理沙のいる風景

「行ってきます。」
メイドの表情を、ほんの少しだけうかがう。
「気をつけて。」
理沙のことを、まだ直視できない彼女。
まだまだ、少女らしさが抜けきらないね。
静かな住宅街の通りを歩きながら、
それでも、もう気持ちは切り替わっていた。
300メートルほど歩くと、地下通路への階段がある。
階段を下りると、一転して冷たい雰囲気の通路に、人々の歩く音が反響している。
ラッシュアワーは、ここにはない。
24時間、必要なときに働き、休みを取りたいときに休む。
シャトルの発着所に着く。
3つある改札ゲートの1つが故障していた。

黄色い警告灯の回転する脇で、作業スタッフが故障したゲートの調整をしている。
緩やかなスロープを下ってゆくと、シャトルが待っている。
入り口から2列後ろの座席に座り、いつものようにベルトを確認。
5分ほど待ち、ドアが閉まる。
半分ほど埋まった座席、話し声はほとんど聞こえない。
照明が落とされると同時に、シャトルはゆっくりと下に降りていった。
広い回廊、そしてその先には、広大な宇宙空間が。
シャトルを押し出す力、重力がしだいになくなる感覚。
音もなく、シャトルは加速する。
背後には、直径2キロメートルの回転する巨大なリングが。
彼女の生活の場、そしてちょっとした安心感にひたれる場所。
地球が、ビー玉のように小さく見える。
強烈な太陽の光。
ほんの40分間の、宇宙の旅。


「手助けが、必要だと思うのだが。」
そう言われて、もう半年になる。
大佐に昇格して、コロニィに住居をあてがわれ、
「でも、私一人で何とかやれますから。」
丁重に、理沙は彼の申し出を断った。そのときは。
しかし理沙は結局、彼の申し出を受け入れることになった。
軍での長いつきあいだから、というのが理由の半分。
そして、あとの半分は、

「まだ、私、たいしたことできませんけど。」
でも、そんな言葉に反して、彼女は細かいところまでよく気がついてくれる。

さすが、軍人の娘。
でも、そんな時ばかりでもない。

理沙は、いつも気になっていた。
時々見せる、少しばかり物憂げな、そして見つめる視線は定まらない。
その表情は、昔どこかで見たことがあった。


オフィス街のあるコロニィまで、あと10分。
理沙は、書類パッドをバッグの中にしまった。
目を閉じて、最後の10分間をのんびりと過ごす。
突然の、アラーム音。
最前列席の前のディスプレイに注意表示が出る。
< システムオーバーロードです。 >
ヘッドセットをかぶった理沙は、高ぶる気持ちを抑える。
< 状況はこちらでも確認。すぐに手動に切り替えて、着陸続行。 >
タイタンの雲の海がすぐ下にひろがっている。
着陸船の姿はもちろん見えない、ディスプレイ表示上の小さなマーカーだけが頼りである。
< 高度4000メートル。レーダー表示確認。目標まで30キロメートル。 >
< 了解。リターンポイントまで35分。 >

あせる気持ちはあっても、冷静に状況を見守り、バックアップする。
理沙がどんなにあせっていても、すべては着陸船の3人の腕を信用するしかない。
< 高度1200メートル。 >
< リターンポイントまで、あと20分。 >

帰還用の推進剤まで使うわけにはいかない。判断のための時間は残り少ない。
< 残り15分。 >
< 高度300メートル。 >

タイタン表面の風速表示、そして精密レーダー観測による地形表示。
軌道船でバックアップする理沙は、機械的にただその数字を読み上げるだけだったが、
< 心配しないで。これでも、あたしは運の強い女よ。 >
ディスプレイに写っている、パイロットからの頼もしい言葉。
< 戻ったら、また一杯やりましょう。 >
理沙までつい、その気にさせられてしまう。
残り時間のカウント表示から、理沙は決して目を離したりはしない。
でも、カウントの読み上げは、もうやめた。
< そうね。用意して待っているから。 >
死の寸前、ぎりぎりの状況までねばって、
それでも還らぬ人となった戦友を、理沙は何人も見てきた。
止めることもできたはず。
でも、そのあと少しの希望のために、理沙は彼らの言葉を信じてきた。
たまには、期待を裏切らないで欲しい。

それだけ。
それだけだった。
ガクン、と小さな揺れ。
あたりは、再び静かになっていた。
目を開ける理沙。
ディスプレイの注意表示は消えていた。
まわりの人たちが立ち上がるのを見計らい、彼女は席を立った。


オフィス街。低層ビルが両側に壁のように並んでいる。
ここの建物はすべて機能一点張りである。

上へと続くように見える、コロニィの緩やかなカーブに沿って、両サイドのビルが続く。
理沙は広い入り口の階段を上り、ロビーに入った。
軍服と背広の人間が半々、ロビーでたたずんでいる。
長い廊下を100メートルほど歩き、緩やかな階段をのぼり2階へと。
「おはようございます、大佐。」
前から階段を下りてきた背広姿の男。
このオフィスの職員のほとんどが、理沙のことを知っている。
それに対して彼女は、100人知っているかいないか、といったところ。
現場作業が長かった彼女は、管理職の世界にはまだ溶け込めなかった。
自分のオフィスに入る。
部屋で待っていた秘書が、理沙に軽く頭を下げる。
「会議は、23:00からです。」
スーツをハンガーにかけ、軍のブレザーを着る。
「今日の資料の準備は?」
そして、デスクに座ると彼女からの一連の報告を受ける。
秘書の言葉が、理沙の意識の周囲を足早に過ぎてゆく。
「詳細は、ボード(情報共有端末の俗称)をごらんになってください。」
ありがとう。・・・・・

部屋を出てゆく背後から、理沙は彼女に言った。
もっと、現場に長くいたかった。
こんな生活を望んだわけではないのに。
< 君も、もう引退の時期じゃないかね。 >
理沙をこのポジションに推薦してくれた、軍の管理職である友人。
かれこれ訓練生のころからの友人である彼も、あと4年で退職を迎える。
そして理沙も、とうとう50歳をこえた。
しかし、毎日鏡を見ている彼女には、その実感はなかった。
理沙は引出しからペンとメモを取り出した。
そして、ちょっとだけ考えると、ペンを走らせ始めた。


< あたしがやりますから。 >
メイドが止めるのも聞かずに、理沙はナイフを取った。
< 大丈夫。今までだって何とかやってきたのよ。 >
パッケージを力任せに破り、加工された合成肉を取り出す。
まな板の上にそれを横たえ、はじからゆっくりと切ってゆく。
心配そうに脇から見つめているメイド。
理沙は、調子が出てきたのか、切るスピードを少しだけあげた。
< なかなかなものでしょ、あたしだってやるときには・・・・。 >
少しだけ、固い部分が残っている。
十分に解凍しなかったからだろうか、少しだけ力を入れる。
あっ・・・・・。と、見つめるメイドの手が先に出る。
理沙はとっさに彼女の手をかばった。
それがいけなかった。
すべって理沙の手のひらをすりぬけ、落ちてゆこうとするナイフ。
理沙は、とっさに落ちる寸前でとめた。
しかし、その鋭利な刃先が理沙の手のひらを傷つけた。
一瞬ののち、白い線が手のひらに現れる。
ナイフをすぐにシンクに置き、水でその傷を洗おうとする。
すぐわきで見つめているメイド、そしてその視線が理沙の手のひらに集中している。
白い液体が、手のひらから水といっしょに流れ続けていた。
理沙は、照れ笑いした。
彼女も笑っている。
ポリマーと、フルオロカーボンの混合液体。
でも、その液体を見つめるメイドの目には、好奇心と恐怖が入り混じっていた。


理沙は、時々考えながらペンを走らせてゆく。
時間が気になって、時計に目を向ける。
まだ、4行ほどしか書いていない。
そのうえ、単なるまとまりのない言葉の羅列だった。
ペンを置き、ゆっくりと椅子にのけぞる。
頭の後ろで両手を組み、ふぅ〜と小さく息をついた。
天井をながめる。
< お姉ちゃん。 >
ドアの向こうで、見つめる妹の瞳。
理沙は机を離れてドアの方に近づいていった。
< 勉強の邪魔しないで。 >
妹が、上目使いで理沙を見ていた。
< 遊びにいこう。 >
彼女とは、2つ違い。
でも、なぜか理沙と妹の間には心の隙間のようなものが。
まだ小学生の理沙には、彼女を遠ざけたい気持ちがいつもあった。
< あとで、・・・さっきもそう言ったでしょ。 >
< でも。・・・・・・・ >

その目には、涙はなかった。

妹が泣いたところは見たことがなかった。
そのかわり、ただ見つめているだけ。
そして、理沙も妹もそんな月日を重ねながら成長した。
< 今度、東京に行くんだ。 >
< 本当に? >
共通する話題に、話がはずむ。
< 一人暮らしよ、自分でかせぎながらね。 >
でも、妹はいっしょに行きたいとは言わない。
もう、なにもかも2人は知っていた。
理沙は亡くなった前妻の子供、そして妹は再婚したあとに生まれた子供。
お互いに理解しようと努力もした。
親とも何度となく話をした。
そして、理沙には冷たかった母親とも、仲直りしようと何度も努力した。
しかし、最終的な結論は。
< 大変なのは、姉さんだけじゃないのに。 >
2人で、向かい合わせにテーブルに座る。
煙草を吸わない妹を気遣って、理沙はコーヒーに何度も口をつけた。
妹のカップは、まだ半分以上残っている。
家を出てから、1年以上の月日が流れていた。
< でも、父さんと母さんが、決めた事でしょう? >
理沙は、あっさりと言った。
感情のかけらもない。
妹は、母親といっしょに家を出ることを決めていた。
それに、理沙はもう自分の生活をすでに確立している。
・・・・ だから、どうなの? ・・・・と、心の中で妹に問いかける。
デスクの上の、ボードのすみにある(
calling)ランプが点滅している。
秘書が、入ってきた。
「10分前ですが。」
彼女に、軽く手をあげる。
「あと、少しだけ待ってくれる?」
理沙は、また書き始めた。


過ぎてしまった日々は、もう取り戻せない。
でも、これから先のことならば、まだやり直しがきく。
理沙は、メイドあての短い手紙を、また書き直した。
< 2人でゆっくり話をしたいと、いつも思っていたけど。 >
彼女の表情を思い浮かべながら、考えをまとめる。
< 邪魔していたのは、あたしの方みたいね。 >
別に、難しい言葉を書き連ねる必要もない。
そして、その日が特別だから、というわけでもない。
< 誕生日おめでとう。今日で20歳ですね。 >
これでよし。

理沙は席を立った。そして書類パッドを脇に抱える。
ドアの外で待っていた秘書に、理沙は言った。
「今日の資料、よくまとまっているわね。」
今までに見せたことのないような明るい表情を、秘書は見せていた。
会議室に向かう2人の足取りは、軽かった。





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