システム起動

エアロックから中に入ると、暗い回廊が広がっている。
女性士官は、気密服のヘルメットに装着されたライトをつけて、あたりを見回した。
ヘルメットに装着されたモニター映像越しに、離れた場所にいる作業司令船の作業員が見守っている。
「では、中央制御室に向かいます」
床を軽く蹴って広いロビーのあちこちを眺めながら、長い通路の方に向かう。
やがてこの場所は作業員や居住者が行き交う場所になるはずだが、
暗くひっそりとして静かなロビーには、まだ彼女だけしかいない。
建設中もこの場所には作業員は一人もいない。
無機質なロボット達が整然とムダのない動きで作業しているだけだった。


*     *     *     *

「これよりユニット起動します」
作業司令船の中央制御室で、女性士官は数名の作業員、同僚の士官と一緒に作業の開始を見守った。
3年前の出来事ではあるが、その後の慌ただしい作業の進行で、つい先日の事のように錯覚してしまう。
船外映像では、差し渡し3キロほどの小惑星が見えているだけだが、その小惑星内で画期的な事が始まろうとしていた。
ユニット起動はごくあっけないもので、小さなシリンダー状の物体からロボットが3体登場しただけ。
中央制御室の中央で作業進捗を示すグラフには、「3」の数字が。
小惑星の映像に重ねられて作業進捗を示すグラフ表示。
作業開始を見守ると、監視オペレーター数名を残して、女性士官と同僚士官、技術者は部屋を出ていった。
その後、数日の間は作業には目立った変化は見られなかったのだが。。。。


*     *     *     *

長くて狭くて暗い通路を、女性士官は覗き込んだ。
今は単なる穴にしか見えないのだが、
近いうちにこの穴にはカプセル状の移動装置が行き交って、交通の足となるはずだった。
シャフト状のこの穴は合計6基。
巨大な円筒状の区画の中で移動装置が動き回り、人員や荷物を運ぶことになる。
穴の中に入り、穴の側面に取り付けられたレールの状態を確認する。
緻密でよい出来栄えだと彼女は思った。
レールに時々手をかけて進む。
通信の状態が悪くなってゆくのは想定したことだった。
司令船からの声が不明瞭になり、彼女は同僚の士官に声をかけると交信を断った。
あとは結果だけを見てくれと言い残した。
「了解。気をつけて」
最後の方はほとんど聞き取れなかった。
女性士官はさらに深い闇の中を進んでいく。


*     *     *     *

小惑星の表面には特に目立った変化はなかったが、作業進捗を示すグラフには劇的な変化が現れていた。
誰が見ても分かる変化はグラフ脇の「1,203,766」の数字。
3体から始まったロボットは自己増殖してこれだけの数に増えていた。
小惑星の両側には数キロメートルも並んだソーラーパネルがあり、生産された電力が小惑星の表面から内部に送り込まれている。
まるで生命力を小惑星の中心に送り込んでいるようにも見える。
小惑星の内部ではロボット達が整然と、しかし人間の目から見れば大混乱さながらの作業が行われていた。
中核となる核融合ユニットのための部品を小惑星の成分から製造し、
働きアリのようなロボット達が製造された部品を、しかるべき予定された場所に運んでゆく。
小惑星内部のモニターの映像を見ていると、働きアリが部品に群がり集まっているように見える。
アリとは違いここでは整然と組み立てが行われている。
個々の働きアリは、作り上げているものの全体像は理解していない。
しかし、アリ同志の横の連携が巨大な構造物を作り上げていた。
集団知能がこの現場を支配していた。
中央制御室では作業を見守っているだけで、個々のロボットには指示はしていない。
ただし、万が一の事態に備えて、作業司令船には重大な役目があった。
最終判断は女性士官にゆだねられている。


*     *     *     *

シャフトのところどころには、要員と貨物のための乗り降り口がある。
女性士官は開口部を出て、再び広い空間に出た。
まもなく中央制御室なのだが、垂直に続くシャフトが見えた。
やがてここには中央制御室へ続くエレベーターが設置されるはずなのだが、
シャフトの真下までやってくると、女性士官は少ししゃがみこんで飛び上がった。
壁を隔てた向こう側には、船体を構成する構造物があり、その先には重水素とヘリウム3を貯蔵するタンクがある。
タンクの中は一部を除きまだ空の状態。先日、タンカーが横づけして重水素とヘリウム3の供給が行われたばかりである。
木星からここ太陽/地球L3への大量の燃料の輸送については、秘密裏に行われた。
タンカーは可能な限りの最小限の人員で操作されて、ダミーの目的地が設定されて、木星出発後に目的地は変更された。
太陽系内の物流を制御し、すべての宇宙船の位置情報を監視している交通システムには、
極秘の行き先など不可能なのだが、大きすぎるウソほど絶対にバレる事はないという論理のもと、燃料輸送は行われた。
女性士官はようやく目的の場所にたどり着いた。
広々とした中央制御室の中は暗く冷たかった。


*     *     *     *

中央制御室の艦長が座るはずの席の場所に、女性士官はたどりついた。
取り囲むディスプレイパネルと、作戦用テーブルがそれらしく用意はされているものの、それ以外には座席もなく、
パイロットのための操作パネルもなかった。
しかし、システムとしては既に完成した状態にあり、起動すれば全システムは動き出すはずである。
艦長席から室内全体を眺める。
この船の艦長になることについては、感慨深いものがあった。
女性士官は、やがてこの席に座るはずの、もう一人の女性の事についても思いを巡らせた。
長い時間が2人の間を隔てていた。
一度は自身も生死の淵をさまよい、ある日突然に目覚めたのだが、見慣れない部屋での目覚めののち、
自分を取り巻く現実を知って、一時は絶望した。
生まれ変わってこれから先も生き続ける事はありがたかったが、知人からは既に自分が死んだものと思われているし、
新しく与えられた仕事中心の生活には自由は感じられなかった。
それでも、生きる事への執着が彼女のただ一つのモチベーションだった。
そして、おぼろげな予感の中で、生きていればいつかは再会できるであろう日の事を待った。
強烈なモチベーションは、やがて成果となって彼女を士官の道へと導き、今ここにいる。
あと少しで再会できるはずだった。
しかし、その相手に対しては自分のことをあえて明かさなかった。
「さて、始めるか」
女性士官は席を立った。


*     *     *     *

全長1,800メートル少々の巨大な宇宙船が、作業司令船の前に浮かんでいる。
昨日、小惑星の中をくり抜いたドライドックから半日かけて引き出されていた。
ドライドックといっても、掘り出された鉱物成分がそのまま宇宙船の部品に加工され、組み立てられたものである。
まだシステムは起動しておらず、動力システムも稼働していないのでライトが当てられている部分以外は闇である。
「予定では、もうそろそろか」
女性士官の同僚士官はディスプレイの映像を眺め、
「交信はまだ回復しないのか?」
オペレーターリーダーは小さく首を振った
「まだです」
予定では、おそらく既に中央制御室にたどり着いているだろうと彼は思った。


*     *     *     *

中央制御室のちょうど真ん中に、作成指揮用のテーブルがあり、立体映像を投影するフラットパネルがある。
女性士官はテーブルに近づき、テーブル脇にある認証用のパッドに手を触れた。
すぐに反応はなかったが、意志を送り込むと、パッド全体がグリーンに光った。
認証OKのサインである。
作戦指揮用のテーブルに電源が入ると同時に、取り囲む壁面ディスプレイにも電源が入った。
システムの状態が表示される。
チェックリスト表示がしばらく続いたが、やがて女性士官の顔写真と軍の認証コードとIDが表示された。
オペレーター用のコンソールはまだないが、システムは確実に起動のためのステップを踏み、動力システムが起動した。
そこで作業司令船からも目に見える変化が起きた。
核融合ユニットが起動したので船体の全セクションに電源が投入され、ライトが点灯した。
巨大宇宙船が活動を始めるのを見て同僚の士官はひと安心した。
そのころ巨大宇宙船の中央制御室では、システム起動後の劇的な変化が始まっていた。
エアフローが作動して暖かい空気が流れていた。
気圧が正常の値になったのを確認すると、女性士官はヘルメットを取った。
ヘルメットがはずれると長い髪が現れた。
ひととおりディスプレイの表示を眺めて、システムの状態に問題がない事を確認すると、待っている同僚士官に連絡した。
「すべて問題ありません」
そのあとは、システムに全てをまかせて艦長席に戻った。
この船に乗って、木星まで公試運転を行い、木星で合流する。
木星で会う事になるもう一人の女性の表情を、彼女は再び想った。



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