西海岸へ
マリアが亡くなった。
ライブ会場から自宅までの帰宅中に交通事故に巻き込まれ、重篤な状態でかろうじて生きている状態。
ほぼ即時でそのニュースが世間に拡散した。事故現場に野次馬が大量に駆けつけ、
彼女はすぐに事故現場近くの総合病院に担ぎ込まれたが、既に回復の見込みはなかった。
ちょうど同じ頃に理沙は、成功したライブの余韻を感じながら、バンドメンバーと一緒に居酒屋で飲んでいたのだが、
ライブニュースでその事を知り、高揚した気分は一気に冷めた。
理沙はタクシーに乗って、とりあえず病院に向かうことにした。
「何でこんな事になるわけ?」
渋滞でタクシーがなかなか前に進まない。
病院から近い場所に接近していたので、タクシーを降りようかと思ったところ、
ライブニュースがマリアの訃報を告げた。
急にやってきた眩暈に、理沙はそのままドアにもたれかかり、しばらくの間立てなかった。
その後数日は、理沙は気持ちが不安定な状態で、仕事にあまり身が入らず、
ライブハウスでは歌うことができなかった。
訃報をはじめて聞いた時には、どこか別の世界の出来事のように思えたのだが、
毎日のようにニュースで伝えられる続報、最近面識ができたばかりのマリアのマネージャーからの連絡で、
じわじわと心の中で実感として感じられるようになり、マリアが失われたことの喪失感が、心に響いた。
[1年前はまだ無名の彼女が、今では誰もが知っている歌手になりました]
人は亡くなってはじめて生前の功績、生きざまを振り返り、評価されるものだとの評論家からコメントが、
理沙の心にさらに重くのしかかった。
* * * *
「後を追うように、これではね。。。。」
マネージャーに数字を示し、社長は彼女だけが頼みの綱というように言った。
「それだけ影響力があったということですよね」
「とはいえ、もう既に社会問題になっている」
社長は政治家たちの集まる場に呼ばれ、対策を求められていた。
マリアが亡くなったのは事故に巻き込まれたことが原因とはいえ、
人気絶頂での死は、ファンの間に動揺を引き起こし、
追悼のために事務所ビルの前に作られた献花台には、既に2週間になるというのに、集まる人数が増える一方だった。
「亡くなったことを受け入れられないんだよなぁ、あの人たちは」
「そんなキツい事を言わないでください」
窓のはるか下、事務所ビル前の人だかりを社長は眺め、
「マリアの死を悼んでいるいるんですから。しばらくそっと見守りましょう」
マネージャーもまた眼下の人だかりを眺めた。
騒動と泣きわめく声が、どよめきのような状態になって聞こえてきそうだった。
再び彼女は社長の方に向き直り、言った。
「それで、私に何を?」
画面に示された数字に、社長は再び彼女の注意をひいた。
「この2週間、マリアの死を起因とした自殺者の人数だ。今日もすでに5人も亡くなっている」
目的もなくただ生きているのが精一杯、心の隙間を埋めるものを人々は求めていた。
日々自分の知力体力を搾り取られ、へとへとになりながら、最低限の生活をするのが精一杯。
疲れ切って社会に対して声を上げる事もできず、その日暮らしで帰宅したらあとは寝るだけ。
政治家は彼らの声に耳を貸さず、誰も信じられないと諦めかけていたところに、突然にマリアは登場した。
かつてマリア自身が、渋谷の交差点で歌手が歌う姿に魅了されたのと同じように、彼らもまたマリアに魅了された。
素朴だがどことなく温かみのある表情。
無理に飾る事のない彼女が作った歌詞、メッセージ、
最初のうちは他のきらびやかな姿の歌手たちに埋もれ、さほど注目されなかったが、
社会の底辺にいる彼らは、マリアに熱狂し、彼女の姿に自分たちを重ね、明日への希望を見つけた。
その彼女が失われた今、再び彼らは迷い、絶望の淵に落とされた。
「動揺が、暴動に発展することを恐れている人たちがいる」
ちょうどその時、マリアの名前を叫ぶような声を2人は聞いた。
はっとなって2人は窓のところまで戻った。耳を澄ますと、また先ほどまでの喧騒に戻っていた。
「それほどの力が、マリアにはあったわけだ」
マネージャーは腕組みして、社長をしっかりと見据えた。
「でも、あの娘はもう亡くなったんです。追悼コンサートでもやるんですか?」
「いや、まだ死んではいない」
マネージャーは、社長の言ったことが信じられなかった。
「いや、もしかしたら可能なのかもしれない」
ふざけないでください。と、彼女は社長の発言を遮ったが、社長は気にせずに淡々と話を続ける。
「言い方次第だと思う。つまりは、あれは誤報だったと」
マネージャーの制止も効かず、そのプランは役員からも承認され、水面下で準備が進められた。
失敗したら会社の存続にも影響するほどの事なので、
賛成する者以外皆排除され、反対するマネージャーは閑職に追いやられ、
博打とも言えるようなプロジェクトが進められた。
1つの会社だけの問題ではない、皆で協力しようと、いつのまにか巨額の資金がプロジェクトに流れ込んだ。
匿名の、世の中を牛耳るとある人物までが参加し、巨大な生き物となり、
その時には既に、社長にも制御できないほどの大きな動きとなっていた。
* * * *
歌う気持ちになれない日が続いた。
理沙は気分を仕事にだけ集中し、他の事は考えないようにした。
マリアの歌に打ちのめされ、再度立ち上がって自分を見つめなおし、自分の素直な気持ちを歌詞にして、
ライブハウスをようやく満席にしたところで、マリアがこの世から消え去った。
自分には関係ないことと割り切って、我が道を行っても良かったのだが、
マリアの曲は心の中に深く浸み込み、理沙の心を掴んで離さなかった。
[1年前はまだ無名の彼女が。。。。]
どこからともなくまたあのフレーズが耳に入ってきた。
理沙はオフィスの窓の外のディスプレイ表示に再び気を取られた。
理沙の事を毎日気にして、リーダーは事あるごとにメッセージを寄せてきたが、
もう無理なんだよ、と突き返すようなメッセージを理沙は返信した。
そんなメッセージの中に、昔の親友からのメッセージが突然に飛び込んできた。
[地道に頑張っているみたいね。いつも気にしていたよ]
いつも気にしていた、の部分に、全てを監視されているような気分になったが、
念願の自分の店を持ち、地道にも頑張っているとの近況には、理沙は自分の事のように嬉しくなった。
[理沙も感じていると思うけど、自分の力でやっていくのは楽しいけど、苦しいよね]
昨年の今頃に、店で働いていた頃に親しかった若社長からの申し出に、彼の本心を知り恐ろしさを感じたりもしたが、
彼の突然の自殺により、その後理沙は忘れかけていた。
[あなたの身に危険が及ぶと思って]
そのあとの親友からの言葉に、背筋がぞっとした。
[始末してやったよ。あなたが安心して夢を追いかけられるように」
その程度の事だったのだと、理沙は改めて思った。
ちょっと歌がうまいと言われて舞い上がってしまい、
タイミングよく出会ったギターリーダーと、夢について語り合ったものの、
一生懸命に考えた自作の曲は、マリアの前では全く比較にならないほどの駄作のように思われた。
理沙は一旦は気持ちをリセットして一からやり直し、対してマリアはどんどん高いところへと昇っていった。
そして夢の頂点で伝説の人となった彼女。もう諦めようと理沙は思った。
[理沙の事が羨ましい]
では、あのマリアからの一言は何だったのだろう。
[あたしと違って、自由な気持ちで歌っている]
伝説の歌手から、なぜそのような事を言われたのか、いまだにわからなかった。
部屋のベッドの上に横たわり、なにもせずに気持ちを空っぽにして、しばらくの間考えた。
* * * *
理沙は長年住み慣れた家を出た。
ギターリーダーと親友にメッセージを残し、必要最低限の荷物を持って歩き始めた。
[歌はもう、諦める]
明るくなり始めた空を見上げ、最寄りの駅に向かい、
人のまばらな駅で待っている間にメッセージを確認したが、まだ反応はなかった。
電車の中で夜明けを迎え、都心のビル街の不夜城を眺めた。
理沙が仕事で慣れ親しんだ世界が、今日はなぜか別世界のように思える。
ようやくそこでギターリーダーからのメッセージが入ってきたが、内容をちょっと眺めただけですぐに閉じた。
どんな事を彼から言われても、気にしないつもりでいた。
空港に30分ほどでたどり着き、そこで親友からのメッセージを確認したが、想定の内容だった。
[1年前にはまだ無名の彼女が。。。]
目の前の壁面ディスプレイの前で、理沙は立ち止まった。
自分のことをしっかりと見つめているマリア。
理沙はしばらくの間彼女に向き合った。
しかし、立ち止まっているのが自分だけだと気がつくと、再び歩き出した。
ディスプレイの中で歌い、踊っているマリアの前で、何人もの人々が通り過ぎたが、立ち止まる人はいなかった。