征服のための出撃命令

以前から、理沙はなんとなく気づいていたが、
直子から具体的に説明を受けて、今まで不明だった事がひとつの糸により束ねられしっかりと繋がった。
理沙が今見ている光景は、精巧に作られたイメージではなく、現実の世界での出来事である。
そしてシステムに接続し拡張された感覚により、その光景を目撃していた。
光の洪水のように見えているものは、宇宙船内のシステムインターフェイスから、外部への通信を経由し、
地球へと向かう基幹系情報ラインである。光の速度で2人はまず地球へと向かう。
しかし、光の速度でも地球までは30分ほどの時間がかかる。
その間、実体としての理沙は意識が止まるという事はなく、引き続き中央制御室で職務をいつも通りにこなし、
会議室で管理職からの報告に注意を向け、職務が終われば自分の部屋へと帰る。
もうひとりの理沙が、直子とともに光の速度で移動し、地球へと到着した。
[着いちゃったわね]
ワシントンDCの高台にあるカメラから、2人は政府関係の施設を見下ろした。
[とりあえず、これからどこへ?]
理沙は直子に尋ねた。
[とりあえず、ホワイトハウスでの動向を探りに]


一方、政府の日々の動向に注意を向け、会議室でその日に向けて対策を進めている理沙は、
地球政府がいつ木星に向けて兵を向けてくるのか、どんな小さな兆候も見逃さないつもりでいた。
ふと、会議テーブルのちょうど正面に座っている直子と目が合い、ほんの一瞬気を失いかけたが、
すぐに持ち直し、実施主任からのレーザー発振基地の準備状況報告に耳を傾けた。
「ターゲットが有効圏内であれば、高速な飛翔体、ミサイルであっても一瞬で破壊することが可能です」
ディスプレイには、地球から飛来する宇宙船からの、予測されるコースが示されていた。
様々なパターンでの攻撃シミュレーションは完了しており、あとは実際の飛行コースが分かれば対応可能である。
現時点、最高速の宇宙船であっても、地球から木星までの移動は1か月ほど時間がかかり、
到着までの間、いくつもの攻撃オプションの選択が可能である。
恐れているのは、見えない形での攻撃。
システムを撹乱し、無効化してしまう戦法である。
完全な防御は不可能であるという前提のもと、たとえシステムの一部が破壊されても、
システム全体としては生き続けることが可能となるように、宇宙船および作業プラットフォームのシステムには対策が行われていた。
加えて人的被害の最小化を目的として、作業プラットフォーム住民の宇宙船居住区への避難も、まもなく開始されることになっている。
「しかし、静かよね。政府はいったい何をしているのかしら?」
理沙は天井の照明パネルを眺め、嵐の前の静かな状況の理由について思いを巡らせた。


太陽を挟んで、地球の反対側である、太陽/地球L3へと理沙と直子は向かった。
出撃命令がまもなく下されるという事を、ワシントンの軍幹部たちが慌ただしく動くのを見て2人は察知した。
10分ほどかけて、太陽/地球L3へと向かう。
するりと潜り込むように、作業用プラットフォームのシステムを経由して、建造用ドック全体を見渡す場所に到着した。
かつて宇宙船建造の際に、直子はここで作業をした事があるのでほとんどの物には見覚えがある。
彼女にとって見覚えのないのは、2隻の巨大揚陸艦だった。
[まさか、本当に作ったとはね]
理沙にとっては、自分が要求仕様書を作成したこともあり、実物になった揚陸艦は非常に感慨深いものであった。
その発展型が、自身が建造に携わった巨大宇宙船であることを、直子は理沙に自慢げに説明した。
[そんな事している時間はないのよ]
あっさりと理沙から説明を打ち切られ、2人は再び本来の目的に戻った。
揚陸艦の船内に潜入し、各セクションの出来上がり具合を眺める。
動力区画、推進システム、兵器格納用の巨大な収納スペース、兵員用の居住設備。
中央制御室へとたどり着いたとき、スタッフ達がそれぞれ持ち場につき、ワシントンからの出撃命令を待っているのを見た。
壁面ディスプレイには、木星までの予定コースが表示されている。
[木星まで46日間の、出撃コースというわけね]
兵装のチェックリストの中には、メガトン級の核ミサイルが含まれていた。
真空中では直接の破壊力は地上よりも劣るものの、強烈な熱線、中性子線、EMPによるシステムの撹乱、
それらの攻撃に対する対策について、理沙は自身の今までの判断は間違っていなかったと改めて思った。

*     *     *     *

中央制御室の艦長席に座り、艦長はいつ何時出撃命令が出されても、即座に対応できる心構えはできていた。
しかし、何事もないに越したことはない。
自分たちの出撃により、どれほどの悲劇が起きるのか。
シミュレーションの結果ではあるが、木星の1万人の住民は壊滅的な被害を被る事がわかっていた。
揚陸艦の大出力レーザー砲、飛び道具としての核ミサイル。
そして、接近戦ともなれば、作業プラットフォームはたやすく破壊され、巨大な宇宙船もまた被害を受けることになるが、
自分たちの乗っている揚陸艦とほぼ同じ設計思想ゆえ、住民は生き残る確率がかなり高いと考えられていた。
とはいえ、お互いにまだ実戦経験はない。
そんな事をあれこれ考えていたところ、突然のアラート音が鳴った。
緊急事態を告げる特別なその音に、艦長は背筋がピンと張りつめると同時に、冷汗が額ににじんだ。
[出撃命令、出撃命令、これは訓練ではない。繰り返し、これは訓練ではない]
中央制御室スタッフが、きびきびとした動作で出撃の準備を行う。
艦長は、良く通る声で言った。
「各セクション、準備状況の報告」
次々の各セクションからの報告が入る。チェックリストに従い、整然と報告が行われる。
「全セクション、問題なしを確認」
そして艦長は命令を下す。
「これより木星へと向かう」


理沙と直子は、艦長席の後ろのモニターからその様子を眺めていた。
30パーセント出力で、まずは1号艦が、そして10分後に2号艦が、ゆっくりと出発した。
中央制御室を急いで飛び出し、理沙と直子は2隻から数キロメートル離れたところにある作業プラットフォームに移動した。
揚陸艦の建造に関わった作業員達が、中央制御室で出発の様子を見守っている。
制服姿の軍人何人かが敬礼しているのも見えた。
自分たちが気にしていた物の正体を確認し、不明な点は解消されたので理沙と直子は木星へと戻ることにした。
[とうとう、後戻りできないところまでやってきたわけね]
30分後、2人は元の自分たちのもとに戻った。
再び、2人はほんの一瞬ではあるが意識が飛んだ状態になり、すぐに回復した。
今まで実際に見て体験した事のように、その数時間の経験が2人の意識の中に加わった。
事の重大さを知った理沙は、まずは直子に連絡した。
「とうとう、動き出したわね」
一緒に同じ光景を見ているので、敢えて直子に説明する必要はない。
「すぐに全員招集」
理沙はさっそく管理職全員に緊急招集のメッセージを送った。

*     *     *     *

理沙は1万人の住民に向かって語り始めた。
まずは単刀直入に、2隻の揚陸艦が太陽/地球L3から出発し、木星に向かっている事を説明した。
「約50日後には木星に到達し、私たちと戦闘状態になるかもしれません。まだ地球から開戦の宣言はありませんが、
近々宣言があると思われます。私たちはその日に備えて準備を進めてきました。
3基のレーザー発信基地は既にスタンバイ状態です。宇宙船の居住区の氷シールドもまもなく完成します」
1時間ほど前の管理職会議の場で、宇宙船居住区への避難について再び議論があった。
避難は6つの作業プラットフォームに分散すべきだとの意見は根強かったが、理沙は宇宙船の耐久性を再び強調した。
命の保証はあるのかと、作業プラットフォームDの管理職から問い詰められた時の事が、再び理沙の脳裏をよぎる。
「私たちは負ける事はないと考えています。前向きな気持ちで、この独立戦争を乗り越えましょう」
会議室でただ一人、画面の中の理沙を見つめていた直子は、ふと思った。
そこまで言ってしまっていいのだろうか?

*     *     *     *

その2時間後、合衆国大統領は揚陸艦2隻が木星に向かっている事を説明し、
理沙と同じように、簡潔に、国民の気持ちを高揚するような言葉を述べた。
「私たちは木星との戦争状態に突入しました。資源を独占する者たちとの戦いに、私たちは必ず勝利するでしょう」



「サンプル版ストーリー」メニューへ