船長は、今までの航海を振り返るところから話を始めた。
地球/月圏を出発してからの長い日々。
木星、そして土星。計画変更、タイタンでの事故、救出作戦――その一つ一つについて、彼はゆっくりと言葉を選びながら語っていく。
「あらためて皆に、感謝を伝えたいと思います」
少々たどたどしい口調だった。
それでも、誰も茶化さない。
船長は、それぞれの局面での乗組員たちの対応について、順番に言及していった。
特に、木星での作業を中断し、土星へ向かう判断と準備対応については、何度も感謝の言葉を述べた。
「皆が冷静に対応してくれたおかげで、ここまで来ることができました」
さらに、タイタンでの着陸船救助活動についても触れる。
24時間体制での対応。
シミュレーション。
プラン作成。
船外作業。
そして、実行。
「不可能を可能にした、と言ってもいいと思っています」
船長はそう言って、少しだけ照れくさそうに笑った。
皆、静かにその話を聞いていた。
もっとも、長い航海の終盤ということもあり、何人かは少々けだるそうでもあった。
デイビッドは椅子に深く腰掛け、アンジェラは腕を組んだまま黙っている。
トリスターノはぼんやりと土星の環が映るディスプレイを見つめていた。
だが、誰も真剣に聞いていないわけではない。
船長自身も、それは理解しているようだった。
やがて彼は、話題を地球の情勢へ移した。
「皆も知っている通り、地球側は……少々、落ち着かない状況になっています」
少々、などというレベルではない。
局地戦。
経済混乱。
資源問題。
そして、大国同士の対立。
このまま全面戦争へ発展しかねない空気が、通信越しにも伝わってきていた。
「帰還するまでに、地球が無事に残っていてほしいものです」
わずかに皮肉を混ぜながら、船長はそう言った。
その瞬間、なにげなく皆の視線がデイビッドの方へ向かう。
彼なら何か言うだろう、と誰もが思ったのかもしれない。
デイビッドは口を開きかけた。
だが、自分に集まる視線に気づいたのか、結局何も言わずに肩をすくめただけだった。
小さな笑いが起き、会議室の空気がほんの少しだけ和らぐ。
船長は、その空気の変化を確認するように一呼吸置いた。
「そして、これから先の話ですが」
彼は再び全員を見回した。
「皆には、地球へ戻ったあとも、それぞれの分野で活躍してほしいと思っています」
プロフェッショナルとして。
研究者として。
技術者として。
操縦士として。
それぞれの現場で。
「私は……そんな皆を、背後から支える立場になりたい」
そこまで言ってから、船長は少しだけ言葉を止めた。
妙な間だった。
皆の視線が自然と船長へ集まる。
船長は、その視線を受け止めたうえで静かに口を開いた。
「ゆくゆくは政治家になり――」
アンジェラが、ほんの少しだけ身を乗り出した。
「……大統領になりたいと思っています」
場が静まり返る。
誰もすぐには反応できなかった。
数秒後、ぱらぱらと拍手が起こる。
ばらばらな拍手。
デイビッドが最初に叩き始め、エドガーが苦笑しながら続き、やがて他の乗組員たちも拍手に加わる。
「ご声援ありがとうございます」
船長は皮肉混じりにそう言った。
そして、その視線がゆっくりとメリッサへ向く。
何のことか分からない、という表情で、メリッサは少し緊張した面持ちのまま船長を見つめ返していた。
「メリッサ」
船長は一度だけ呼吸を整えた。
そして言う。
「……私のファーストレディーになってほしい」
再び、会議室が静まり返る。
今度は、先ほどよりもさらに深い沈黙だった。
あまりの急展開に、あぜんとしている者。
口元を押さえたまま固まっている者。
トリスターノは完全に目を丸くしていた。
だが、レイラだけは違った。
彼女の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
理沙は、そのレイラの表情を一瞬だけ見てから、再びメリッサへ視線を戻す。
メリッサは、船長のことをまっすぐ見つめていた。
逃げるような素振りはない。
困惑はしている。
だが、それだけでもない。
長い時間のあとで、ようやく彼女は、ほんのわずかに頷いた。
会議室には、誰も言葉を発しないまま、静かな空気だけが流れていた。
その頃、「エンデヴァー」は土星周回軌道上を静かに航行していた。
遠景の土星。
巨大な環。
そのそばを、細い光の筋がゆっくりと移動している。
地球へ向けて帰還準備を進める「エンデヴァー」の姿だった。
その日の航海日誌。
最初の一行には、こう記されていた。
<過去は変えられないが、未来は変えられる・・・・・>
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