久しぶりに地球へ

「直子ちゃん、実はあたし。。。。」
多忙な日々が続いたので、居住区画を2人で歩くのは2か月ぶりの事だった。
「3年間の契約なのよ」
「えっ。。。」
ほとんど同時に、2人は立ち止まった。
次の言葉がなかなか出てこない直子。そんな彼女の反応を理沙は待っていた。
「来年の2月いっぱいで、その期限が切れるんだけど」
2人は近くの公園に入り、ベンチに座った。
「契約書に明記されているわけじゃないのよ。あくまでも私と長官との間での口約束」
「今のポジションを降りるわけ?」
直子の口からようやく言葉が出た。
「問題あるかしら?」
理沙は今まで2年間かけて整えてきた、事業団側の要員育成の状況を説明した。
「最初の頃は、あなたたち軍側に負けていたけど、あたしの厳しい要求にみんながきちんと応えてくれた。もう心配ないと思う」
直子は何か言おうとしているのだが、次の言葉が続かない。
「地球に戻って、静かに暮らそうかと思って」
理沙はベンチから立ち上がり、再び歩き始めた。
その後を直子は追いかける。
「地球に戻って、どうするつもり?
直子のその口調には、許してなるものかという強い意志のようなものがあった。
しかし理沙は、そんな事などまったく気にしていない。
「自分のやりたいように暮らしたいと思って。大事な店もあるし」
2人の会話は、そのあとしばらくの間途絶えたが、
やがて、理沙はレーザー発振設備のプランのとりまとめ状況について話し始めた。

*     *     *     *

その年の年末を、理沙はレーザー発振設備プランの推進役である技術リーダーと、仕事時間のほとんどを過ごしていた。
毎日の中央制御室での当直も、後進達のシフト体制の確立とともに解放された。
理沙は、木星に住む人々の将来を考えこのプランを推進するのだと、事あるごとに管理職会議の場で力強く語った。
「このプランが成功するかどうか、それが1万人の居住者たちの将来を左右します」
プランの内容は精査され、STU技術部門の助けも借りつつ、大出力レーザー発振設備の仕様はほぼ固まった。
60基用意すれば恒星間に探査機を送り込めるという見通しも立った。
しかしながら、事業団の力を借りる必要があり、さらには議会の承認も必要となる。
「そこで、技術リーダーを事業団本部に派遣したいと思います。直談判してもらいます」
年明け早々、プランを引っ提げて事業団本部に乗り込むという半ば強引なプランは、
理沙の意見に押されるような形で管理職会議の場で進められた。
そんな会議の流れを、直子は冷めた目で見つめる。
事業団の諸事情や政治勢力に詳しくはなかったが、理沙の考えているプランに政治家はやすやすと乗ってこないと直子は思っていた。
ドロドロした不可思議なロジックに翻弄されるだけだ。
そんなことを直子が考えている中、理沙は再び唐突に言った。
「私も、彼と一緒に地球に行きます。タフな交渉になるものと思いますので」
「私は反対です」
間髪入れずに直子は口を挟んだ。
「どうかしました?」
理沙は彼女の方に振り向き、まるで初めてそのことを聞いたかのように唖然とした表情を見せた。
「責任者であるあなたが、現場を長期間離れるとはどういう事ですか」
何週間か前の、2人だけの会話をこの場でぶり返したいのだろうか。
しかし、理沙は淡々と対応する。
「事業団メンバーの中では、すでに調整がついています。職務代行の体制もできていますから、それと。。。」
例の3年契約の話を皆の前でするのだろうかと、直子は心の中で身構えた。
しかし、理沙はその事を持ち出すことはなかった。
「トップが交渉に加わるのは当然の事だと思います。1万人の居住者の将来を左右するわけですから」
直子がそれ以上意見を述べる事はなく、その後、理沙と技術リーダーの地球出張の予定は多数決で承認された。


年末に荷物をまとめ、年明けになるとコンテナに必要な荷物を詰め込み、
あっという間に出発の日はやってきた。
理沙は中央制御室に行くと、スタッフ皆に挨拶をして、そのあと旅客ロビーから連絡通路を抜けて作業プラットフォームに入った。
相変わらず閑散としている旅客ターミナルに、大佐と直子の2人だけが待っていた。
技術リーダーはようやく荷物をまとめ終えたところで、旅客ターミナル到着にあと10分ほどかかると連絡が入った。
「別にそんなに慌てる事ないのに」
出発表示案内には、地球行きの連絡船の案内が1行だけ。しかも、出発まであと2時間も余裕がある。
技術リーダーを待つ間、理沙は直子と一緒に地球への道中の事、最近さらに厳しくなった検疫のことを話していた。
「警戒する心境はわかるんだけどね」
隔離と検査に、今まで3日を要していたのが、年明けから7日間になったとの事。
「警戒する対象が間違っていると思う。地球外からの未知のウィルスなんで、とんだ迷惑だよね」
理由のわからない、とにかく地球外に居住する者に対する異常な警戒モードについては、政治的プロパガンダも多少はあるのだろう。
そのような警戒された雰囲気の中で、非常にデリケートな内容の交渉をしなくてはいけないのである。
「まぁ、あたしは淡々と進めるけどね」
ようやく技術リーダーがやってきた。
理沙は大佐と固く握手を交わした。
「何かあった時には、よろしくお願いします」
すぐそばに立っている直子が表情を変えて、何か言ってくるだろうと理沙は思ったが、特に何もなかった。
いつものように穏やかな表情だった。
直子の方に向き直り、理沙は彼女の事を抱きしめた。
ほんの数秒ではあったが、ここ最近の緊張状態は忘れて、しばしの別れを惜しんだ。
「じゃ、行ってくるね」
理沙と技術リーダーは搭乗口から旅客船に入った。


「やっぱり旅客船はいいわね」
理沙は自分のボックス席に入り、手荷物を扉付きの棚に入れてさっそくシートの感触を堪能する。
隣のボックス席から、技術リーダーが理沙の事を覗き込んできた。
「行きは窮屈で、帰りは豪華な席でよかったですね」
「まぁそうね」シートにめいいっぱい足を伸ばして、理沙はさっそくくつろいでいた。
探査船「エンデヴァー」の頃から数えると4世代目。重力がないことを除けば優雅な客船での生活である。
「そうだ、それと今日からあなたは」
ふと思い出したように理沙は言った。
「今回のプロジェクトの提案活動を推進する、実施主任の立場になります」
そんな事は聞いていません、と彼は言った。
「私が行政官に提案して、さっそく承認されました。今日付けであなたはプロジェクト実施主任です」
なんとも無理やりな、とあまり快くは思っていないようだった。
そんなところへ、客室乗務員がやってきた。
出発まではまで1時間以上あったが、船内を点検して回る途中、数少ない客に対して最高のサービスを提供しようと、
彼女は2人に食事の注文を聞いてきた。
「お二人は、今年初めてのお客様です」
かつては、300人収容できるファーストクラス仕様の席も、今は閑散としていて、荷物の輸送がなければ完全に赤字状態。
国の方針に振り回されて現場の人口は減らされ、ここ最近は新型感染症の影響で地球は半ば鎖国状態。
「地球までの50日間の道中、どうぞごゆっくりお過ごしください」
50日かけて到着しても、鎖国状態の地球で私たちは歓迎されるのだろうか?
客室乗務員が軽食を持ってくる間、ふとそんな事を思った。
外の景色を眺め、通路隔てた向かい側の旅客ターミナルの方を見たが、既に大佐と直子の姿はなかった。
通路を渡ればすぐにでも戻れる、ほんのちょっとの距離なのだが、
自分はもう、隔絶された世界にいるのだという事を理沙は実感した。
届けられた軽食を、技術リーダーと一緒に食べながら、地球での段取りについていろいろと語っている間に、
出発時刻はいつのまにかやってきた。
[出発10分前になりました。乗客の皆様は座席に戻りシートベルトを装着してください]
理沙は座席に再び座り、シートベルトをしっかりと装着すると、
いつものように目を閉じて、深呼吸をする。
そして、昨日の直子との会話を再び思い起こした。

*     *     *     *

「もしかして、戻ってこないという事は?」
直子からの問いかけに、理沙は少しだけ考えてから、
「あり得るかもね」
予想通りというか、しかし、そうあって欲しくないという気持ちからか、直子の口調が少しだけ厳しくなった。
「職務放棄という事ね」
理沙もまた、真顔で直子の事を見つめた。
鋭く冷たい空気が、しばらくの間2人の間を漂っていた。
「もう、やることは全てやったという気持ちだね」
士官会議の時刻まで残り10分ということで、直子は会議室へと向かっていった。
「ちゃんと、帰ってくるのよ」
そう言い残した彼女を、理沙はその姿が見えなくなるまで眺めていた。

*     *     *     *

旅客船は旅客ターミナルを離れ、やがて木星周回待機軌道へと移動していった。
シートにしっかりと座り、理沙はじんわりとした加速を全身で感じていた。
今回は待機軌道が混雑していなかったので、待たされる事なくすんなりと旅客船は地球へ向けての加速することになる。
昨日、直子が言い残した、少々きつい口調の言葉がまだ頭の中に残っていた。
もしかしたら木星に戻ってくる事はないのでは?
人間の生存には適さない過酷な世界ではあるものの、木星には既に1万人の人々が住み、生活をしていた。
理沙は改めて、そんな世界に対して愛着と未練を感じているのだということをその時実感した。



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