小さな店の管理職

[3年間という条件付きで、引き受けます]
理沙は窓の外の夕日を見ながら、先日事業団長官に言ったことを再び思い出しつつ、
期待と後悔が混じり合ったような心境で毎日を過ごしていた。
その日からかれこれ1ヵ月ほど経っていた。
始めてから3年近く経つこの店をどうしようか、ぼちぼち固定客もできてようやく経営も軌道に乗ったと思っていたのに、
ここで店を畳んでしまうのはあまりにももったいない。
1ヶ月ほど考えた末、理沙はようやく決めた。
ドアが開いて一人の女性が店に入ってきた。1分も経たずにさらにもう一人女性が入ってきた。

*     *     *     *

「2人も雇ったんですか」
毎週火曜日に店にやってくる、工場の若社長は、カウンター席にいきなり座り、2人の店員を交互に眺めた。
「れいなです。よろしくお願いします」
彼女は軽く頭を下げた。
理沙を挟んでもうひとりの女性も軽く頭を下げた。
「美紀です。よろしくお願いします」
理沙も調理をする手を止めて、若社長に頭を下げた。
「私と同じく、この2人をこれからもよろしくお願いしますね」
夜の8時を過ぎると近所のなじみの客も加わり、店内は賑やかになる。
開店と同時に店にやってきた若社長は、食事と酒と理沙との会話を楽しむのが主な目的なので、8時を過ぎると店を出てゆく。
そのあとに入れ替わった客が、れいなと美紀が加わったことで、さっそく客から彼女たち2人への質問攻撃が始まった。
しかし、深く突っ込んだり下品な質問をする者はいない。
理沙が3年かけて作り上げてきた品のある店の雰囲気が、そんな暗黙のルールのようなものを作り上げたのだろう。
「あの2人、なんだか見ていると」
10時を回った頃にやってきた初老の社長が、カウンター席のいつもの定位置で理沙に声をかける。
「2人姉妹のようにも見えますね」
客と楽しく会話している美紀、すぐ近くで同じように別な客と会話しているれいな。
「2人姉妹か。。。」
理沙は彼女たち2人をしばらく眺めていた。「いいわね」
「そういえば理沙ママにも?」
理沙は再び調理を始めた。
社長の言葉を聴いていないようにも見えたが、やがて小さく頷いた。
「もう長い事会っていなくて。音信不通なんです」
料理ができたところで、理沙はフロア席で話が盛り上がっているれいなを呼んだ。
食事をれいなに渡すと、理沙は社長の席のすぐ前まで移動した。
「私の2つ年下なので、生きていたとすればもう68です。どこかで生きているんじゃないかといつも思っています」
「生きていると思いますよ」
理沙は社長の目の前のグラスを手に取り、大きな塊氷を2つ入れて、ウイスキーを注いだ。
「そうだといいんだけど」


日付が変わる頃になると店の客も徐々に引いてゆき、頃合いがよいところで閉店とした。
閉店時刻は特に決めていない。
店の客が気が済むまで店を開くのが、理沙の考えだった。
時には酔いつぶれた客が帰るのを待っていたので、朝方になるまで店を開いていることもあった。
朝方に、足元のおぼつかない客を見送り、慌ただしく店の中を片付けして閉店する。
れいなも美紀も目元がげっそりとしていて、美紀は足元が少々ふらついていた。
「今まで、どれだけこんな事があったんですか?」
ショッピングモールのタクシー乗り場まで3人で歩く間、れいなは理沙に言った。
「まだ最近の事かな。店を開いたばかりの時にはこんなに客はいなかったから」
近くの駅まで2人をタクシーで送り、そのまま理沙は1人で帰宅する。
初夏の時期になり、夜が明けるのが早くなってきた。
もう昼のように明るい中で帰宅すると、理沙はそのまま昼近くまで寝た。

*     *     *     *

「あたしがこの店を作ったのは」
れいなと美紀を目の前に、理沙は開店した頃の話をした。
ショッピングモールの入り口の、あまり目立つ場所でない事もあり、当初は予想通りに客の入りは良くなかった。
開店から閉店まで、時々店の中を覗く客はいるものの、中に入る客はいなかった。
最初の1週間で店に入った客は数人。
しかも食事のためにほんの30分立ち寄る程度である。
「でも、客の入りが良くないのは予想していたから、あまり気にならなかったな」
どこからか聞きつけたのか、軍人時代の仲の良かった士官や、元上司が突然に足を運んでくれることはあった。
その時には昔話で盛り上がり、理沙はしばしの間楽しい時を過ごすことができた。
「ここにこの店があって、みんなの目に留まって、徐々に話題になって、自然と客が増えてくれればいいなと思って」
そして、理沙が思った通りに事は進展した。
徐々に客が入り出したのは、開店から1年ほど経った頃。
どこからか聞きつけたのか、地元の住民が昼食時に立ち寄るようになったのが始まりで、
徐々にその客が夜の時間帯に流れ込んでくるようになった。
「あたしがこの店に込めた思いはそんなもの、このショッピングモールの片隅にちょこんと建っていて、
自然な雰囲気で、みんなを優しく迎えてくれるような店にしたかった。この店の名前のとおりにね」
そんな店になりつつあったところでの、事業団長官からの突然の仕事の誘い。
2年かけてようやく自分が本当にやりたかった事が実現に近づいていたので、理沙は戸惑った。
考えるための時間を長官に申し出、考えた末での結論が、店員を雇う事だった。
「私は、所用で3年ほどこの店を開ける事になります。その間、あなたたちにこの店を守ってもらいます」
自分が元軍人であること、事業団長官からの要請で木星へ行くことについて、2人にはあえて説明しなかった。
そのような事を言ったら2人は緊張して気持ちが委縮してしまうだろう。
理沙は、気持ちを解いてリラックスして話せるような雰囲気をあえて作り、面接するすべての女性にこの店のコンセプトを説明した。
「それで」
美紀がおそるおそる理沙に尋ねてきた。
「ここで働かせて貰えるんですか?」
理沙は頷き、しっかりと2人の目を見つめた。
「ええ」
喜んでいるれいなと美紀。
彼女たちを見ていると、やはり2人が本当の姉妹のように見えた。

*     *     *     *

最大の危機を乗り越えて2か月、危機が過ぎ去ると工程は粛々と進んでいた。
女性士官は、今日も建造工程の状況を淡々とチェックし、プロジェクト管理者へと報告するだけの退屈な時間を過ごしていた。
少佐とのシフト引継ぎを前に、チェックリストに不備がないかどうかチェックをしていると、
いつもより10分ほど早めに同僚中佐が中央制御室に入ってきた。
画面のチェックに気に取られていて、彼がすぐそばまでやってきたことに気づかず、背後から迫られて思わずはっと声を上げた。
「すみません、ちょっと早めに来てしまいました」
女性士官はすぐにいつもの落ち着きを取り戻し、今日の作業状況について彼に手短に説明した。
「2ヶ月前のロスタイムは、来週には取り戻せそうだと報告いたします」
1800メートルある船体は、目の前にあるディスプレイでは中核構造部分はほぼ完成し、船殻も5割ほど完成していた。
とはいえこれはイメージとして表示されているものであり、今は小惑星内部の建造ドック内にあり直接見ることはできない。
あと10か月後の完成の日に、小惑星内部から引き出されるまでのお楽しみといったところである。
「では、報告書を送ったら、あとはよろしくお願いします、中佐。今日はA7ー67から73ブロックまでの組み立て予定です」
軽く敬礼し、女性士官は自室へと戻って行った。
同僚中佐は、彼女から引き継いだチェックリストに目を通し、当直オペレータにいくつかの指示をすると、
頭の後ろで腕組みをして、しばらくのあいだぼんやりと宙を眺めていた。
Metal-Seedの劣化が始まり、修復プログラムを起動した時の緊張感は今でも忘れることができなかった。
自分と女性士官、数十名のオペレーター含めて一瞬のうちに核爆弾で破壊される危機、そんな極限の状態を体験したからなのか、
彼は女性士官に対して最近、特別な感情を持つようになっていた。
許されない事であることはわかっているのだが。
危機が去って1週間後のある日、非番の時間帯にそれとなく2人だけで休憩の時間を過ごそうと誘ったところ、
予想外に彼女は、自分の部屋へと招待してくれた。
2時間ほど、コーヒーを飲みながらの他愛のない、当たり障りのない身の上話で終わってしまったが、
ふと部屋の中を見渡して、机の上にある1つのフォトプレートが彼の目に止まった。
フォトプレートはその時ちょうど表示モードになっていて、2人の女性が並んで立っているのが見えた。
一人は女性士官であることがすぐにわかったが、もう一人の女性のことが気になった。

*     *     *     *

れいなと美紀が店で働き始めてから2ヶ月が経った。
接客の仕方について基本的なところは理沙は教えたが、その後の対応はできるだけ2人に考えさせるようにした。
開発局で働いていた時には、部下はもちろんのこと、
STUを筆頭に多数の協力会社の管理を任せられていた事もあったが、その責任範囲と比べれば大した事はない。
理沙は、この店では新たなチャレンジをするつもりでいた。
常に極度の緊張状態であった開発局の仕事、そこでは厳格なルールに従い仕事を実直に進めればよいのに対して、
店での人間相手の接客というものには明確な答えがない。
人の心の中の世界はいまだに未知の世界だと理沙はいつも思っていた。
ある日、理沙は所用のため店を休み、れいなと美紀に店を全て任せる事にした。
何かあったときには常に連絡は可能な状態にしておいたのだが、結局のところ危惧する程の事もなかった。
翌日の夜に店に行った時でも、客からのクレームはなかった。多少の苦言はあったが。
「なんだ、昨日はどうしたのよ、風邪で寝込んだかと思ったよ」
近所の漁業組合長が、今日も店全体に響く大声で理沙に声をかける。
「すみません」
理沙は近くのショッピングモールで買ってきた食材を美紀に渡して、彼の席のそばまで行った。
「どうしても片付けなくてはいけない用事があって」
彼と、漁師仲間が数名は、日付が変わってもペースを落とすことなく日本酒を飲んでいた。
れいなが彼に絡まれそうになって、危うい場面もあったが、
「あたしを怒らせると怖いよ」
真顔でのれいなの静かな反撃は効果があった。すぐに彼は手を引いた。
「ああ、母ちゃんより恐ろしや」
いつの間にか、れいなと美紀の間には、姉と妹のような関係が築かれていた。
美紀が襲われそうになると、すぐにれいながそれとなく割って入ろうとする。
客のあしらい方が日に日に上手くなっていく。
そんな2人の事を、カウンター席の中から理沙は静かに見守っていた。



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