ゲームチェンジャー

移住船14隻が、太陽/地球L3から木星に到着した。
このタイプの船の最初の1隻目が建造されて、すでに60年近い月日が経っているのだが、
船は設計上、300年近い運用に耐える事を想定しているので、老朽化の観点では気にするほどの事ではない。
また、[Metal-Seed-System]の助けも借りれば、運用中に更改しながらさらに寿命を伸ばすことも可能である。
直子は、作業プラットフォームBの窓から14隻の姿を眺めながら、今日までの経緯について思いを巡らせていた。
いろいろと紆余曲折、時には議会が紛糾することもあったが、とりあえず14隻は完成したのだ。
しかし今まで、直子自身がこの件で議会に働きかけたことも、事業団の中で推進役になったこともない。
外野席から事の推移を眺め、時には後輩達から技術的なアドバイスを求められることはあったものの、
淡々と彼らの求める答えを返答し、日々を静かに過ごしていた。
千葉の家に住み、毎日を規則正しく生活し、昔の人々の書いた本をじっくりと熟読し、自分なりに感想を書き、
将来の技術者のために、自分の経験をもとにした事例集をまとめていた。
既に120歳を越えていたが、まだまだ気力は昔と変わらず、やりたいことは年齢を重ねるほどに増える一方だった。
そして、直子は再び木星に戻っていた。


木星に到着し、拡張された作業プラットフォームを実際に目にして、直子は姉の言葉を再び思い出した。
[また徐々に機運が高まってきて、ここにはもっと人が集まるようになるよ]
作業プラットフォームは20基まで増え、核融合燃料精製プラントは12基に。
太陽系周辺部へのトランジット港として、旅客プラットフォームも10基まで増設され、5基が建設中であった。
50年前に、一時は地球国家との対立関係にあったものの、その出来事も歴史上の過去の出来事となり、
その後、木星は地球国家とのゆるやかな協調関係のもとに再び発展を続けた。
すべては木星大気から採取される、水素とヘリウム3のおかげである。
しかし、天然資源である以上、いつかは枯渇する時がやってくるかもしれない。
そのため、次を見越した動きが22世紀に入った頃から始まった。
木星本体の大気中に巨大プラントを建設し、有機化合物を採取し、製品原料を製造するための仕組みが構築された。
それが再びのブレークスルーとなり、木星に人々が集まる結果となった。
並行して、一時は地球との間での紛争の火種にもなった、恒星探査計画についても実行に移される事になった。
プロキシマ・ケンタウリへの探査機が木星から出発したのは2110年代。
20年かけて到着した探査機群から、恒星とその周囲を周回する惑星のデータが届いたのはその5年後。
しかし、移住船の計画は探査機からのデータが到着する前から既に始まっていた。
たとえ、プロキシマ・ケンタウリに居住に適さない惑星しか存在しなかったとしても、別に困る事はない。
そのような事態になる事も、すでに想定の範囲内だった。
姉はこんな事も言っていた。
[地球に頼らない生活ができて初めて、真の意味での宇宙民族と呼べるんじゃないかと]
核融合燃料をもとに、他の惑星民族と交易をし、自分たちの生活の糧は自分たちで生産する。
地球から脱却した人々が、今や徐々に木星に集まっていた。

*     *     *     *

大量の自然資源を活用し発展しようとしている木星。
しかし、今後も安定的に成長し、前途が安泰であるとは言い切れなかった。
ニューメキシコ州で発生した、一つの小さなニュースが世間から注目されることもなく、
大量の情報の中に埋もれ、忘れ去られようとしていた。
そして直子もまた、そのニュースに注目することなく、日々の仕事に気を取られていた。


「まもなく、真空のレベルが規定値に達します」
オペレータが数値を読み上げる。
ディスプレイの前には数名の技術者とオペレータ、そして彼らから少し離れた後方で見守る男女。
見守るディスプレイ上には、実験装置の模式図が描かれている。
核融合炉のようにも見える。しかし、商業用の核融合炉と異なり、実験装置の実体はナノメートルの規模である。
「規定値に達しました。装置とキャパシタを連結します」
リング状の構造物に見えるものが、赤く点灯した。
ディスプレイ右側に表示されるゲージは、ゼロ表示である。
「端子の位置を調整します。一段階接近させます」
リング状の構造物が、さらに小さくなった。
もともとの直径の3分の1まで縮小したところで、ゲージ表示に数字が現れた。
「エネルギーレベルが、0.5ワット、0.7、ゼロに」
そして再び数値が現れたかと思いきや、また再びゼロに。
数値がなかなか安定しない。
「端子をもっと接近させて」
技術者の一人がオペレータに指示をする。
端子の位置を再び調整し、リングの直径はさらに3分の1に。元々の直径の9分の1になった。
途端に、ゲージ表示が一気に上昇し、100ワットを超えた。
数値が安定しないのはそのまま変わらず、変化の単位は100ワットの単位となった。
しかし、まだ家庭用の照明数個を灯す程度のパワーである。
「もっと、上げられないの?」
少し離れた場所で見守っていた女性が、声をあげた。
「調整が非常に難しいのですが。。。。」
彼女の方に振り向いた技術者は、そのように説明したが、彼女の強烈な眼力には逆らえず、
「やってみます」
リング構造物の直径はさらに小さくなり、当初の100分の1になった。
ゲージ表示の変化がさらに激しくなった。
「量子限界です。ゆらぎの影響が直接。。。」
まるで荒波に乗っているように、ゲージ表示の数値は激しく変化していた。
「続けて、これを乗り越えないと先には進めない」
女性の口調がさらに険しくなった。
発生したエネルギーは、装置に繋がれたキャパシタに電力の形で蓄積されていた。
巨大な核融合発電所用に使われているキャパシタだが、それでも限界はある。
さきほどまでの微々たる電力に余裕で対応していたのだが、容量の10分の1を超えたところで数値が一気に上昇してきた。
「電力放電の準備を、急いで」
しかし、技術者の指示は女性の声にかき消された。
「だめです、基地内で消費するようにして」
電力会社の回路に接続すれば、この大量のエネルギー放出の事が明るみになってしまう。
そのことを恐れた判断だろう。
キャパシタからの回路を、基地の熱源システムに接続し、大量の熱の形に変換して放出する。
しかし、その間にもキャパシタには大量のエネルギーがなだれ込んでいた。
「このままでは爆発します」
女性は腕組みして、焦っている技術者たちを冷ややかな目で見つめていた。
「限界まで続けてちょうだい」
ゲージ表示は、振り切れそうなところまで上昇し、キャパシタも同様にレッドゾーンに達していた。
しかし、不思議な事に数値の上昇スピードがそこで止まった。
まるで首の皮一枚、といったところか。
「なんだ、やればできるじゃない」
危険な状況は相変わらずだったが、数値の上昇はとりあえず止まった。
彼女はそうなる事を予想していたのだろうか、技術者は再び女性の方に振り向き、
相変わらず冷静な表情であることを確認すると、
「熱交換器への電力供給は安定していますが、無理はしない方がいいと思います」
「では、もう一段レベルを上げて」
全然聞いていないじゃないか。
女性からのさらに無理な指示に、技術者はしばらくの間無言の抵抗をしていたが、
再び女性からの冷徹な指示に、やむなく従う事にした。
「レベルをさらに上げ。。。」
技術者の指示のもと、オペレータが操作をしたところ、すぐに遠くから鈍い爆発音がした。
ディスプレイの表示がすべて消えた。
制御室の照明が消え、非常灯に変わった。
やがて館内放送が事故発生を告げた。
[第二実験棟で爆発事故、被害状況は追って連絡いたします]
技術者は、しばらくの間放心状態になり天井を眺めていた。
彼らの事を背後から見守っていた男女は、騒々しいアラート音が鳴り響く中、いつの間にか制御室から姿を消していた。


時代の激的な変化というものは、そんなものである。
木星で太陽系外への旅の準備が着々と進められている中で、ゲームチェンジャーはひそかに誕生し、
人々から知られずに成長を続けていた。
かつて、国家予算規模の資金を投入し、極秘裏に進められたマンハッタン計画のように、
量子真空から莫大なエネルギーを取り出す実験もまた、極秘裏に進められた。
核エネルギー開発と同じ道筋をたどり、量子真空エネルギーもまずは大量破壊兵器のために実用化され、
惑星そのものを破壊してしまうほどのエネルギーをめぐって、国家間の激しい争いが行われる事となり、
落としどころとして、エネルギーの平和利用の形で丸くまとまる事になるはずである。


とはいえ、人類はその時まで生き続けているのだろうか?



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