核融合ラムジェット機

作業プラットフォームCを出発して2時間ほど経ったが、小さなフェリーに乗っての移動は、
理沙にとってはあまり気持ちのいいものではなかった。
かつて、小さな救命ボートに閉じ込められて、木星周回軌道上を2週間と少々漂流した記憶がまだトラウマとなっていた。
とはいえ、今回は自分一人だけではない。
行政官とともに、核融合ラムジェット機視察のための作業プラットフォームEへの旅である。
一緒に搭乗した行政官とは、初めて会ったその日からすぐに打ち解けて話のできる間柄になっていた。
彼と一緒に仕事ができれば、なんとかうまくやっていけそうだ。理沙はそんな気がしていた。
「コーヒーでもどうですか?」
行政官がボトルコーヒーを持って理沙の席までやってきた。
「なぜかすごく喉が乾いて」
「空調が効きすぎているからでしょう」
カップに注がれたコーヒーを飲みながら、理沙は再び窓の外の木星の雲海を眺めた。
ちょうど昼と夜の境目の部分をフェリーは飛行しているところで、大きな雲の渦が眼下にいくつも並んでいた。
「あそこまで降りていくことになるんですね」
理沙は窓の外を指さした。
「ええ」
シートから身を乗り出して、行政官は理沙が指さした雲海の辺りを眺めた。
「人間が直接降りるのは無理でしょうけど。重力で潰されてしまいます」

*     *     *     *

木星では、数々の新しい案件が動き始めていた。
現在、木星周回軌道上には作業プラットフォームが6つあり、まだ増設が続いていた。
核融合燃料生産事業のための設備は、いったん計画通りに完成したが、
木星を太陽系の要所とするための、次のプランが数年前から動き始めていた。
木星本体は、その強大な重力ゆえに人類の生存には適さず、また強烈な気象条件から作業プラットフォーム建設も難しく、
直接探査すらも難しいだろうと思われていたが、技術の進歩によりどうにか手が届くところまでハードルは下がっていた。
原子力ラムジェット機は大気上層部をかすめるような軌道をとることが可能であるが、
木星本体への飛行となると、強烈な重力に打ち勝つほどのパワーを持った乗り物が必要となる。
作業プラットフォームEへと到着すると、さっそく2人は、格納庫の中で組み立て中の核融合ラムジェット機と対面した。
機体はほぼ完成しているが、要となる核融合ラムジェットエンジンは、まだ組み立ての最中だった。
STUの技術者が数名、そして現場の技術者が数名ラムジェットエンジンの周りで作業中だった。
彼らが作業をしているところから少し離れた場所で、案内役である作業チーフから2人は説明を聞いた。
「エンジンをこれほどまでに小型化するのが、技術的に一番難しいところでした」
宇宙船用の核融合炉ばかり見慣れている理沙にとって、原子力ラムジェット機のエンジンと変わりない程小さな、
核融合ラムジェットエンジンの姿は、非常に驚きだった。
「特にこの熱交換器の部分に苦労しました。核融合ユニットの強力な熱エネルギーを如何にして効率よく、
熱損失なく伝えるか、設計シミュレーションに非常に時間がかかりました」
エンジン部分から離れて、理沙は機体の先端部から全体が良く見える場所に移動した。
まだ耐熱シールドの取りつけが完了していない部分もあったが、準備が完了すればいつでも木星へと飛んでいけそうな気がした。
「いつ頃準備ができそうですか?」
技術チーフは、理沙からの質問に少々困ったような表情をしていたが、
「機体そのものはあと2ヶ月ほどで準備ができるのですが、制御システムの調整に時間がかかります」
その後、2人は機体をコントロールするための操縦室に案内された。
部屋の中央には、戦闘機のコクピットのような席が設置されている。
「これを使って、機体をリモート制御します」
操縦パネルには計器類がまだ取りつけられていなかったが、それでも席は戦闘機のコクピットに似た狭い場所だった。
「人間がここで、機械の一部になってあの機体を直接コントロールします」


機体を自分の体のように直接コントロールする。
理沙は、時々夢の中で見る体験をふと思い出した。
その夢の中での出来事と同じ事を、このコクピットで体験できるのだろうか?
夢の中でのその出来事は、夢の中のはずなのに非常に現実味があり、実際の出来事のように思えてしまう程だった。
理沙はまずコクピットに座り、計器類をチェックした。
[AX003、機体の準備状況を確認]
[AX003、機体の状況問題なし。いつでも出発可能]
伸縮アームに取りつけられた機体が、船外に吊り出された。眼下には木星の雲海。
[エンジンの状態確認]
[問題ありません。マイナス10秒からカウントダウン開始]
動力の状況を示すグラフ表示が順調に伸びてゆく。
カウント表示がゼロになり、機体を係留していたグラブが切り離された。
切り離しと同時に、狭くて小さなコクピットが、全く存在していないように理沙の周りから消え去った。
というよりも、周りの風景を直接見る事ができるようになったというのが表現として正しいかもしれない。
眼下に、木星の雲海を直接見ながら、機体は降下を始めた。
[上層大気へ突入するコースを進んでください]
つい先ほどから、音声の聞こえ方も全く変化していた。
頭の中に直接語りかけてくるような、非常に鮮明な音声で管制官の声が聞こえてくる。
[了解、まもなくエンジン始動します]
エンジンを始動すると、機体と一体となった理沙は木星大気へ向けて急速降下を始めた。


3時間ほどの視察を終えて、作業プラットフォームCへの帰り道、
理沙は、時々見る夢の中での出来事について、行政官に話をした。
「夢の中での事が実現したかと思いました」
技術チーフからコクピットの機能について説明を受けている間も、理沙は身を乗り出してコクピットを覗き込んでいた。
「いつか、自分自身が機体の一部になって、自分の体のように機体を操縦できたらといつも思っていました。
私のようなサイボーグにはうってつけのフライトテストではないかと」
「いやいや、それはやめましょう」
行政官は夢中で話している理沙の事を制止した。
しかし、理沙の高揚した気分はなかなか止まらなかった。
帰り道の途中、行政官は核融合ラムジェット機の今後のテスト計画と、さらにその先のプランについて理沙に説明した。
「木星へのアクセス手段が確立したところで、木星本体へのプラント設置を進める事になります」
メモパッドを開き、彼は先週の会議の場で披露した資料を再び広げた。
「おそらく20年から30年かかる計画になるでしょう。地表のある惑星とは違って、雲の中を浮遊するプラントを設置することになりますから」
プレゼンテーション用の資料では、まずは中核となるブロックの設置から始まって、その次に中核ブロックを取り巻く構造体、
六角形を基本としたブロック構造を徐々に広げてゆき、直径1キロメートルのプラントを構築するというシナリオが提案されていた。
「木星の大気は、有機化合物の宝庫と考えています。核融合ラムジェット機で大気サンプルを採取して分析を行って、
事業として成り立つかどうか判断後に、プラント設置が開始されることになると思います」
理沙の頭の中では、将来のプランが組み立てられていた。
有機化合物の採取と分析後、事業として成立するのであれば、大量の製品を製造して、太陽系内に流通させることもできる。
木星には、衛星エウロパとガニメデ、カリストから採取可能な水があり、木星上層大気からはエネルギー資源のヘリウム3。
豊富な資源というカードに、さらに木星本体から採取した有機化合物というカードが加わることになるのか。
「もしかして、うまくいけば。。。。」
フェリーの窓から、作業プラットフォームCと係留されている巨大宇宙船の姿が再び見えてきた。
「何か気になりますか?」
行政官も、理沙の視線の先を目で追っていた。
理沙は何か言いかけて、やめた。
「いえ、ちょっと気になって」
輸送用タンクをめいいっぱい取りつけたタンカーが、地球へ向けてゆっくりと出発するのが見えた。

*     *     *     *

理沙が船内に戻ったのは14:30を少し回った頃で、15時からの引継ぎ会議には十分に間に合った。
会議室に入ると、大佐と直子、そして理沙の代理として加わった事業団メンバー1人。
理沙たち3人だけでなく、次の管理職、さらには恒星間宇宙船2番艦以降も見据えて、管理職育成プログラムが早速始まっていた。
理沙は引継ぎ会議の場で、早速核融合ラムジェット機の視察についての感想を述べた。
まだまだ先の話ではあるが、木星本体から採取した有機化合物から製品を作るという、技術チーフからの説明にも触れた。
引継ぎの打ち合わせはそこそこで、会議の時間のほとんどは理沙からの話で終わってしまった。
「今日はどうしますか?」
席を立とうとしている理沙を、直子が呼び止めた。
お互いに非番のタイミングには、船内の視察と称した散歩をすることがいつのまにか習慣になっていた。
「そうね。。。。」
理沙は少し考えてから、居住区へ行くといういつものパターンに落ち着いた。
「ゆっくり歩きながら、これから先の事を考えてみたいなと思って」
「これから先の事?」
真顔で見つめている理沙に、直子は何か深刻なものを感じ取ったのか、自然と直立不動の状態になっていた。
「いや、それほどの事でもなくて、直子ちゃん」
理沙は会議室を出て居住区の方へと歩き始めていた。
直子は理沙の後を追って会議室を出た。
この場で、その言い方はやめて欲しいな。。。。と直子は思った。



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