大量輸送船団

「私からあなたたちに教える事はもうありません。今日からここはあなたたち2人の店です」
れいなと美紀を前に、理沙は語りかけた。
なぜか少々かしこまってしまう。
接客については基本的な事だけ教えて、そのあとはできるだけ2人に考えさせるようにつとめてきた。
あとは目についたところを軽く正す程度に。れいなと美紀を選んだ自分の目は正しかったと理沙は改めて思った。
「今まで、特に私から説明はしませんでしたが」
2人を前にして久しぶりに、訓示を述べるときの口調になってしまった。
「あなたたちも、うすうす分かっていたのではないかと。私は5年前までは軍の士官でした。
あまり軍人気質で接したくはないと思っていたので、お説教スタイルでの喋り方にならないように努めてはいましたが、
今日はあなたたち2人きちんと説明します」
店内の空気がぴんと張りつめて、れいなと美紀はいつの間にか直立不動状態になっていた。
「私は太陽系資源開発事業団からの依頼で、木星の資源開発拠点の管理職の役目を任されました。
3年間の契約ということになっていますが、その間この店を畳むのはもったいないので、あなたたち2人に任せることにします。
あなたたちはこの店の管理職です。私が不在の間、この店をしっかりと守ってください」
2人のことを交互に見つめると、再びいつもの穏やかな理沙に戻った。
不在の間、理沙の自宅を2人の宿舎として解放する事、理沙がいなくなる事についてのさよならパーティーはしない事、
ほかいくつか気になる事を伝えると、理沙は開店準備を任せて帰宅することにした。
店を出ようとしたところで、美紀に呼び止められた。
「あの社長にだけは、お伝えした方がいいと思います」
ドアの前で立ち止まって、数秒考えたが、理沙は小さく首を振った。


部屋の荷物の整理は終わり、木星まで持ってゆく必要のある身の回りの物は2つのコンテナに入れ、
昨日のうちに航空便貨物に運んでもらう手配が済んでいた。
備え付けの家具を除いて、他に荷物のない居間はすっきりとしていた。
寝室も広いベッドはそのまま2人に使ってもらう事にして、趣味で収集した骨董品やレコード、本についてはクローゼットの中に
整理して収納した。そして自宅での最後の夜を迎えた。
定住の地のつもりで購入した家だったが、3年で定住の地を離れて再び根無し草のような生活に戻る事になるのか。
理沙は最後の静かな夜を満喫することにした。
翌朝はいつもの時刻に目覚めると、れいなと美紀に、これからの事は全て任せたと短いメッセージを書いたメモを残し、
身支度をさっさと済ませ、トランク1つ持って自宅を出た。
朝の6時ではまだ夜は明けていない。遠く東の空がようやく紫になってきたところ。
予約したタクシーが時刻通りに自宅の前にやってきた。
その1時間後には理沙は空港に到着し、さらに1時間後にはテキサスへと向かう直行便に乗り込んでいた。
木星への出発は3か月ほど先だが、3か月の準備期間などあっというまに過ぎてしまうだろう。
すでに理沙の心は遥か木星へと飛んでいた。

*     *     *     *

小さなウソはすぐにバレるが、大きすぎるウソは絶対にバレないという言葉がある。
何かがおかしいという事は皆が知っているのだが、その原因について皆は語らず、会話の中で積極的に触れようともしない。
しかし、事実は事実である。
木星での核融合燃料生産は、10年前までの困難な時期を乗り越えたあとは、その苦労がまるでなかったかのように、
その後は生産拡大を順調に続けていた。
数千機の原子力ラムジェット機がまるで蜜蜂のように木星大気中からヘリウム3と水素を採取し、
かつては稼働率1パーセント以下と言われていた精製プラントも、今ではフル生産状態だった。
長さ400メートル以上もあるタンカーは、ブドウの房のように大量のヘリウム3と水素を充填したコンテナを搭載し、
3日おきに、定期的に地球へ向けて出発していた。
地球のエネルギー需要に対し、十分すぎるくらいのヘリウム3と水素が地球に向けて輸送されている。
そのはずなのだが、なぜか帳尻が合っていない。
タンカーの運行は完全に自動化されていて、一部を除いてほぼ完全に無人で運行されていた。
積荷の行き先については、そのほとんどが地球、一部が火星と月ということになっている。
しかし、根拠となる運行記録データについては、なぜか閲覧不可となっていた。
一部の有人運行のタンカーの乗組員は、知っていた。
語ることはないが。


「輸送船011061、出発前のチェックを」
船長は作業プラットフォームCの管制室との間で、チェックリストの読み合わせを形式的に済ませた。
管制官からの問いかけに対して、チェックリストをお互いに確認し復唱するだけ。
「すべて異常なし。出発準備完了しています」
数秒後、管制官からの返事。
「確認しました」
「出発許可をお願いします」
船長は係留ロック解除のスイッチに手を伸ばして、待つ。
「出発許可しました。こちらも係留ロック解除」
ロック解除のランプが緑になったことを確認して、船長もまた係留ロック解除を行う。
ゆっくりとタンカーはプラットフォームCを離れる。
全体で10万トンの質量があり、動きは非常に鈍い。慎重に貨物ターミナルから離れてゆく。
500メートルほど離れたところで、出発準備のために待機する。
隣に座っているパイロットと、管制官からの指示を待つ。船長は大きなあくびをした。
「今回はどうですかね?」と、パイロット。
「わからん」船長は大声で言った。
1年ほど前から、タンカー出発前の手続きが変更となった。
それまでは出発前に、管制官とじかに会っての打ち合わせがあり、航路データと注意事項についての説明があったのだが、
事務手続の簡略化の理由ということで、打ち合わせは省略となった。
管制官との打ち合わせなしに、乗組員はあらかじめ指定されたタンカーに搭乗し、貨物ターミナルを離れる。
離れたところで管制官から航路データについての指示があり、注意事項についてそのあと説明される。
有人のタンカーは数にして1割もなく、完全自動化された運行に、管制官と乗組員との打ち合わせというアナログな手続きは不要、
というのが表向きの説明ではあったが、果たして今回はどうなるのだろうかと船長は期待した。
航路データが管制室から届いた。
「ビンゴ!」
船長とパイロットは同時に叫んでいた。
データを確認し、座標情報をお互いに復唱し間違いがない事を確認した。
「座標データを確認しました。セット完了」
船長は、とうとう来るべき時が来たかと思った。
管制室から出発前待機の指示が出た。船長とパイロットは再びシートに座り直し、船長は居住室で待機している他の2人に言った。
「これより特別航海に出発する」
軌道データが航路図のパネルに表示されていた。向かうところは太陽に近い地球周回軌道上ではあるが、
その目的とする場所に地球は表示されていない。
「今回の航海の事は他言しないように」
暗黙の了解でしかないことは分かっていたが、他言した場合にどうなるのか。
その事については考えないことにした。
5分後、管制室から出発指示を受け取ると、船長は目的地に向けてタンカーを出発させた。

*     *     *     *

テキサスの空港から、タクシーでまっすぐにそのまま事業団の事務所へと向かった。
途中、高速道路から見慣れた街並みや工場群が見えてきたが、素通りしてさらに北上した。
自分が4年前まで住んでいた家に立ち寄りたいとの思いも頭の中をよぎったが、
自分を戒めるつもりでそれ以上は考えず、先の事についてだけ考える事にした。
ジェシーにも、今回の3年間の仕事については伝えていたが、家に立ち寄ることは伝えなかった。
テキサス州北部の閑散とした土地に、事業団の研修所のような場所があり、
宿舎まで完備したその場所で、今回のミッションに関連した準備や、関係者間での事前調整が行われる予定である。
事業団長官から、今回のミッションについて最初の説明があってから、既に1年以上の月日が経っており、
理沙は届いた資料を片っ端から読み込み、毎週1回の定期的なリモート会議にも欠かさず参加しているのだが、
これまでの1年以上の積み上げはいったい何だったのか、
実のところ、事業団側と軍側との調整は順調とは言えなかった。
事業団側は、軍側からすっかり足元を見られている状態で、軍側に主導権を握られている状態。
軍側の技術者の行動に、事業団側が振り回されている状況だった。
無理もないな。。。。と、理沙は思った。
全ては理沙が軍人時代に築き上げてきた結果であり、いい意味でも悪い意味でも、理沙の軍での最大の成果だった。
そんな事をぼんやりと考えている間に、窓の外の風景は郊外の大農場に変化していた。
研修所まではまだ1時間以上の道のりがあったので、理沙は目を閉じて頭の中の考えを整理することにした。



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