038:リン・シャオビ
名前 | リン・シャオビ(林・小米) |
生まれ~死去 | 1996年11月 ~ 2089年3月 |
プロフィール |
●1996年11月 ・中華人民共和国 福建省にて生誕 <探求心の塊> ●2001年4月 ・親の期待を背負って地元の名門幼稚園に入園 ●2005年7月 ・小学校ではほぼ真ん中の成績だが、数学に異常なまでの興味をもつ ●2008年10月 ・学校の算数の勉強は簡単すぎて大学の数学を陰で勉強している ●2010年1月 ・数学つながりで物理学に興味をもち、核物理学の世界に徐々にのめり込む ●2013年4月 ・国立大学の狭き門を突破すべく猛烈に勉強する ●2015年4月 ・北京の国立大学に合格し、核物理学を専攻する ●2017年10月 ・就職先として原子力プラントの設計/製造をしている重電会社を選ぶ ●2019年3月 ・重電会社に入社し、原子炉設計部門に所属する ●2020年3月 ・新型感染症で外出禁止令が発令され仕事もほとんど開店休業中状態になる ●2023年5月 ・ようやく仕事が元の状態に戻るものの、原子力プラント設計の仕事への興味が薄れる ●2024年10月 ・核融合炉設計は面白そうだと、ためしにフランスでの国際プロジェクトに自分を売り込んでみる ●2024年12月 ・フランスの国際プロジェクトは書類先行で落ちたが、国内の大学研究所からオファーがくる <国家プロジェクトに参画する> ●2025年3月 ・国の命令で進められている、核融合実証炉建設プロジェクトに加わる ●2027年7月 ・核融合実証炉が完成し連続運転実験が始まる ●2029年1月 ・月面から採取したヘリウム3を使用し連続運転実験が行われる ●2030年11月 ・この頃から研究所の出入り業者の女性と仲良くなる。結婚も考え始める ●2032年2月 ・1年以上の交際を重ねて出入り業者の女性と結婚する。実験タスクのサブリーダーになる ●2033年7月 ・第一子誕生。研究所から近いところにある高層マンションで暮らし始める ●2035年8月 ・国からの命令で、宇宙船用の核融合推進システムの研究に参加するようになる ●2037年4月 ・地球/月L2で建設中の作業ステーションに設置される、原子炉の設計チームも管理する事になる ●2039年5月 ・気がつけば大小10近いプロジェクトを支援する立場になり、帰宅する時間がほとんどない ●2040年1月 ・過労のため1か月入院。職場復帰するとプロジェクトは何事もなく回っている ●2040年3月 ・肩たたきに遭い閑職に追いやられる。妻からも苦言を言われ精神的に追い込まれる <研究所での地味な日々> ●2041年1月 ・国営の核融合プラズマ研究所の研究員になる。仕事は楽だが月給は半分になる ●2043年3月 ・さまざまな条件でのプラズマ挙動のデータを取得する単調な日々が続く ●2044年8月 ・フランスの核融合研究所から、プラズマ挙動実験データの共有と共同研究のオファーが入る ●2045年2月 ・1年の契約でフランスのカダラシュに出張する事になる ●2046年9月 ・たくさんの研究成果をあげ契約が半年延長となり、手土産を持って中国に戻る ●2048年10月 ・土星探査船の推進システム設計の仕事に任命される。ようやく閑職から解放された気分になる <「長征」プロジェクトへの参画> ●2049年8月 ・推進システムの設計が完了しテスト機の組立てが始まる ●2050年3月 ・木星探査船「楊貴妃」プロジェクトが大失敗だったという噂を耳にする ●2053年4月 ・月面基地での推進システムのテストが難航している中、とある技術データを目にする ●2053年7月 ・とある技術データを分析しながら、自分たちの進んでいる道が誤っていないことを確認する ●2056年1月 ・地球/月L2で土星探査船が完成し「長征」と命名される ●2056年7月 ・「長征」が土星に向けて出発する ●2057年1月 ・「長征」が「エンデヴァー」よりも先に土星に到着。タイタンへ向かい着陸準備をする ●2057年6月 ・タイタンで事故に遭った「エンデヴァー」乗組員の無事を確認し、「長征」は地球への帰途につく <激動の世の中で生き続ける> ●2057年12月 ・「長征」が地球に帰還。しかし次回以降の探査計画は白紙状態になり仕事がなくなる ●2058年6月 ・深宇宙探査推進チームが解散となる。世の中の不穏な空気をなんとなく感じる ●2058年12月 ・家族にはリスクについて話したうえで旅行目的で渡米する。宇宙関連企業の役員と接触する ●2060年2月 ・役員からの返事を待っている間、さまざまなアルバイトをしながら生活を支える ●2061年6月 ・役員からの指示で妻と長女の3人で渡米する。旅行をする間米国籍取得の手続きをする ●2062年1月 ・中国が政情不安定となり帰国は不可能となる。事業団関係者からの接触がある ●2062年5月 ・大嶋理沙と初めて会う。技術的にコアな人物になりそうだと理沙から一目置かれる ●2062年10月 ・事業団協力会社の社員となり、宇宙船デザインを主に担当する事になる ●2063年5月 ・資材輸送用超大型キャリアーを手始めとし、宇宙船アーキテクチャーの体系を考案する ●2066年2月 ・地球周回軌道上での資材輸送用超大型キャリアーの組立て開始 ●2069年7月 ・作業プラットフォーム/精製プラント建設状況の視察に、地球/月L3へ行く ●2072年4月 ・原子力ラムジェット機のテストが難航している中、精製プラントの組立てに木星で立ち合う ●2073年2月 ・地球に戻ってから精密検査を受けたところ心臓疾患が発見され2ヶ月間手術入院する ●2075年7月 ・核融合燃料一貫生産テストのメドがたち、最後の宇宙旅行と覚悟し木星へ向かう ●2076年10月 ・一貫生産テストは無事に終わり、現場への引継ぎを終えると地球へ帰還する <故郷での静かな日々> ●2078年2月 ・会社を退職すると政情が比較的安定した故郷へと戻り、両親の墓参りをする ●2080年3月 ・妻が若返りのために再生医療手術を受ける。自身も手術を勧められるが気が進まない ●2083年4月 ・両親が住んでいた家をリノベーションして夫婦で住み始める ●2084年5月 ・故郷の自然あふれる風景を眺めていて、気持ちが触発され水墨画を描き始める ●2085年5月 ・軍を退役し東京で静かに暮らしている理沙から久々にメールが届く ●2087年10月 ・世間が新型疾患で大騒ぎになっている中でも静かに水墨画を描きながら過ごす ●2088年12月 ・家の近くの坂道で転んで骨折。入院生活をしているうちに体力が落ちてゆく ●2089年3月 ・再生医療での回復も考えたが体力の衰えは早く、枯れるように亡くなる |