理沙と直子



「お姉ちゃん、忙しいの?」
彼女をひざの上にのせて、理沙はその目を見つめる。
「そうね。」
ベランダにたたずんでいる2人のところに、ジェシーがやってきた。

ジェシーがメイドとして理沙の家に来てから、もう8年になる。
「今度、また出かけなくちゃならないの。」
その間に、ジェシーの結婚話、初めての子供が生まれたのが3年前。
そしてまだ赤ちゃんだと思っていたシンディが、もう2歳になってしまった。
「お姉ちゃん、おみやげ。」
その8年間に、理沙のまわりでは戦争のような日々が続いた。
会議室で重ねた議論、事業計画の実現のために各企業のトップと話し合い、
あるゼネコン総裁からは、膨大な労力のムダと言われつづけた。

それは、プロジェクトが正式にスタートしてからも。
「おみやげ、何がいいかな?」
技術的に確立していない部分を、気力と熱意でカバーしつつも、
現場では事故の連続だった。

その苦難の日々に、いよいよ結論が下されようとしている。
「お姉ちゃん。」
しかしながら、その中にあって、常に変わらなかったのは理沙自身だった。

シンディが、理沙をお姉ちゃんと呼ぶたびに、ジェシーが笑うのがいつも気になる。


理沙は、ひととおり全員を見渡してから、説明をはじめる。
< 太陽系をこえる次の時代に向けての、これはひとつの提案です。 >
管理職の立場に、最初は戸惑ってはいたが、自分の配下の3000人を超える管理スタッフたち、
そしてその配下の関連企業の数え切れない技術者達。
彼らからのプレッシャーが、彼女にとっての心に支えになっていた。
< その将来の需要に対して、私達はこのような方法を考えました。 >
会議テーブル中央の立体ビュースクリーンに、映像が現れる。
まず木星の立体映像、大気上層部の拡大映像。
大気上層に浮かべられた、いかだのような形のケミカル化合物生成プラント。
プラントから低周回軌道を結ぶ、無人の巨大輸送機。

低周回軌道より、高高度パーキング軌道を結ぶ電磁式のマスドライバー(質量発射装置)。
そして、地球までの1年間の航海の間に2次生成物まで自動的に加工する、プラント船。
しかし、机上の議論だけでは何も始まらない。

理沙は、最初のプラットフォームを木星に降ろした時の出来事を、決して忘れていなかった。
< 低推力スラスター、作動。 >
< 軌道離脱、大気突入まであと40分。 >
地球周回軌道上でリハーサルは行っているものの、実際に木星の高重力のもとで実施するのは
初めてである。なによりもここには着陸するための地面もない。

< モニター船1号、出発しました。 >
10万キロメートル離れた軌道船で、理沙はモニターを注視していた。
< モニター船2号、ポジションにつきました。 >
2隻の大気突入船が、プラットフォームから少し離れたところで、そのあとを追う。
理沙は、有人のモニター船をプラットフォームの誘導に使用することには反対だった。
しかしながら、突入時のブラックアウト状態では、軌道船からのリモート操作は不可能であり、

やむなく彼女は必要最低限の人員の搭乗を認めた。
< 大気突入まで、あと10分。 >
プラットフォームの大きさは、幅600メートル、長さが200メートル。

大気突入時はグライダーのように滑空するが、降下してスピードの十分低下したところで
熱核反応ヒーターで巨大なバルーンを展開し、大気中に浮かぶプラント設備の土台となる。
大気突入が始まり、通信がとだえた。

しかし、近くを追随している2隻のモニター船が状況を常に把握している。
あとは、待つだけだった。

制御ルームのスタッフたちは、息をひそめて最初の報告を待っている。
あっ・・・・・。と誰かが声をあげた。
低軌道モニター衛星からの、超拡大映像は、しっかりとその瞬間をとらえていた。

グライダーのちょうど前縁の部分。
そこからはじけた破片が、そのままプラットフォーム全体の崩壊を誘発し、
あとは加速度的に全体が崩壊してゆく、そして十分に離れて追随していたはずの
モニター船にその大量の破片が襲いかかる。
制御室のモニターパネルに、アラーム表示がいっせいに出現した。
しかし、もうどうすることもできない。
モニター船とプラットフォーム本体は、すべて炎となって散った。

乗組員の救出はおろか、原因究明のための破片の回収すら不可能である。
でも、前に踏み出したからには引き返すわけにはゆかない。
< 今度は、何としてでも救助します。 >
15ヵ月後、2度目のトライでのプラットフォーム設置成功。悪くない。

そして、2基目、3基目の設置作業、モジュール同士の結合。
その成功続きの中での、ちょっとした油断が再び事故を生んだ。

モニター船が、制御不能となって木星の雲の深みに落ちてゆこうとしている。
理沙はそのとき、地球の本部にいた。
< 大丈夫ですよ、大佐。 >
現場担当者の女性技術者の目は、充血して真っ赤だった。
10年前、木星・土星探査で一緒だった彼女が、今では先頭にたって現場の指揮をとっている。
< あたし達は、ここのプロフェッショナルですから。 >
タイタンでの頼もしいあの言葉が、再び理沙の脳裏によみがえった。


「輸送船、出発します。」
実施責任者のすぐ脇の席で、理沙は腕組みをしてモニター表示を眺める。
中央の巨大なビュースクリーンには随時切り替わる現場の映像。
その左にはケミカルプラントからのシャトル出発スケジュール表示、スクリーン右側には

低軌道周回ステーションでの、到着/出発スケジュール表示が。
「すべて、予定通りです。」
熱核反応スラスターを最大噴射、200トン質量の積荷を積んだケミカル輸送シャトルが、
大気圏外1000キロ上空の低軌道ステーションを目指す。
「あなた達の成果が、報われるのね。」
理沙は席を立って実施責任者の肩を軽くたたいた。
しかし、本来であればこの責任者席にいるはずの女性は、もういなかった。

といっても、やめたわけではない。
あの頼もしい彼女は、1年前からタイタンでの実験用コロニィ建設に携わっている。

すでに、理沙の周りでは次を目指した新規プロジェクトが動いているのである。
苦労を重ねて、数多くの人々を説得し、予算獲得のために歩き回り、

そして動き始めてからの苦労の連続。
しかし、理沙の熱意がまわりの人々に伝わったそのときには、もうすでにそれは彼女だけの
ものではなくなっていた。
それは彼女の手を離れて、もう一人歩きをはじめている。

「あと1時間したら、戻ってきます。」
理沙は制御室を後にした。
彼女は、満足感と少しの寂しさの混在したこの気持ちを味わいながら、展望室に向かう通路を

ゆっくりと漂っていた。
< もう、どこかに行ってしまうんだね。 >
それは、今の理沙の心境をあらわすのに適切な言葉だった。
長い夜が明けてゆく。
理沙は、妹といっしょに駅に向かう道を歩いていた。
雨上がりで、空気は冷え切っていた。
< 連絡、ちょうだいね。 >
いいわよ・・・・・。
お互いに、今日は心から素直に話し合えた、と理沙は思っていた。
< ちょっと、思ったんだけど。 >
妹が、立ち止まった。
< あたし達、苗字が違っても、友達同士でいられるかしら? >
理沙も立ち止まった。
振り返った彼女は、はれぼったくなった目をこする。

< そのへんの、軽いつきあいだけの友達よりは、ずっといいじゃないの。 >
妹は、理沙のそばに歩み寄ってきた。
< あたしも、姉さんみたいな人に会えて、よかったと思ってる。 >
駅の階段を上がり、ホームに着く。
理沙の乗りたい列車が到着するまで、まだ少し時間があった。
< 写真、撮ろうか? >
妹はいつも持ち歩いているのか、カメラをバッグから取り出した。
お互いに2人は肩を組んで、理沙が右腕を一杯にのばしてシャッターを切る。
妹は、メモリーカードをバッグから一枚取り出すと、カメラに差し込んだ。
< これ、姉さんにあげるね。 >
引き出したメモリーカードを、妹は理沙に差し出す。
列車の到着アナウンス。

理沙は妹が差し出したメモリーカードを受け取った。
< じゃあね。 >
再び、彼女の肩をやさしく抱き寄せる。
妹ではなくて、親友としての新しいつきあい方が始まると同時に、
なんだか彼女が非常に遠いところにいってしまいそうな気がしてならなかった。
< 連絡するからね。 >
理沙の目の前で、ドアが閉まる。
でも、その日を最後に理沙は妹と話をすることは2度となかった。
非常に大きな心残りを、その日から30年以上引きずっている。


「ご苦労さん。」
到着ロビーで、友人のコルサコフ大佐が待っていた。
疲れている理沙のことはすっかり無視して、彼は自分のペースで話しはじめる。
「長官がご機嫌だぞ、さっそく会いたいそうだ。」
理沙は彼の話をすこしばかり上の空で聞いている。
「さっそく、今後の本格的な事業化のスケジュールについて、打ち合わせをしたいそうだ。」
「そのあとは、タイタン基地の建設進捗スケジュール会議で、」
「あと、木星の核融合プラント本稼動テスト前の打ち合わせと、」
大佐が立ち止まる。
聞いているのか? というような目つきで理沙のことを見つめる。
「ごめんなさい、・・・・ちょっと疲れていたから。」
2人は立ち止まる。
大佐は近くの公園のベンチに理沙を座らせた。そしてすぐそばに彼も座る。

少し声のトーンを落として、彼は言った。
「実は、開発局の担当を今月ではずされることになった。」
えっ・・・・・。

しかし理沙は、そのあとの彼の言葉にさらに不安を覚えた。
「もう、この計画は私達の手を離れている。何らかの圧力が上層部にかけられているらしい。」
「それが、私にも?」
大佐は小さくうなずいた。

さきほどまでの疲れはもうどこかへ行ってしまっている。
「開発局と軍との対立構造が、こじれているからというわけじゃないが・・・・。」
その類の話は、今に始まったことではない。
開発局に多数の出向者を派遣している軍としては、管理能力において卓越している理沙を含めた
スタッフを前面に出したいところであるが、開発局はリーダーシップをどうしてもとりたい

たてまえ上、とうとう人事に介入するために大統領の力も利用していた。
「じゃ、私が呼ばれているのは、いずれは引継ぎも想定して?」
「それは十分ありうる。でも、この事はペンディングだ、私から聞かなかった事にしてくれ。」
理沙の頭の中で、現在進行中のプロジェクトへの心配が一気にふきだした。
「それじゃ、あの計画も?」
理沙は真剣な目つきで大佐を見つめる。
「いや、あれは軍が先に動いている。表面上は検討中プロジェクトの扱いになっている。」
「それじゃ、中止の可能性は?」
大佐は首を振った。
「そういう意味ではない。表面上は検討中プロジェクトにして、非公式に軍だけで進めている。」
一気に、理沙の体から力が抜けてゆくのを感じた。
「大丈夫。君の望んでいるとおりに事はしっかり進んでいるよ。」
「それは、どういう意味ですか?」
大佐は立ち上がった。
理沙も立ち上がる。そして歩き始めた彼のあとをついてゆく。
「進捗状況は私も知ることはできないが、定期的に報告が私のところに来る。あとはそれを君に
定期的に伝える。それだけだ、私が言えるのは。」
理沙にはわからなかった。
いったい誰が裏で動いているのだろう、そして私のこれからの立場はいったい・・・・・。



ジェシーは、久しぶりで理沙の部屋を掃除していた。
今日帰ると、理沙から連絡がさっきあったばかり。

お姉ちゃんが帰ってくる・・・と、シンディが隣の部屋ではしゃいでいる。
その様子を彼女は少しばかり満ち足りた気持ちでながめていた。
少しの書類と、情報端末の置いてあるコロニアル調デスクを、クロスでほこりを拭うジェシー。
デスクの片隅に、一枚の写真がかざってある。
2人の女性、そのうち左側に写っているのは理沙だということはわかっていた。
その隣で彼女と肩を組んでいる女性については、理沙も友人だということしか言ってくれない。
楽しそうに笑っている彼女達の姿、理沙の隣にいる雰囲気の似たもう一人の女性。
ジェシーは思った。
もしかしたら、この人は・・・・・・・。


木星の衛星ガニメデ。
高度300キロメートルを周回する軍の補給基地。
その居住棟の一室で、一人の女性が荷物をまとめていた。

「あと30分で出発です。」
ボード(情報共有端末の俗称)に、ブリッジで待っているパイロットの姿が表示されている。
「もうすぐ行きます。」
彼女は自分の私物をパーソナルコンテナに詰め込む。
今までの自分の軍での経験の中でも、非常に特殊かつ重大な今回の任務。
しかし、この任務の内容と進捗スケジュールを把握しているのは、この国の中でもほんの一握りの
最重要人物だけである。
宇宙船の建造から始まって、惑星の改造にまで、すべての生産方式を根底から変えるほどの、
未来を見越した壮大な実験。
しかしその特殊性と、リスクの管理のために、このプロジェクトは指揮命令/管理体制の
しっかりしている軍の管轄のもとで秘密裏に行われることになった。
その現場責任者である彼女。
30年以上の軍での経験、しかしそのほとんどが世の中の表舞台からは隠れた裏の世界での
任務ばかりであった。
といっても、彼女は事の重要性を認識して、任務を常に忠実にこなしていった。
惑星間の座標ポインタの設置作業に始まり、木星以遠の惑星までの航路開発等、それもまた
将来を見越した重大な作業であった。
そして失敗したそのときには、自らの命も消されてしまう事が決定している今回の任務についても、
彼女は最大限、自分の能力を発揮するつもりでいた。
なぜなら、成功の暁には、自分は世の中の表舞台に立てるということを知っていたからだった。

そして、あの人にも会える・・・・・。
デスクの上の写真ホルダーをしまう前に、鏡に写った自分の姿と比較する。
あの時と、全く変わっていない。
彼女は、コンテナを取り上げると船へと向かった。


そしてその30分後、

特殊工作船<アトランティス>は、小惑星<0032413>への8億キロの長い旅に出発した。


                          −(終)−



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