限界寿命

22世紀になってからはじめての、直子の全身診断の時がやってきた。
軍在籍時は軍からの100パーセント助成金で診察を受ける事が可能だったが、
軍を退役した今では、軍から支給される年金と、任意保険が頼みの綱だった。
今回の主治医とは2回目の面談になる。前回はちょうど軍法会議や事業団からの尋問で精神的に疲弊していたのだが、
今回は精神的プレッシャーもなく、日々を有意義に過ごしていた。
「その後もお変わりなく?」
「ええ」
主治医との雑談と問診は30分ほど。その後は集中治療室でしばしの眠りにつくことになる。
時間の感覚のない約2日間の全身診断で、直子の体は総点検されて、不具合があれば部品交換が行われ、
目覚めた時には全てが終わっていた。そのあとはホテルのような個室で2日間ほど経過観察をする事になる。
24時間リモート監視されていることを意識しなければ、ホテルでの優雅な休暇とさほど変わりはない。
「お疲れ様でした。今回も無事に完了しました」
そして、ディスプレイに体の各部位が表示され、全身診断とその後の経過観察について主治医から結果説明が行われる。
「消化器系の若干の衰えはありますが、食生活に注意すべき事はないと思います」
体の3分の2をサイボーグ化して、残りの生身の体の部分は、投薬と再生治療により最善の状態に維持されていた。
肉体年齢では、まだまだ30代というデータが画面表示されている。
「神経系統も問題ありません。テスト機器に繋いで刺激に対する反応テストも行いましたが、肉体的には異常ありません。
まだまだ普通に生活したり、運動したりすることは問題ないでしょう」
次に見せられたのは、サイボーグ化された部分についてのデータである。
「生体インターフェイスについて、蓄積されているログデータを詳細分析しました。その結果がこれです」
前回3年前から入院前日までの、生体である神経系統と、サイボーグ化されている部分の電気信号のやりとり、
詳細データは莫大な量になるのだが、統計情報として整理分類されて、見やすいグラフ表示になっていた。
「これなんですが。。。。」
主治医の声が、若干ではあるがトーンダウンした。
何か気になることがあるのだろうか、直子は画面のグラフ表示を注視した。
「グラフに、赤い部分が表示されているのが見えますか?」
累積折れ線グラフのようなものを、3年前から目で追いかけていったのだが、2年前あたりから赤い部分が表示され、
その赤い部分の割合が徐々にではあるが増加していた。
「エラー信号が赤表示されています。つまりは、脳神経からの信号に異常が出始めているようです」
今年に入ってからは、その赤の部分は全体の半分近くまで増加し、素人が見てもこれは異常ありといった感じに見えていた。
「何か、気になる事はありませんか?」
さきほどまでの軽快な口調はもうなかった。
主治医は直子の事を直視していた。
「いいえ」
直子には全く思い当たるところがなかった。「いたって平常、いつも通りです」
「それならばいいのですが」
主治医は、別な画面を開き、直子の頭部のスキャン画像を表示させた。
「ここが脳で、脳幹から延髄の部分に生体インターフェイスが接続されています」
既に50年以上もの間、直子はこの生体インターフェイスのおかげでサイボーグの体と直結して生きてきた。
事故で四肢を失い、一生歩くことも動くこともできないと当時は思われていたのだが、
このサイボーグの体のおかげで今日まで様々な経験をさせてもらっていると、直子は思っていた。
「赤い部分は生体からのエラー信号です」
そのエラー信号が、全体のかなりの量を占めているということは。
直子は主治医からの次の言葉を、待った。
「つまり一言で言うと、あなたの脳は急速に機能低下しているということです」


さきほどまでの主治医の言葉が、まるで他人事のように思えた。
今後の治療方針について、主治医から引き続き説明があったのだが、ほとんど頭に入ってこない。
それも脳の機能低下のせいなのだろうかと、かえって勘ぐってしまう。
結果データと、今後の治療方針についての説明は、受け取って改めて眺めて見る事にして、直子は帰宅した。
シアトル郊外の医療センターから空港までタクシーに乗り、そのまま午後はシアトルから千葉までの移動に費やし、
夜の9時になる直前には自宅に到着した。
帰宅したことを美紀に連絡し、直子は今日は店には行かずにそのまま寝る事にした。
しかし、夢の中にまで主治医の言葉が鳴り響いていた。
[あなたの脳は、もうすでに機能停止しています]
[生体インターフェイスが、脳からの信号を正しく読み取れなくなっている可能性が]
そして眩暈がした直子は、よろよろとした足取りで前に進むのも困難になる。
その場に倒れ、何とか立ち上がろうとして懸命に腕を伸ばす。
視界が徐々にぼやけてくる。
強烈な睡魔が襲ってくる。瞼がとてつもなく重い。
眠ったらもう最期だという恐怖心が、でも逆らえない。
はっとなって直子は目覚めた。
時計を見ると深夜の2時だった。たった1時間ほどの睡眠だったが、10時間以上の長い時間のように思えた。

*     *     *     *

翌日、主治医から受け取った結果データを、冷静な気持ちになって改めて眺めてみた。
生体インターフェイスが生体からのエラー情報を大量に受け取っていることは、脳神経の機能低下を示しているとしても、
では、自分自身がその事を全く意識していないということは、自分の体にいったい何が生じているのか?
自分なりにデータを眺めてみて、気になる点を主治医に質問することにした。
「エラーデータの割合が、私の脳神経の衰えだとしても」
直子は、主治医から受け取ったデータに、自分の主観としてのコメントを追記して画面上に表示させた。
「私が、今まで通り全く違和感なく生活できることには、理由があるのだと思います」
累積折れ線グラフの表示の気になる点に、直子はポインタで丸をつけた。
「エラーデータの割合が高くなっていることはわかりました。でも、全データの総量が桁違いに増えているのはなぜでしょう?」
それについては先日説明で触れましたが、と主治医は言ったが、
「それは、私にもよくわかりません」
その直子からの指摘に、主治医は明らかに困っているように見える。
「とにかく総量が10倍、100倍になってインターフェイスの処理能力の限界に達しています」
それを聞いて、直子は自分の予想した通りの答えに内心嬉しくなった。
「体外の接続先に対して、大量のデータ流出も発生していますが、これも原因不明です」
ただし、この先予想されることとしてと前置きをして、主治医は言った。
「いずれそれほど遠くないうちに、脳と脳幹は機能停止することになります。そうならないように私たちは最善を尽くしますが」
直子はその答えに満足した。
姉が亡くなった時の事は今でもよく覚えている。
彼女は疲れ果てて、眠るように亡くなってしまった。そして自分も同じように亡くなるのだろう。

*     *     *     *

その後、主治医からは延命治療のプランについて提案があった。
脳神経の延命については、再生医療技術により可能であり、自身の健康な細胞から脳神経細胞のもとを作り、
破損している部分に植えつけて再生するというプランが示された。
21世紀の初頭からの基礎研究から始まった再生医療は、2040年代以降はサイボーグ技術とともに沢山の人々の命を救い、
体の不自由な人たちの社会復帰を実現してきた。
新しく生み出される治療技術には、医療費高騰と医療格差の闇の部分がつきまとうものの、もう昔には戻れない。
人々は再生医療とサイボーグ技術の恩恵に飛びついた。
今回の方法で、うまくいけば数十年の延命が可能であると主治医は言った。
「ちょっと考えさせてください」
直子はすぐに返事はせずに、しばらく自分なりに考える事にした。
再生医療そのものに疑いを持っているということはないのだが、直子には腑に落ちない部分があった。
「最近特に感じるんですが、以前よりも精神的に充実しているように思えるんです」
見る事、聞くこと、話す事、そして心の中で日々感じる事。
すべてが非常に鮮明で、全く衰えているようなことは感じていないと、直子は主治医に日々思う事を説明した。
しかし主治医は、それでもいつか遠くないうちに生じる機能停止について再び述べ、直子の言葉をやんわりと否定したが、
直子は、もう自分の先行きを悩まずに、正面から受け止めようと心に決めていた。
主治医はさらに言った。
「それと、非常に申し上げにくい事なのですが」
それは、直子の生体インターフェイスに関する、さらに衝撃的な事実だった。

*     *     *     *

軍を退役後も、直子のもとに仕事の方が追いかけてくるような状況が続いていた。
内容としては、技術アドバイザー的な仕事である。
巨大宇宙船の建造が、ある意味直子の人生においてピークのようなものであり、
その時得られたノウハウは軍の揚陸艦建造に生かされ、次世代型の巨大宇宙船の計画も動き出していた。
とはいえ、予算と目的において難航していたが。
まずは、目的を明確にするために、ターゲットとする恒星の調査計画が進められた。
太陽系外の恒星探査を目的として建設された、3基のレーザー発振基地は、本来の目的のために使用される事になり、
3基から90基への増設計画が予算申請された。
巨大宇宙船を作るよりも、こちらの方がはるかに安価でありハードルが低いとの、言い訳つきの予算申請ではあったが。
木星は再び活気あふれる賑やかな場所になりつつあり、今でも現場にとどまっている実施主任からは、
現場でのプロジェクト支援をして欲しいとの誘いの言葉が何度もあった。
直子はやんわりとではあるが、その申し出を断り続けていた。
あまりにもいろいろな思い出が多すぎるからというのが理由であるが、本心としては家でゆっくり過ごしていたい。
しかしながら、診察結果を主治医から告げられた時のショックもまだ残っていた。


「もう、製造中止ですか?」
ええ、残念ながら。と主治医は申し訳なさそうに頭を下げた。
とはいえ、これは主治医が原因ではない。
「世の中の流れでしょうかね。もう、サイボーグ化手術は主流ではなくなっていますから」
遺伝子治療と再生治療での解決方法が、今の世の中では主流となっていた。
直子の体に搭載されている、生体インターフェイスを製造する会社は世の中に数えるほどに減っており、
今後さらに経営が厳しくなるとの予測もあった。
しかし、遺伝子治療と再生治療もまた万能ではなかった。
人はいつかは死ぬものという定めは、まだ変わってはいない。単に寿命が伸びただけのことである。
いつまで自分は生きる事ができるのか。
限界寿命と呼ばれているその年まで、まだまだ頑張ってみよう。
直子を再び仕事に駆り立てたのは、そんな気持ちだった。



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