ブレントは、衛星ガニメデに着陸するための着陸船の最終準備を進めるかたわら、別の作業にも同時に取りかかっていた。
コンソールの片隅に開かれたウィンドウには、軌道計算の結果が次々と更新されていく。
<いつまでに出発できれば、タイタンに先に到着できるのか?>
誰に言われたわけでもない問いだったが、彼はその前提を疑わなかった。
「長征」の現在のコースと速度をもとに、土星到着の想定日を算出し、さらにそこからタイタンへの到達時刻を割り出す。
その数値を基準にして、「エンデヴァー」の性能で追いつくために必要な所要日数を逆算する。
いくつかのパターンを比較し、現実的に成立しうるプランを絞り込む。
作業は淡々としていたが、その前提にある目的は、もはや暗黙の了解となりつつあった。
ブレントはまとめたデータを整形し、依頼元であるFSDDの担当者宛てに送信する。
送信完了の表示を確認しても、特に表情は変わらない。そのまま、次の作業へと意識を戻した。
一方で、トリスターノとデイビッド、そして理沙の3人は、衛星エウロパに着陸する無人探査機の最終調整を終えたところだった。
水資源の調査を目的としたこのミッションは、コース選定から作業スケジュールの作成まで、すでに一通りの準備を終えている。
予定では3日後、探査機をエウロパへ向かう軌道に乗せ、調査活動を開始する段取りになっていた。
しかし、提出した調査プランに対するFSDDからのレスポンスが来ていない。
「いったい、何やってんだ?」
トリスターノが不満をそのまま口にする。
彼は、何かにつけてその裏に別の意図があるのではないかと疑う癖があった。
地球出発前、突然の作業員交代があった際にも、理沙が政府の差し金ではないかと本気で疑っていたほどだ。
理沙は特に反応を示さず、コンソールの表示を確認するふりを続ける。
デイビッドがその間を埋めるように軽く肩をすくめた。
「まぁ、明日また問い合わせしてみよう」
言い方は軽いが、完全に楽観しているわけでもない。トリスターノの視線が少しだけ和らぐ。
「そんなに悪く言うなよ」
デイビッドはそう付け加えたが、それ以上話は広がらなかった。
3人とも、それぞれの作業端末に視線を戻す。
同じように、別の場所でも「待ち」の状態が続いていた。
イライザとアルヴィンは、原子力ラムジェット機の準備をすでに完了させており、本来であればプランに従ってテストに移行しているはずだった。
木星大気への突入とサンプル回収はイライザが主導し、アルヴィンと交代で操縦を担当する。
そのためのチェック項目はすべて消化されている。
「やっぱり、手間取っているのかな~?」
イライザが軽い調子で言う。
声のトーンからして、深刻に受け止めているわけではないのが分かる。
「どこかで目詰まりしているのかも」
アルヴィンが続ける。
技術的な問題ではなく、単なる段取りの問題。誰とは言わないが、という含みを持たせた言い方だった。
2人のあいだでは、それ以上深く追及する空気にはならない。
それぞれが違う作業を進めているにもかかわらず、同じように足止めされている。
原因は見えないまま、ただ時間だけが積み重なっていく。
ちょうど12時になり、船内に設定されたリクエスト曲が流れ始めた。
軽快なリズムとともに、マライア・キャリーの「Someday」が会議室に響く。
いつもと変わらない昼の合図だった。
理沙はメリッサと並んで会議室に入り、トレイを手に取る。
自然な流れで向かい合う席に座り、他愛のない会話を交わしながら食事を始める。
話題は特別なものではなく、その日の作業やちょっとした出来事についての軽いものだった。
しばらくして、コクピットでの作業を終えたレイラが入ってくる。
いつも通りの動きで席に着くが、その様子にはわずかな違和感があった。
一目見ただけで、疲労が蓄積しているのが分かる。顔色が悪いわけではないが、集中力がどこか散漫になっているように見える。
理沙は、特に深く考えずに声をかける。
「どうだった?」
レイラは顔を上げて、短く答える。
「問題ないわ」
返事は返ってくる。
しかし、その言葉にはほとんど温度がない。
視線はすぐに外れて、壁面ディスプレイのマルチ画面へと戻っていく。
何かを見ているというより、ただ視界に入れているだけのような、ぼんやりとした目だった。
3人のあいだに、自然と会話が途切れる。
「Someday」の明るいメロディだけが、場違いなほど軽やかに流れている。
食器の触れ合う小さな音と、遠くで誰かが動く気配。それ以外に目立った音はない。
その静けさの中で、レイラがふと小さく声を上げた。
「あ……」
視線は、マルチ画面の片隅に固定されている。
理沙とメリッサも、その方向を見る。
表示されているのは、ニュース映像だった。普段であれば流し見されるだけの情報。
しかし、レイラの反応が、その意味を変えていた。
彼女の声に引き寄せられるように、他の乗組員たちもそれぞれの場所から同じ映像に注目する。
会議室だけでなく、個室や作業スペースでも、同じ画面が共有されていく。
それぞれが、同じものを見始めていた。
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