タイタンの大地に、1基の着陸船が降り立っていた。
黄褐色の空。薄い霧に覆われた荒野。着陸船の周囲には、吹き飛ばされたメタン氷の粒子がまだ白く散っている。
中国国営放送の特別番組は、その光景を様々な角度から繰り返し映していた。
2人の気密服姿の人物が着陸船から降り立つ。
慎重な足取りで周囲を歩き回り、その後、少し離れた小高い丘へ向かってゆっくりと登っていく。
丘の上。
2人は旗を立てた。
厚いタイタンの大気の中で、旗はわずかに揺れている。
その前で記念撮影。
続いて、あらかじめ録音されていた演説音声が流れ始めた。
<中国人民の代表として、いまここに到着し……>
「エンデヴァー」の会議室では、6人の乗組員がその映像を眺めていた。
作業中の者も、休憩中の者も、それぞれの部屋や端末で同じ映像を見ている。
タイタンは、通信遅延を除けばもう“隣”と言っていい距離にあった。
皮肉なものだ、と理沙は思う。
現実の距離では、わずか数秒のリアルタイム通信圏内にいる。
しかし彼らが見ているのは、地球を経由して2時間遅れで送られてきたニュース映像だった。
「終了。。。。」
デイビッドが、某お笑い芸人の真似をしながらぼそりと言う。
理沙は会議室の皆の様子を見回した。
誰も反応しない。
数秒の沈黙。
画面では特別放送が終了し、黒背景の中央に漢字で[終了]の文字が表示される。
それを見たデイビッドが、再び同じ調子で言った。
「終了。。。。」
「やめなさい!」
間髪入れず、隣に座っていたアンジェラが強い口調で言い返す。
空気が、一瞬で凍り付いた。
デイビッドもさすがに口を閉ざす。
誰も次の言葉を選べないまま、重たい沈黙だけが会議室に落ちた。
その空気を和らげるように、わずかな間を置いて、画面越しの船長が口を開く。
「さて」
命令口調ではない。
しかし、その一言には自然と人を動かす力があった。
「各位、タイタン軌道周回の準備。先発隊に引き続き、我々も上陸」
その言葉で、会議室の空気が少しだけ動き始める。
誰も返事はしなかったが、それぞれが無言のまま端末を開き、作業へ戻っていった。
やがて、「エンデヴァー」も「長征」とほぼ同じ高度でタイタン周回軌道へ投入される。
巨大な橙色の衛星が窓の外をゆっくりと流れていく。
タイタンの分厚い大気は、宇宙空間から見てもぼんやりと霞んで見えた。
中国の着陸船は、1日のタイタン滞在を終えたのち、「長征」へと帰還する。
その様子を確認しながら、シフト引き継ぎの短い会議が行われていた。
「行っちゃいましたね」
レイラが、どこか力の抜けた声で船長に言う。
船長は小さく頷いた。
タイタン着陸を翌日に控え、「エンデヴァー」側の準備もすべて整っていた。
着陸船、気象観測装置、地表マッピング機材、帰還シーケンス――確認すべき項目は既にすべてチェック済みだった。
「とりあえずは、祝電を送ろう」
船長がそう言った瞬間、何人かがわずかに顔を上げる。
船長の真正面に座っていた理沙が尋ねた。
「本気ですか?」
「まぁ、同じ仲間なんだし」
船長は、それだけを言った。
国家同士は競争していても、宇宙へ出ている人間の数は限られている。
まして、土星圏にまで到達した有人船は、今は彼らしかいない。
その言葉に、反対する者はいなかった。
そして翌日。
タイタン着陸当日。
パイロットのメリッサ、副パイロットのデイビッド、作業チーフのエドガーの3人が、着陸船へ乗り込む。
格納庫の空気がゆっくりと排出され、警告灯が赤く点滅を始める。
外部ドアが開く。
その向こうには、土星の光を受けたタイタンの橙色の地平線が広がっていた。
固定アームが解除され、着陸船はゆっくりと格納庫から離れていく。
静かな離脱だった。
理沙は中央通路の窓越しに、その姿を見送る。
小型の着陸船は、ゆっくりと姿勢を変えながら「エンデヴァー」から距離を取っていく。
その時だった。
着陸船の小さな窓の向こうで、メリッサがこちらに向かって親指を立てているのが見えた。
理沙は思わず、小さく笑った。
|