制裁開始

「では、会議を始めます」
画面の向こう側の3人、行政官と大佐と直子の姿を確認し、
理沙は一方的に話を始めた。
「作業の状況について、皆さんからの報告を読みました。順調だということですね」
進捗報告と称した、各セクションからの作業の進捗状況をとりまとめたものは、毎日決められた時刻には理沙の手元に届き、
内容はすべて目を通しているので、お互いに改めて内容に触れる必要はない。
「課題としては、有機化合物プラントの件ですね。小惑星の調達が予定通りにいかないかもしれない」
自給自足を目的として始めた、今年の始めから着手しているいくつかのタスク、
カリストからの水の調達、6つの作業プラットフォームの生産設備の拡充、この2つについては順調だったが、
もうひとつの、トロヤ小惑星帯からの資源調達については、輸送船の燃料手配の関係で遅れていた。
ヘリウム3と水素は、地球での消費のための輸出用が第一優先であり、木星での消費用は優先度が下げられていた。
今年中にはトロヤからの資源調達に着手したいと考えているものの、先行きは不透明。
輸送スケジュールについては、いまだに地球側のコントロールされてしまっている状態である。
「時期がきたところで、私達から先手を打つのか。でも、そうしたところで私たちの首を締めるだけか」
そこで理沙はひと呼吸して、次の言葉を選ぶために少しの間考えた。
行政官の画像の下に赤いランプが点滅した。発言要求である。
「制裁開始が、もうすぐだという情報もあります」
その件は、理沙が地球を出発する頃にはかなり確度の高い話題になっていた。
「地球が木星の核融合燃料資源に依存しているように、私達も地球側からの食料供給に依存している」
その意味ではお互い様のようなものである。
木星の約1万人の居住者たちは、輸送船が運んでくる食料含め、日用品調達についてはまだ地球に全面的に頼っている状態である。
「あと半年で、水については自給体制が整いますが、あとは有機物の調達だけ。閉鎖リサイクルだけでは限界が」
そのあとは、直子からのいくつかの事務的な連絡事項があった。
会議の最後に、理沙は締めの言葉を述べた。
「通信タイムラグも、今週中には2分以下になると思います。そろそろリモート会議モードに切替したいと思います」
まもなく連絡船は、木星への減速ステージの準備に入ろうとしていた。

*     *     *     *

ヘビーリフターが衛星カリストの表面に着陸しようとしていた。
見渡す限りの氷の平原。
しかし、ところどころに巨大なクレバスがあり、ヘビーリフターはその割れ目を避けて、平坦なところを目指している。
2人のパイロットは、狭いコクピットの中で画面越しに氷の平原を眺めていた。
機体を180度反転させ、噴射口を進行方向に向けると、減速噴射を始める。
画面上のシステムのチェックリストに、基地との機械的な会話のやりとりが表示された。
[高度4万メートル。減速順調]
氷の平原のかなり先の方に、光の点滅が見えてきた。
カリストの水精製プラントである。
先月にようやく稼働を始めたばかりである。
パイロットは、水精製プラントのカリストへの設置作業のことを再び思い出した。
3機のヘビーリフターが編隊を組み、精製プラントの中核モジュールを衛星軌道上から表面へと降ろした日の事である。
彼は、相棒のパイロット、そしてシステムの助けも借りながら、3機のヘビーリフターを操った。
1万トンもある中核モジュールを、3機のヘビーリフターで支え、バランスをとりながら、
カリストへの着陸に向けて減速してゆくのである。
「こちら、カリスト基地」
しばしの間に物思いにふけっていた彼は、基地からの通信で現実に引き戻された。
「今日の荷物は?」
「今日の荷物はありません」
しらじらしく言ってくるものだと彼は思った。
しかし、今日は前回の精製プラント設置と比べると非常に楽な仕事だった。
「精製した水を頂きに参りました」
了解。そう言うと基地スタッフからの交信は一方的に終わった。
パイロットは再び、画面上のシステムの機械的な会話を見守った。
[高度1万2000メートル。着陸脚の準備]
減速がさらに進み、パイロットの体は徐々にシートに沈み込んでいった。

*     *     *     *

「明日の19時には、予定通りにそちらに到着します」
いつものように作業の進捗を確認し、特に会話すべき事もなければ今日の仕事はこれで終わりにしようと理沙は思った。
船は減速ステージがかなり進み、木星の姿は目視でも確認できるところまで接近していた。
「カリストからの精製水の輸送が始まりました。特に問題なし。作業プラットフォームCへの輸送は完了しています」
リモート会議モードを再開したばかりで、まだ会話が少々ぎこちないが、ほぼリアルタイムで会話できるのはありがたい。
いつものように、直子からの連絡事項のあとは、理沙からの締めの言葉である。
「ほぼ一年近く、木星を離れていたわけですが、現場に戻ったら早速この先に向けたプランを始動させます」
結局のところ、これから先の木星の事を考えた、レーザー発振基地プランの提案は地球側に却下されたが、
まったくの成果ゼロというわけではなかった。
規模は縮小となったが、スタディと称してパイロット版のレーザー発振基地が作られることになり、
建造するにあたり業者からの後ろ盾も得られた。
事業団が実は一枚岩ではなく、個々の利権で蠢いている生き物のようなもので、
彼らを騙しながら利用するための裏技も知った。
理沙個人としても心の整理がついて、これからはしっかりと腰を据えて木星での仕事に集中できるようになった。
ゆっくりと眠ることができるのも今日が最後になるかもしれない。
会議を終えると理沙はすぐにベッドに入り眠りについた。


時間の感覚すら不明になるほどの、深い眠りに入ってしばらくしたところで、突然アラート音で理沙は起こされた。
時計を見ると、寝ていた時間は2時間ほど。
しかし、1日以上寝ていたのではないかと思えたほどだった。
携帯端末の画面を見ると、管理職ホットラインに緊急メッセージが入っていた。
開くと、直子からのコメントとともに、合衆国大統領の声明を扱ったニュース映像が始まった。


[地球は、長い感染症との闘いを終えて、復興へ向けて歩みを始めています。
闘いのあとには膨大な数の犠牲者が地上を埋め、経済は縮小し、物流は停滞し、
生き残った人々の心にも、消える事のない傷を残しました。
恐ろしい記憶はこれからも残るでしょう。
しかし、私たちは次へと歩みを始める事ができます。前向きな気持ちになることができるのです。
やらなければいけない仕事は山ほどあります。
荒れた土地を整理し、瓦礫の山を片付け、道に散らかったゴミの山を掃除し、部屋を掃除し、気持ちの整理をしましょう。
皆さんの協力が必要です。
一人では出来ない事も皆が集まり協力することで成し遂げることができます。
住む場所に関係なく、生い立ち、主義主張に関係なく、力を合わせる必要があります。]
始まりは、ごくごく当たり前の声明だった。
しかし、なぜこのタイミングなのかという点で理沙は違和感を覚えた。
声明が進んでいゆくにつれて、理沙のその予感は的中した。
[復興のための具体的なプランは策定中ではありますが、要点についてはこの場で説明します。
復興にあたり、広く人材を招集します。
特に大量のエンジニアを必要としています。
例えば、太陽系開発のために大量の人材が今までに投入されてきましたが、
その優秀な技術力を、今度は地球の復興のために役立ててもらいたい。
エネルギー関連技術、物流の技術、生産管理。期間限定でもいいのです。
関係する方々の、積極的な参加を期待しています]
名指しはしなかったものの、明らかに木星や火星の居住地に対してのオファーと受け取れるような内容だった。
大統領は、いったい何時から人材スカウトマンになったのだろうか?

*     *     *     *

ある者は自分の部屋で食事中に、壁面ディスプレイの映像を見ながら。
またある者は当直の時間中、マルチモニター画面の映像を見ながら。
閑散とした旅客ロビーの、到着/出発便表示の画面の隣にもニュース映像が表示されており、
2人の作業員が大統領の演説に注意を向けていた。
演説は20分ほどで終わったが、その日を境にして木星の現場の空気は微妙に変わっていった。



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