新人発掘オーディション

画面を見つめながら手を忙しく動かす。頭の中はフル回転だが単調な仕事。
4か月前と大差ないのに、なぜかストレスが高まってくる。気分が焦ると手が止まってしまう。
デスクから立ち上がると休憩室に入りコーヒーを一杯飲む。再びデスクに戻る。
夜の仕事を辞めてから、昼の仕事一本で生計を立てているのだが、月給は半分以下。
とりあえずは夜の仕事で貯めたお金があるので、今のところ生活には困っていないが、貯金がいつ底をつくのか気になる。
小さなチャイム音がして、理沙は端末のメッセージを確認した。
銀行からの融資の案内だった。期待がはずれて再び仕事に集中する。そしてあっという間に夕方になる。
「理沙、飲みに行かない?」
同僚から声をかけられて、ちょっと考えたが、
「ごめん、ちょっと用事があるから。また今度ね」
作業を終わらせて理沙は立ち上がった。近くの駅まで速足で向かう。


*     *     *     *

歌い終えて、理沙は汗を拭きながらステージを降りてきた。
メンバー4人とも、黙ったままで控室に入る。
リーダーが言った。「理沙、今日も同じところでミスったよね」
「ごめん」
理沙は頭を抱えてうつむいたままだった。
控室の空気が重苦しい。そんなときに決まって違う話題を振ってくるのはドラムの男。
「昨日、この近くでラーメン屋できて入ったら、なかなか良かった」
つい最近までは、そんな彼の発言にリーダーは反応していたが、今日は無反応だった。
煙草を吸ってくると言ってリーダーは部屋を出た。
「ごめんね、肝心なところで声が出なくって」
「いや、俺たちも今日は調子悪くて、言い訳はできないけど」
そして、理沙とドラム男は、リーダーも調子を外していたことを知っていた。でも、言い出せない。
「このまま続けられるかな」
理沙は立ち上がって、控室の窓から客席を覗いた。
客は皆帰っていた。スタッフが清掃を始めていた。受付カウンターのところでリーダー男が支配人と話しているのが見える。
理沙の肩越しに、ドラム男もその様子を見ていた。
「とうとう切られるのかな、俺たち」


「支配人から言われたのは」
メンバー4人は、ドラム男の言っていたラーメン屋に入った。食後の反省会でリーダー男は言った。
「客の入りが落ちている。今日は12人」
去年のクリスマスに、飛び入りで理沙が歌うことになったときには、40人もの客を沸かせていた。
その後は不定期でステージで歌うことがあったが、今月は特に目に見えて客の入りが落ちていた。
「10人を割ったら、そこで打ちきりだ、と」
とにかく真剣さが足りない、もっと身を入れて真剣に練習しないともうこのバンドは終わりだ、
リーダー男の説教が延々と続く。だらだらと食べて、飲んで、気づいたら日付が変わろうとしていた。
「そろそろ、明日の仕事が心配なので」
ドラム男が帰ろうとして立ち上がった。理沙もそれに合わせて立ち上がると、
「本当にやる気あるのか?」
まだ話し足りないリーダーに対してドラム男は、
「そういうリーダーも、明日は朝早いんでしょ、現場でも大変なんだし」
帰り道はドラム男と途中まで一緒なので、理沙は電車の中で彼と話していたが、リーダー男への愚痴しか出なかった。


*     *     *     *

理沙も含めて、バンドメンバー4人は、各々が生活のために昼間は働いていた。
リーダー男は建設会社の管理職をしている。管理職といっても現場監督として現場を仕切っている関係上、朝は早く夜は遅い。
ライブハウスの仕事のある日だけはなんとか仕事をやりくりして、どうにか時刻通りに到着。
各自が自宅で自分なりのやり方で練習をしていた。理沙は日頃から手本とする歌手の曲を聞いたり、
あまり大声は出せないが、自宅の風呂場で歌うトレーニングをしていた。
わざわざヴォイス・トレーニングをするだけの時間も、お金もない。
とはいえ、練習不足なのはわかっていた。肝心のサビのところで理沙はいい声が出なかった。
自宅のベランダで眼下の夜景を眺め、缶ビールを飲んだ。自分の重苦しい気分とは無関係に、夜景は美しかった。
翌日もいつものように事務所での仕事。なぜか不思議なほどに仕事がはかどった。
難航するだろうと思っていた顧客との調整が、その日はあっさりと進んだ。先方の担当者が大抵難癖をつけてくるのだが、
今日は恐ろしいほどの丁重さで理沙の提案を承諾してくれた。
定時までは少々時間があったが、やることもなかったので理沙は帰宅途中のライブハウスに立ち寄った。
「今日はステージがないのに、どうしたの?」
カウンター席にいる支配人に、理沙は声をかけた。
「リーダーから聞いた件で、ちょっと」
控室に入り、支配人と2人だけになると、理沙は1枚のメモをバッグの中から取り出した。
「飛び入りの私を、快く受け入れてくれていつも感謝しています。もうあれから4か月になるんですね」
支配人は苦笑いした。まぁね、ちょっと毛色の変わったヴォーカルだと思ったが、あなたは面白い人だ。
そして2日前にリーダーに語った事を再び理沙の前で繰り返した。
「でも、客が入らない事には話にならない。観客が10人を割ったら考え直したい」
そのあとは支配人から理沙に対しての苦言が続いたが、理沙が予想した内容だった。


*     *     *     *

「もうそろそろコピーはやめようと思う」
4人集まっての、食事会と称した飲み会の場で、理沙は3人に言った。
「じゃ、オリジナルの曲はあるわけ?」ドラム男から言われて、理沙は首を振った。「まだ、ない」
3人から溜息が漏れ聞こえた。
「でももうそろそろいい時期だと。作ってみないとわからないけど。そろそろ作れそうな気がして」
「自分だってそろそろと思って作ってはみたけど」
いつもあまり語らないベース男が、端末を操作して音源を呼び出した。
音量を小さめにして、テーブルの上に置いた端末のまわりに4人は集まった。
バラード調の曲で、ちまちまと端末を操作しながら作った手作り感満載の内容だったが、耳には心地よい。
「もっと前に言ってくれればよかったのに」
リーダーは改めてこの寡黙な男の才能に感心したようだった。理沙もこの曲が一度で好きになった。
「いい感じね」
曲が終わると、リーダー男はしばらく腕組みして考えているようだったが、
「理沙、この曲に合った歌詞を作れる?」


*     *     *     *

「店を辞めてからどうしているか気になっていたよ」
若社長から連絡を受けて、理沙は会うことにした。向こうから連絡してくるのだから何か考えがあるはずだと思った。
「昼と夜の掛け持ちの生活から解放されたけど、その分、生活費が大変で」
繁華街のレストランで、夜景を見ながら食事をした。
理沙と会わなくなってからも、彼は自分の会社を着実に成長させていた。社員は200人のそれほど大きくない会社だが、
コアな事業をしっかりと作り、その事業から派生していろいろなアイディアを出して新規事業を生み出していた。
すべてが彼の発案ではないが、彼のリーダーシップが社員の気持ちを引き出している。
「羨ましい」
ステーキを食べ終えて、ワインを一口、理沙はひと息ついた。
「でも、あたしも今の生活に満足しているから、やりたいことをやっているだけ」
「そうか。。。。」
そのあとは、自分の仕事のことばかり喋る彼を、以前と変わっていないなと思ってしばらく黙って眺めていた。
とりあえず自分が話したいことを話し終えると、彼は、
「いろいろと先行き予測がつかない世の中だけど、だからこそいろいろとチャレンジしたいと思って、でもって」
ようやく今日の核心を話すというように、ちょっと間をおいて、
「理沙もいろいろと大変だと思う。何か手伝いが出来ればと思って。。。」


*     *     *     *

リーダー男が自分の端末を開いて4人の前に示した。
「これをやってみようかと思って。新人発掘をやっているみたいだ」
有名どころの事務所が、次のスター発掘のためのオーディションをやるというものだった。
かつては海千山千と素人のバンドや歌手のコンテンツが乱立して、事務所側は拾い集めている状態だったが、
ある時点からぱったりと下火になり、いたとしても素人と大差ない、長続きしないバンドや歌手ばかりになった。
「やってみる?」
理沙はリーダーの話を聞きながら、2日前の議論のことを思い出していた。
若社長からの申し出をメンバーの中に持ち出したところ、意見が割れた。
確かに若社長からの資金協力があれば、道が開ける可能性はありそうだった。
リーダーは反対し、ベースとドラム男は賛成した。
しかし、理沙は保留した。若社長の真意が見えずどうなるのかわからないというのが理沙の考えだった。
リーダーが理沙に声をかけてきた。
「理沙はどう思う?」
3人の視線が一気に理沙に集まった。



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