戦闘スタンバイ状態

作業プラットフォーム、D、E、Fにて組み立てが行われていた、レーザー発振基地が完成した。
長さと幅がともに200メートル以上あり、遠目には翼を広げた鷲のようにも見える。
広げた翼のように見えるのは、木星のプラズマ高エネルギー帯からのエネルギーを、電力に変換するための装置。
動作原理は、レーダーのアンテナとほぼ変わりはないが、雷のように不安定で高エネルギーの空間から、
直接電力を収集する仕組みである。
電力は、大容量のキャパシタ内に貯蔵され、レーザー発射の際のエネルギー源となる。
レーザーの最大連続発射時間は10分間ほど。
しかし、その10分間のレーザー照射の際に放出されるエネルギーは、1つの大都市が必要とする電力に等しい。
「これから木星極軌道に向かいます」
3つのレーザー発振基地は、推進システムにより徐々に1ヶ月ほどかけて、木星の北極と南極を通る極軌道へと向かう。
すると、静かな中央制御室に、音楽が流れ始めた。
重低音の、腹の底に響くようなドラムの音、その次にトランペットの心を躍らせるような音。
中央制御室のスタッフは皆、突然の出来事になぜかあたりを見渡した。
そんな中で、理沙は艦長席で腕組みして、その音楽を満足そうに楽しんでいた。
これは理沙があらかじめ仕組んだ演出だった。


その30分後、地球各国のニュース映像に、レーザー発振基地の出発映像が登場した。
そして、理沙たちが聴いているのと同じあの音楽が流れ始めた。
いったい何事が始まるのかと、報道のスタッフ達は慌て始めた。
これは開戦宣言か?
映像が、木星の巨大宇宙船の中央制御室からの映像に切り替わる。
スタッフ達は皆拍手をしていた。
一番目立つ場所である艦長席には、理沙の姿が。腕組みをして満足そうに頷いている。
結局のところ、特にナレーションも理沙からの宣言もなく、15分ほどのセレモニーといった形で映像は終わった。
なんだ、これは単なる演出なのか?と見ていたディレクターは思った。
しかし、一般の市民は違った目で見ていた。
政府施設、大統領府の前でデモ活動をしていた人々は、拍手喝采をする者もいれば、
さらに血気盛んになって雄たけびを上げる者も。両者は激しく衝突した。
そしてこれが理沙が本当に望んでいた事だった。
映像を配信して1時間半後、理沙は地球からの反応に満足すると、中央制御室スタッフ達に言った。
「これで第一段階は終わりました。引き続き第二段階に向けて準備を進めてください」

*     *     *     *

「大統領」
補佐官が執務室に入ってきた。
「彼ら、やはり心理戦に出てきました」
「そのくらい、見ればわかる」
できるだけ、平静さを保とうと努力しているのだが、やはり気持ちが落ち着かない。
文章を書く手を止めて、大統領は顔を上げた。
「気持ちを捉えるのが、非常に上手いようだね」
少し前までは、核融合燃料供給を止めるとは何事だと、世論は木星の人々への否定的な意見でまとまっていた。
徐々にその空気が変わってきたのは、理沙が公式の場に登場する機会が増えた頃からである。
静かな口調で、理論整然と説明する彼女の姿に心動かされたのかもしれない。
木星の住人たちの置かれている立場について、過酷な現場で働いている人々の当然の権利主張のため、
その彼女の発言に、人々の深層心理にある何かが動かされたといった方が良いだろうか。
木星の住人は、単なる敵ではない。
闘うべき真の敵はいったい誰なのか、気づいた者と既成概念に捕らわれている人々との間で、分断が発生した。
「残念ながら、私からの問いかけにも彼女は反応しなかった」
理沙に対して、脅しと逃げ道を与え、1万人の住人の命を脅かしてやれば、
火星の居住地のようにあっさり投降するだろうと大統領は考えた。
火のついたように怒っている一般市民を味方につけてしまえば、あとは怖いものはないだろう。しかし、
「追い詰められたのは、まさかこちらだったとはね」
補佐官の口元が、微妙に緩んでいるのを大統領は見逃さなかった。
睨みをきかせた目つきで、大統領は補佐官を見つめる。
「失礼しました」
補佐官は小さく頭を下げた。
そして今後の行動について、彼は大統領に問いかける。
「ようやくここで、隠し玉を使いますか?」
大統領はしばらく考えていた。しかし、結局のところ次の命令は出なかった。


世論は、木星への制裁に賛成、反対がちょうど拮抗した状態になってきた。
新型感染症で経済が疲弊し、日々の生活にも困っている状況の中、
経済回復を支える核融合エネルギーを自分たちのものとして独占するとは何事か、
といった当初は国の制裁に肯定的な意見がほとんどだったが、
やがて、木星の現場の人間が置かれている立場と、主義主張を知ることになり、ひとつの疑問が生じた。
果たして地球国家の木星管理区に対する制裁は正当なものなのか?
地球のエネルギー資源を支えるフタッフであるとともに、
彼らも私達と同じ市民であり、生きる権利を主張してもよいはずなのでは。
政府機関、大統領府へデモ行進をしている人々の怒りの矛先は、木星の住人たちから、徐々に地球政府へと変わっていった。
この状況に置かれて、国は何もしないのか。
大統領に対しての、世論の声は徐々に強さを増し、その内容は過激かつ強烈なものに変化していった。

*     *     *     *

理沙は次の一手を用意していた。
レーザー発振基地は、予定した木星極軌道に到着し、木星の高エネルギー帯を通過するたびに、
キャパシタには収集された電力が貯蔵されていった。
「そろそろいい頃かしら」
中央制御室で、理沙は3つのレーザー発振基地の電力貯蔵量を確認すると、実施主任に声をかけた。
「ターゲットにちょうどいい所、ないかしら?」
半日ほどで、実施主任は理沙にプランを提出した。
「これをターゲットにするのはどうでしょう?」
木星のまわりを周回する小さな氷衛星のデータを、彼は理沙に説明した。
「単に性能を示すだけであれば、これで良いかと思います」
少しの間考えてから、理沙は頷いた。
「これでいきましょう」
3つのレーザー発振基地の電力貯蔵が完了し、スタンバイ状態であるとの連絡が理沙にもとに届いた。
実施主任のプランに基づき、ターゲットの情報が3つのレーザー発振基地に連携され、カウントダウンが始まった。
「今回も、BGMは決めているの?」
腕組みしてカウントダウンを見守っていると、すぐそばにいた直子が言った。
「そうね」
理沙は表情を変えずに、ディスプレイの表示を眺めていた。
「たぶん、もうそろそろよ」
直子もまたディスプレイに表示される、3基のレーザー発振基地の軌道情報を注視する。
すると、軽快な調子の音楽が流れ始めた。
この場には似合わないと、直子は苦々しい表情になったが、理沙はそんな事にはお構いなし。
「ターゲット設定」
理沙がそう言うと、前列のスタッフが復唱した。
「設定完了しました。カウントダウンを始めます」
ディスプレイに表示される軌道情報と、3基の発振基地からの映像とを交互に眺め、問題ないことを確認し、
表示下のカウントダウンの数字に注目する。残りあと1分。
「この音楽どう?」
唐突に、理沙は直子に尋ねた。
発振基地が、予定軌道に向かう時の音楽もそうだったが、こんな緊張した状況において、
クラシック音楽は非常に不似合いなものだと直子は思っていた。
しかし、軽快なこの音楽に合わせてスタッフが動き、レーザー発射に向けて着々と準備を進めているのを見ると、
案外ミスマッチではないように思えてくるのだから、不思議なものだ。
「まぁ、悪くはないわね」
残り10秒。そしてしばらく間をおいてカウントゼロ。
強烈なレーザーが数秒間発射されて、数秒後にはターゲットの氷衛星に到達する。
ディスプレイ表示右下の、氷衛星を捉えた映像がクローズアップされる。
クローズアップされた次の瞬間、衛星右上の部分が光り輝き、弾け飛んだ。

*     *     *     *

軽快な音楽に、一時は店内は沸き立ったが、
木星からのレーザー発振基地の性能テスト映像に、皆の表情はひきつった。
ニュース映像はそこまでだった。
理沙を応援する気持ちで盛り上がっていたのが、もしかしたらこのまま戦争に突入するのではないかとの怖れに変わる。
ニュースの解説者は、今後の世の中への影響について語っていたが、静かになった店内に異常に響いた。
初老の社長が店に入ってきたのは、ちょうどその時だった。
30分ほど前に、れいなが彼に声かけていた。初老の社長はカウンター席に座る。
木星からのニュースはまだ続いていた。ところどころ、理沙の先日の会見の映像が入る。
その映像を見ながら、しばらくの間初老の社長は何も話さなかった。
れいなは彼の前に、ウィスキーを注いだグラスをそっと置いた。
ニュース映像から目を離し、彼はれいなの方を向いた。
「また、帰ってくる日が先延ばしになりそうね」
彼は頷いた。
そのまま無言の時間が続いた。
その間、れいなはどうやって話を切り出そうかと迷っていた。



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