「大嶋理沙・退役の日」


いつもと変わらない朝。
トーストとカフェオレ。
今日のニュースに目を通し、
スーツを着て、書類バッグを持って、部屋を出る。
45分間の通勤は快適そのもの、シャトルは定刻に出発、オフィスにはいつもの時刻に到着。
いつものように事務作業をこなし、現場からの報告をチェック。
木星の自動プラントの稼動状況、建設中のプラントの進捗状況。
それらのすべてのデータはいつも彼女の頭の中にある。そしてくつろいでいるときでも忘れることはない。

でも、今日で終わりだ。

進捗報告に彼女の確認のサイン。
理沙はデスクを離れた。


ロビーで軍の旧友と会う。
彼も、今までの16年間の困難な時代をともに戦った仲間の一人だ。
「あさってにでも、飲みに行こう、もう一人、暇人を誘ったから。」
「気をつかってくれて、すまないわね。」

「もう一人が、なかなか連絡がとれない。彼も忙しいんだな。」

みんなが、それぞれの新天地で働いていた。
ある者は、自分で事業を起こし、あるものは遥か数億キロの現場で今でも現役でがんばっている。
そして、・・・・・・理沙はもうすぐ現役引退である。


引退・・・・・?そんな、新しい職場と言ってよ。

よく他の仲間から聞かれるたびに、彼女はそう言うことにしている。
「ねえ、あたしが一番乗りしたら、酒おごってちょうだい。」
タイタンの大地を目前にして、危険な状態の着陸船を操りながら、
ある女が言った。
彼女も同じ困難な時代をともに乗り越えた仲間だった。
木星・土星間航路開拓の5年間の旅。
開発途上の核融合推進システムを、だましだまししながら、どうにか土星にたどりついた。
その女のバリタイティがなければ、核融合推進システムの実用化はあと5年は待たされただろう。
しかし、そんな歴史に名を残した女性も、私生活は酒びたりの毎日。

「あたしは、ここが好きだね。まだ現役でがんばるよ。」

タイタンで2年前に会ったときの笑顔は、まだ希望に満ち溢れていた。
でも、結婚生活はあまりうまくいかなかったようだ。


システムの本稼動までの困難な毎日。
木星大気中に、プラントを設置するための足場を設置した日。
浮遊プラントの大気突入時の崩壊。
予算再獲得までの折衝、安全性向上のための制御システムのリニューアル。
システムが全体を統括的に制御できるような仕組み。
それが最終的には理沙の退役のきっかけを産むとは思ってもいなかった。

最新の自動化システムのシュミレーションのために、タイタンのコロニィを使用し、
その結果、事故が発生した。
すべてはシステムの判断能力にすべて頼ってしまったために、起きた出来事といわれていたが、
理沙はそうは思わなかった。
システムはまだ未熟な状態にあり、まだまだ経験が必要だ。
もし、ここでその可能性をつぶしてしまうのであれば、チャンスは永遠にこないかもしれない。
原因を追求して、システムの信頼性をあげるべきなのに、
なぜ、ここでやめてしまうの・・・・・・・・・・?

それは、理沙が自分自身に対して問いかけた疑問でもあった。

しかし、意見は葬り去られた。
だが、真実はいつか明らかになる日が来る。
悩むのは、あたし一人だけで十分。


木星で今も安定稼動しているシステムに思いを巡らし、
そしてゆくゆくはこの国の将来を支えるであろう、ケミカル1次製品プラントの建設状況を思うと、
後悔の気持ちがないわけでもない。

でも、後悔なら、今までにも何度でも。

もしも、・・・・・・・・・
昔に戻れるのならば、理沙にはもうひとつの夢があった。
歌ってみたいと思ったこともあった。あの人の一言が理沙の気持ちに火をつけた。

「本当に、毎日が楽しい?」

単に仕事で歌っているのと、自分で歌いたいと思って歌うのとでは、
同じ歌でもどれだけ違うことか・・・・・・・・・。
その彼も、今はどこに?


いろいろな人たちの姿が、理沙の思いによみがえってくる。
ある人は、もうこの世にいないかもしれないし、またある人は、いつでも会えるかもしれない。
さあ、明日は何を話したらいいのだろう。

「軍の士官学校の卒業式で、何か話してくれないか。」

なんとも粋なはからいだこと。
それほどカッコイイことは話せないかもしれないが、
自分の気持ちを正直に話したらいい。・・・・・・・・と、彼は言ってくれた。
なるほど。
軍での35年間の日々、そして、木星開発プロジェクトに携わった16年間の日々のこと。

・・・・・・・・・ただ、消えゆくのみ・・・・・・・・。

そうか、いい言葉だね。
実績を残すとか、記念に残るとか、いろいろと人に対しての評価はあるけれども、
理沙は、そんなふうに自分を扱ってほしいとは思っていなかった。
いつのまにか、その場から消えてしまって、
ただ、記憶にはいつまでも残っている人になりたい。
でも、伝説の人にはなりたくないね。


これから先のことを考えると、昔のような熱い気持ちがよみがえってくるのは、なぜだろう?
私だって、まだまだ。

これから先は、まだ長いのよ・・・・・・・・。





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