起死回生の案

帰還する者、引き続き残留する者、表情は様々だった。
作業プラットフォームの旅客ターミナルでは、いつもとは全く違い混雑した光景となっていた。
出発待ちをする、旅行カバンをもった人々、コンテナ預けの窓口では受付を待つ人々が列をなしていて、
木星もしばしの間の盛況といった状況に見えたが、おそらく来週になれば閑古鳥の鳴く寂しい場所になる事だろう。
ちょうど地球へと出発した旅客船を窓から眺めながら、行政官は複雑な心境だった。
もしかしたら、自分も見送られる側にいて、ロビーで見送りの人々に手を振っていたかもしれない。
しかし、自分はまだこの場所にいた。
更迭されて地球に強制送還された方が、もしかしたら良かったのではないか。
人員削減で木星の人口は3分の1になってしまう事になるが、この先まだまだ人員削減は続くのか。
そして彼にとっては、地球に残してきた家族の事も悩みのひとつとなっていた。
生活環境が改善されたならば、家族を木星に呼び寄せて一緒に住み続けるということも一時期考えてはいたが、
叶わぬ夢になりそうだった。彼にとってのく木星での単身赴任はこれからもまだまだ続く。
[あたしのことは心配しなくてもいいから]
正直なところ、妻からのその言葉には、意味深なものも感じられた。
[あなたが悪いわけではないんだし、今まで通りに仕事していればいいのよ]
しかし、妻のその言葉には情がこめられていないように思えた。
いつ何時、突然に離婚届が自分の手元にやってこないとも言い切れない。
窓の外を眺めながらそんな考え事をしていたところで、背後から呼ぶ声がした。
振り返ると、理沙が手を振りながらこちらへとやって来るのが見えた。
とりあえず心配事はいったん先送りにしよう、と彼は思った。

*     *     *     *

「人員の再配置は、今週中に完了します」
手元にある会議資料を見ながら、行政官は淡々と説明した。
プラントの管理要員は3分の1になるが、当初の計画段階から、生産プラントは無人での運用も想定していたので、
それほど大きな問題にはならなかった。
プラントのメンテナンスが多少滞る程度で、しかし、その事が理由でシステムが稼働停止してしまうという事はまずない。
作業プラットフォームの設備についても、要員規模が縮小しただけで特段困る事もない。
旅客ターミナルの受付サービス等は、アンドロイドに任せても問題はない。
「それで、今後についてですが」
行政官はそこで少し間をおいてから、管理者メンバーに問いかけた。
「この木星を、いったいどのような場所にするのか。これは当初からの課題でもありますが」
理沙は先ほどから、行政官の表情を気にしていた。
どうも話している内容に気持ちが感じられない。
力と意志が込められておらず、視線もなんだか泳いでいるように見える。
「単なる核融合燃料の生産と物流の拠点とするのか、または居住の地として充実させていくのか」
その時、作業プラットフォームCの管理者が発言に割り込んできた。
「よろしいでしょうか?」
行政官はいったん説明を中断した。
「これは予想されたことだと思います。木星は核融合燃料生産以外に、今のところ特段魅力的な場所ではありません。
作業プラットフォームの設備はここ10年間で非常に充実してきました。木星より遠い場所への交通網も整備されてきました。
しかし、人が住むにはまだまだ魅力が足りない」
この点については、管理者各々では意見が異なるようで、その発言の後会議の場は少々ざわついた。
意見の衝突がいったん収まるのを待ち、行政官は静かに話を始めた。
「確かに、人の住む場所かといえば、まだまだといった感があります」
行政官の脳裏では、まだ妻からの一言が気になっていた。
「家族を呼び寄せて、永住の地としたいかと言われれば、後ろめたさを感じます。ですがしかし」
会議室と、リモートから会議に参加している管理者達を前に、
これから話すことは私の個人的な意見だと前置きしたうえで、行政官はゆっくりと語り始めた。
「そろそろ考えを変えるべき時がやってきたと思っています。自分たちでしっかりした考えを持って」


「なかなか面白い事言ってくれましたね」
会議室を出て、理沙と行政官は宇宙船との間を結ぶ連絡通路まで一緒に雑談するのがいつもの習慣だった。
行政官は会議での自分の発言を後悔しているようだった。
「いや、少々無茶な事を言ってしまったと思っています」
「そうですか?」
連絡通路の入り口で、理沙は立ち止まった。
「私もあなたの考えには同感です。あとはやる気と根気の問題かと」
先日まで、地球へと帰還する人々、見送る人々で混みあっていた旅客ロビーは、今はそんな事がうそのように静まり返っていた。
「私も、当初はもっと賑やかな場所になってほしいと思っていました。木星が太陽系の交通の要所になって、
栄えて欲しいと。私はそんな事を今から50年近く前にレポートにまとめましたが」
連絡通路の動く歩道に乗り、理沙は宇宙船の方に戻って行った。
「では行政官、また明日。ごきげんよう」
宇宙船へと戻ってゆく理沙の後姿を、行政官はしばらくの間眺めていた。

*     *     *     *

開所式から3ヶ月、居住区への入居は徐々に進んでいた。
住宅地区には150軒ほどの住宅が完成し、すぐにすべて入居が完了し、同じような住宅地がさらに2ブロック建設中。
年内には総数で500軒の住宅が完成することになり、総勢1000人以上の人口になる予定だった。
開所式以来、理沙は直子に、居住区で一緒に住むことについて話すことは時々あったが、
本当に住むつもりなのか問われて、及び腰だったのはなぜか理沙の方だった。
理沙には管理ブロックにすでに生活する場所があり、マルチモニターが部屋の中にあって、仕事上便利だという事もあり、
不自由さを感じる事はなかったからである。
それは直子に関しても同様であり、お互いに気が進まないまま入居者募集は締め切りとなってしまった。
非番の時間帯に、2人で居住区を散歩するという習慣は、その後も続いていた。
その日はお互いに口数も少なく、中央通りの商店街の様子を眺めているだけだった。
つい1時間ほど前、2人は会議中に口論になっていた。
地球の議会では、木星を合衆国政府の直轄にするという強行的意見があり、それはエネルギー資源支配の観点から、
他の開発プロジェクト協力各国からの反対に逢うことになった。
安全保障の観点から、軍の代表である直子としては、国の政策に賛成の立場であるが、
事業団側としては、資源開発は国際共同プロジェクトであり一国が独占すべきでないとの見解であった。
政策論争の手先として、2人は喧々諤々会議室の場で戦う事になった。
とはいえ、会議が終わればそんなことは2人の間では無関係。
しかし今日の理沙は、さきほどの議論があまりにも白熱した余韻もあり、頭の中ではまだ考え事をしている状態だった。
「あ、またここに」
直子が通りの向かいにある小さな店を指さした。
先週にはまだ建築中だったその場所が、今日はレストランとして開業していた。
2人はさっそく店の中に入り、コーヒーだけ注文した。
今日はじめての客ということで、店員が2人にいろいろと話しかけてきた。
「先月ここに着いて、居住区に入居者募集をしていると聞いたので、衝動買いのつもりで申し込んでみました」
尋ねてみると、店員は夫と一緒に木星での仕事に期待してやってきたとの事。
木星での生活には不安しかなかったが、僻地で働く人たちにささやかながら心の落ち着く場所を提供したいとの思いの元、
この店を購入し、現場作業員のやすらぎの場になることを込めて、落ち着いた雰囲気の店にしたのだが、
「でも、運が悪かったですね。まさかこの時になって人員削減とは」
国の決定事項とはいえ、理沙は彼女に対して申し訳ない気持ちになった。
「また時間がたてば、人が増えて賑やかになると思いますよ」
その言葉には、そうあって欲しいという理沙の思いも込められていた。


気持ちと意志の問題。
店のテラス席で、2人はその事についてしばらく話をした。
「ここを自分の故郷だと思える人が、これから先果たしているのかしら?」
月と火星には入植地が徐々に作られて、新しい世代の誕生も始まっているようなのだが、
太陽から離れたこの木星を、故郷と思い定住する者がいるのだろうか。
「時間はかかるんじゃないかな。10年、20年では難しくて、50年、100年かかるのかもしれない」
直子のその言葉には同感するとともに、自分の生きている時代に見る事はないかもしれないという、
少々寂しいものを理沙は感じた。
予想している以上に、人間は地球というものの存在に縛られていた。
「ここはすごく居心地いい場所だけど、しょせん地球の風景の再現でしかないんだよね」
天井スクリーンの青空、足元に感じる重力。そして空気と心地よい風。
理沙自身も、3年間の契約で雇われてこの場所にいるわけで、そのあとは地球での余生の事しか頭になかった。
奥のキッチンで、夫といっしょにランチの用意をしている店員の方を眺めながら、理沙はふと思った。
果たして自分は、彼らのために何ができるのだろうか。



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