行政官選挙

職務継続不能との判断が下された行政官。
体調の問題もあったが、高齢でもあり、赴任当初からその点が疑問とされており、今回交代の判断が下された。
さっそく地球へ向けての高速艇がチャーターされた。
旅客ロビーに横づけされているチャーター船を見て、理沙は悪い予感がした。
「まさか、あの船は欠陥品じゃないの?」
10年前、制御システムのトラブルで事故に巻き込まれ、理沙だけが救命ボートで生き残った、あの高速艇と同型式であった。
「いえいえ」
船長は、すでに原因は突き止められ、対策も終わっており、既に5年の安定稼働の実績があること。
理沙の懸念は解決済みであることを淡々と説明した。
「そうですか」
理沙は船長に納得したような素振りを見せた。
あの事故の真の原因については船長は知るはずもない。
ちょうどその頃に、行政官が出発ロビーに到着した。
副行政官が彼の事を支えていた。副行政官は前日にも行政官の体調を心配しつつ、ロビーまでは見送ると言っていた。
敬意を表しつつも、行政官の事を支えている彼の事を、理沙はじっと観察していたが、
行政官の方はといえば彼とは視線を合わせることなく、理沙の方だけを見つめていた。
理沙の前にたどり着くと、行政官は手を差し出してきた。
理沙は彼の手を握りしめる。
「前に頼んだ件、よろしく頼みますよ」
「わかりました」
30分後、搭乗口は閉じられ、高速艇はゆっくりと旅客ロビーを離れた。

*     *     *     *

翌日には、副行政官が行政官に昇格することになった。
理沙は、新任の行政官から、政府からの信任状を見せられた。
「これからも、どうかよろしくお願いします」
その日の午後の管理職会議の場で、新任の行政官は管理職全員を前にして挨拶をした。
今まではあまり目立たない存在であったので、これからの手腕は未知数。と言いたいところではあるが、
昇格する以前から、理沙の耳には彼に関するあまり良くない評判ばかりが入っていた。
まずそもそも、何をしたいのか強い意志のようなものが見えない。
前任の行政官は、軍での士官を経験したのちに、政府の役人経験があるものの、新任の行政官には軍士官の経験はなし。
とはいえ、そんな役人は世の中にいくらでもいるが。
その正反対な性格、現実施主任のような、現場あがりで技術力がある等の光るものもない。
管理職会議での挨拶にも、理沙は何も心を惹かれるものがなかった。
「人格としては、特に問題はないんだけどね」
会議が終わり、理沙は隣に座っている実施主任に言った。
「だからこそ、政府に選ばれたんでしょう。手足として動いてくれる人間を」
会議テーブル正面の直子と目が合った。
意味深な笑みを浮かべて、何か言いたそうな様子である。
しかし彼女は立ち上がると、2人に語りかける事もなく、そのまま会議室を出て行ってしまった。


2日後、行政官就任にあたり、新任の行政官からの演説。
理沙は当初、自室でその演説を聞くつもりでいたのだが、ふと気になって部屋を出て管理ブロックの休憩室へと行った。
そこには職員が数名、演説を視聴していた。
理沙は少し離れた場所から彼らの様子を見ていたが、漏れ聞こえてくる会話は、あまり聞こえのいいものではなかった。
どちらかといえば批判的なものであった。
[現場の事、何も考えていないんじゃないか?]
[どうせ、政府の手先だよ]
[また政府の言いなりになって、リストラするんじゃないか?]
その漏れ聞こえる会話を少し聞いただけで、新任の行政官が歓迎されていないことがすぐにわかった。
すべての職員が、同じ思いであるとは言い切れないが、現場の空気は明らかに悪化している。
現場の業務自体は淡々と今まで通りに動いている。
核融合燃料生産はノルマを淡々とこなし、タンカーは今まで通りに定期的に地球へと出発し、その点では全く問題はない。
しかし、何かが足りない。
現場にはいつの間にか静かではあるが反抗の空気が漂っていた。


宇宙船の管理ブロックで、職員のちょっとしたいざこざから始まったトラブル発生、との連絡があり、
理沙は現場である会議室へと向かった。
職員2人が、何やら口論していたようで、まわりの職員がなだめていた。
理沙が会議室に到着すると、口論していた2人は姿勢を正して理沙の方に向き直った。
「どうかしたのですか?」
互いに目配せして、なかなか口を開こうとしなかったが、やがて向かって右側の男が言った。
「私たちの先行きの事で、つい口論になってしまいました」
それならば、常時意見は受け付けているのでホットラインに上げてください。と理沙は言ったが、
「ですが、果たして受け止めて下さるのか。何も変わらないのではないかと心配で」
これも、氷山の一角だろうと理沙は思った。
今回のように、目に見えてトラブルとなって表面化してくれた方がわかりやすい。
かえって、心の中でくすぶっている方がたちが悪いと、理沙は思っていた。
ホットライン上に流れているメッセージを見ていると、煮え切らないような思いを述べているものが目立っていた。
その事に対して、動きが速かったのは直子だった。
大佐と連携して軍側スタッフの規律と士気向上のために、次々に的確な指示を発信していた。
行政官の事を特に気にすることもなく、現場の規律がなによりも優先事項である。
しかしそれが、かえって逆効果になってしまった。

*     *     *     *

「即刻、勝手な行動は控えて欲しい」
事業団長官からの久しぶりでのメッセージは、理沙に対する苦言から始まった。
「立場上あなたは、行政官ときちんと連携して動いてもらいたい」
10分ほどのメッセージの中で長官は、軍側のある意味勝手な現場行動で、現場の規律は乱され、
どこから漏れたかその情報は合衆国大統領にも伝わり、長官は真夜中に大統領に呼び出されたとの事。
行政官とは今のところ日々きちんと連携して行動しているというのに、と理沙は心の中で思ったが、
現場の言動が、結果として表面化して目立ってしまったようである。
もう少し、やり方を変えるしかないかと思ったところで、理沙はその日は床についた。
翌日からは、少々気持ちを入れ替えて、行政官と現場をひとまとめにして人間関係を再構築するつもりで仕事に臨んだ。
その後、毎日チェックしているホットライン上のメッセージ内容も、徐々に平静さを取り戻してきたので、
理沙はとりあえずは安心した。
管理職4人で連携して、人員減少後のワークバランスの改善を目的として、人員の再配置も行うことにした。
対応は淡々と進み、1か月ほどかかった人員体制の見直しの期間中、現場はそれまでと比べて異様なほどに静かだった。
毎日の管理職会議も淡々と進み、これで長官が再び大統領に呼び出されることもなく、落ち着いて眠れるだろう、
そんな安堵感を抱いていたある日、自室でゆっくりとくつろいでいると直子から突然に呼び出された。


会議室に到着すると、直子と何人かの管理職が集まっていた。
会議テーブル反対側の席には、現場の職員の姿が数名。
理沙が知っている職員もその中に含まれていた。
いったい何が起きたのかと、理沙は彼らの表情をしばらく眺めていたが、直子に促されて彼女の隣の席に座った。
「彼らが、あなたに話したいことがあるようです」
直子の口調は、いつも雑談するときの彼女とは異なり、軍士官の威厳のあるものだった。
行政官の姿がないことに、理沙はそこで改めて気がついた。
「お願いがあります」
理沙のちょうど正面に座っている、管理セクションのリーダーが言った。
「行政官を、私たちの判断で選びたいのです」
ふと直子の方に視線を向けると、彼女もまた理沙の方に視線を向けていた。
どうしますか?と言いたいような表情だった。



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