時にまで遡った。
「いまでも極秘事項として扱われていますが、火星のエリシウム基地で発生した事故の原因追及と、
根本的な解決策の方向性を見つけるために、その当時、私とヴェラは模索していました」
理沙は自分の体を実験台として、神経インターフェイスからの信号がどのように機械の体に伝わるのか、
その得られたデータを利用し、社会インフラとしてのシステムにどのように生かせるのか、
研究により結論にたどり着こうとしていた。
非常に地味なアプローチではあるが、当時からヴェラには一つの信念があった。
「社会インフラシステムは、ものや情報の流れの制御、最適化という点では優秀でした。
これがなければ、核融合も宇宙開発も、ブレークスルーというものはなかったと思っています。
しかし同時に、彼女は重大な欠点もあると考えていました。それがエリシウム基地での事故につながったと仮定しました」
研究は、予算削減の関係でいったんは中断となったが、その後もヴェラは、細々とではあるが今までの研究結果を整理し、
論文の形にまとめる事を続けていた。
日の目を見ないかもしれないとの諦めと常に心の中で葛藤していた。
やがて協力者を得たことで彼女は研究を再開することができたが、極秘研究扱いで進められた。
「彼女は解決の方法を提示し、そのための実証実験の場として、当時事業団と軍が共同で進めていた、
タイタン基地での閉鎖系社会インフラの実証実験に相乗りすることに決めました。小さいながらも社会インフラの実証実験としては
適度な大きさであり、エリシウム基地と同じ事故が起きたとしても社会に影響を与える事はないと、判断したうえでの事です」


行政官から見せてもらった、タイタン基地建設当時の映像を、理沙は今でもはっきりと覚えていた。
ブルドーザーで土地を整地するところから始まり、数十ヘクタールの平坦な土地が出来上がったところで、
周回軌道上で待機している巨大キャリアーから、次々に基地のモジュールが降下してゆく映像。
その光景を、キャリアーの窓から見ているヴェラの姿。
わずか半年ほどで主要な居住ブロックの組み立ては完了し、タイタン表面の前線基地から空を見上げているヴェラ。
数千トンの重量の核融合炉コアモジュールの着陸時、地震のように前線基地が揺れて、
あたふたしているヴェラの姿が、非常に滑稽に思えたが、理沙は笑う気にはなれなかった。
映像を見終わり、その後、行政官から彼女の遺品のひとつとして渡された、手書きのメモを一人で部屋で読んでいる間、
理沙は胸にこみ上げてくる強烈な気持ちを、抑えることができなかった。


「実験の最中で、彼女が予想していたことが始まりました。
タイタン基地での実験の真の目的について、何人かの居住者が気づき始めたところで、彼女は行動に出ました。
あらかじめ予測はしていた事態なので、特段慌てることはなかったのですが、放置しておけば確実にエリシウム基地での事故と
同様の事が起こるはずで、それだけは止めなくてはいけないと彼女は考えました。
と同時に、止めてしまったのでは真の解決にはつながらないことも、彼女はよくわかっていました」
ヴェラが残したメモに、解決につながるヒントが書かれていた。
それが真の答えにつながるのかについては、彼女がいない今ではまったくわからないが、理沙が理解してくれることを願って、
彼女はメモを残した。
手書きのメモという非常に確実で安全な方法で。
「今度は自らが実験台になることを彼女は選びました。
システムには物事を最適化し、最善の選択をすることができる能力がありますが、自らの意志といったものはなく、
生存本能を起点とした意志というものを、システムの中に植えつけるための手段を実行しました。
生存本能をシステムに植えつけるために、生体センサーの感度を最高レベルにして、死に至るまでの感覚を体感させるというものです」
気がつけば、理沙がひとりで説明している間、法廷内は静まり返っていた。
「つまりはこういう事です。ヴェラの死の原因は自殺です。そして彼女の死から生存本能を植えつけられたシステムは、
自分自身を認識し、まわりの世界を認識した。そして私を最初の敵とみなしました」

*     *     *     *

その後、タイタン基地の行政官が法廷への出頭要求が却下になった理由について、裁判官から説明があった。
「決定的な証拠を持っていないというのがその理由です。
ヴェラの案に賛同し、彼女と仕事を共にし、実験に協力したことは認めるが、だからといって彼女の下した結論に、
私は賛同はしていない。したがって彼女が下した結論が正しいとは言えない」
裁判官からの説明を聞きながら、理沙は自分が予想した通りの答えだったと思うとともに、
自分の身に及ぶ危険について恐れているのだろうとも思った。
無理もない。理沙自身も木星を周回しながら死にそうになったのだから。
ただひとつ希望があるとすれば、凍り付くような救命ボートの中でどうにか生き延びたのは、
死にかけたところで偶然にも、精密レーダーシステムが救命ボートを発見したことだった。
この件についてもなぜ突然に発見されたのか、理由はいまだに分かっていない。
「さて、被告人が以前に請求していた、記憶分析に関しての結論であるが」
来る時がついにやってきたのか。
理沙は姿勢を正して、結論が述べられるのを待った。



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