社会の理不尽

理沙が交通管制センターで働き始めて4か月目になったが、
仕事に慣れるとともに、徐々にわいてきた自分の仕事についての愛着や、
社会の中での管制システムの位置づけについて、矛盾のようなものを感じるようになってきた。
暗いオペレータ室で、理沙は壁一面の大きなマルチモニター画面を眺め、
ロサンゼルスおよび近郊の交通状況や、渋滞もなく交通事故も交通違反者もない、いたって平和な状態を眺めながら、
個々のクルマに乗っている家族、バスに乗っている乗客、そして大量の貨物を搭載した無人輸送車のことを考えた。
今の状況を、彼らは空気のように、いたって自然な物事のように思っているかもしれない。
しかし、個々のクルマは自分では完全な判断をすることはできない。背後で交通網全体を制御しているシステムがあり、
個々のクルマはシステムと会話しなければ正しい判断はできない。
完全自動運転するクルマができたらどんなに便利な事だろう、過去にはそんな事を夢見ていた評論家もいたが、
個々に判断するクルマは、勝手な判断をしているだけであって、人間にとって全く手に負えない機械になるだけだった。


*     *     *     *

郊外と市街地とを結ぶ高速道で事故が発生した。
マルチモニターの画面に事故の箇所が表示され、システムはお互いに連携し、個々のクルマに対して迂回路の指示をした。
ここまではいつもの事だった。理沙は正しく交通制御が行われているかどうか、モニター上で確認すればよい。
しかし、システムそのものの障害は、たいてい起きて欲しくない時に起きる事が多かった。
[ノード0807で障害発生。代替ノードに切り替えます]
作業員が障害ノードの復旧作業に向かうのを、理沙は確認する。
今回はすぐに作業員が向かっていた。ノード0807のステータスは5分ほどで復旧作業中に変わった。
[ノード0423、0619との間で通信障害。代替経路探索中]
こんな事はあまりないね。いったい何があったのかと理沙は思った。
事故が発生した時には、迂回路の調整や、各クルマとの連携でシステムには一時的に負荷がかかる。
今回は負荷がかかっているところに、ノード障害と通信障害が重なった。
交通網の各クルマの流れが、マルチモニター上では色で表示されるのだが、
混雑なしの緑の状態から、徐々に黄色の箇所が現れ、赤の部分も小さな点から徐々に広がりつつあった。
「流量制御が必要です。エリア4-1から4-3まで」理沙は当直のチーフに呼びかけた。
交通網の構成上、ところどころにボトルネックになる経路があった。
交通自動制御システムは最新だが、道路網のインフラは20世紀後半に作られたものがいまだに使用されていた。
たとえれば、古い革袋に新しいワインを入れるといった状態で、
ボトルネックになる部分にいかに負荷をかけないか、そのために流量自動制御システムが用意されていた。
[エリア4-1と、エリア5-13へ、各車両への流量制御を行います]
乗用車に乗っている家族たち、バスの中で眠っている乗客たち。
彼らが気にすることもなく、個々の車両はシステムの流量制御の指示に従い、別ルートへと流されていた。
運転席のモニターの片隅に小さく点滅している表示にも、彼らは気づくことはないだろう。
[管制センターの指示により、別ルートへ迂回中]
5分後、交通網の赤い表示はすべて緑に戻った。
モニターで見るとクルマが非常に密集している状態ではあったが、非常に順調に流れていた。


*     *     *     *

夜勤が終わり、理沙は家路に向かう。
秋になり夜が明けるのは遅くなり、空気は少々冷たくなってきたが、その冷たさがかえって眠気覚ましになる。
夕方から商店街でのアルバイトがあるので、近所のカフェで夕食代わりのモーニングセットを食べて、
帰宅するとすぐに寝た。
店では10日ぶりでシングルマザーの母親に会った。
「あなた、なかなかタフね」
休憩時間には理沙は彼女とカフェオレを飲みながら雑談するのが常態化していた。
「あなたほどではないよ」
と、いつも同じような会話を繰り返すだけ。しかし、2人は会話を楽しんでいた。
「センターでの仕事、そろそろきつくなってきたよ」
まぁね。。。と理沙も相槌をうった。「最近、障害がなんだか多いような」
「誰かさんがきちんと予算を積んでくれないから。なんでも現場に負担かけるのね」
「でも、そのおかげであたしにも仕組みがわかってきたよ」
「考え方が前向きね。あなたって」
つい2日前も、理沙の機転をきかせた行動によりシステムが大規模障害から回避されたばかりだった。
ロサンゼルスの交通網が徐々に頭の中に入ってきて、ボトルネックがどこにあるのか、
システムの各ノードの障害パターンを、どのように復旧して、復旧中にはどんな2次障害に注意すべきか、
コツのようなものを理沙は掴み始めていた。
「システムに頼りきってばかりいたら、馬鹿になるだけだよ」
そして残り少ないカフェオレを飲み干すと、理沙は仕事に戻った。


*     *     *     *

管制センター内でも、理沙は働きを認められて、シフトチームの間では仲間意識のようなものが芽生えていた。
仕事中の高ストレスな状態から、心身を病む人間が多い職場ではあったが、
理沙のシフトチームの中では、そのようなことはなかった。
シフトの関係で、時間の調整は難しかったが、ちょっとした食事会はできるだろうと考え実行した。
それどころか飲み会もできないかとの案もあがり、理沙はさすがに無理だろうと考えたものの、
メンバーの気持ちは強く、不可能と思えた飲み会は実現した。
とはいえ、翌日の仕事は非常に辛かったが、それ以上にモチベーション向上には役立った。
理沙が作り上げた、管制制御システムの障害時の対応のためのノウハウは、メンバーの間で共有され、
メンバーの間で共有されたノウハウは、他のシフトチームにも連携された。
理沙のちょっとした気づきと、仕事に対する思いが、徐々に皆に広がってゆき、
自分の居場所がようやくできあがったと思った矢先、その日は突然にやってきた。


*     *     *     *

「それって」
センター長に呼ばれた理沙は、彼からのひとことに気持ちが凍り付いた。
「首切りですか?」
「いや、ちょっと人員配置の見直しを行いたい」
お互いに腕組みをして、しばらく黙ったままだった。
やがてセンター長は口を開いた。
「業務改善のためのノウハウを蓄積してくれたことには感謝します」
そこで、センター長の真意が徐々に見えてきた。
「では、その感謝の気持ちと、今回の首切りとの関連は?」


センターの要員が3分の1に縮小されることになった。
理沙も整理対象の一人となっていた。しかも退職日は5日後。
5カ月の間に作り上げた、業務改善のノウハウは、ひそかに記録され抜き取られ、
自動化システムのロジックに組み込まれたという事は、翌日のセンター長からの説明でわかった。
「多大な貢献ねぇ。。。」
システムの障害に対する理沙の対応をもとに、自動化システムはさらに進化し、故障予報システムにまで発展した。
故障予報システムは機器交換の自動化の仕組みにも連結することになるのだが、
「その貢献の結果がこれではね。」
あすから路頭に迷うことになる、シフトメンバー皆の顔を思い浮かべながら、
自分が良かれと思ってやったことが、自分の首を締める事になったことに非常に理不尽に思うとともに、
きつい冗談だとも感じた。
「自分を責めることないよ」
シングルマザーの母親になだめられながらも、理沙の気持ちは冴えなかった。



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