マネージャーとの再会
つい余興のつもりで歌ったのが好評で、理沙はショットバーで不定期で歌うことになった。
客からのウケがよかったのは「Vanishing」で、理沙が東京の店で歌っていたのがまさかここで役に立つとは思ってもいなかった。
若干ではあるが、理沙の手元に入るチップの量が増えた。
今日も理沙は歌っていた。なぜかステージの上に立つと気分が高揚して、普段抱いている鬱積した気持ちも解消される。
歌い終えると、店長から呼び止められた。
「お客さんだよ。ご指名で」
薄暗いフロア席の片隅に、その女は座っていた。理沙を見るなり立ち上がって手を差し伸べてきた。
「理沙、ようやく見つけた。結構探したよ」
東京でマリアのマネージャーをしていた彼女は、理沙の手を取り、旧知の友人でもあるかのように再会を喜んでいた。
理沙の方は、少々複雑な気分ではあったが。
* * * *
東京でバンドメンバーのヴォーカルをしていた頃、彼女との関係は、オーディション会場での会話から始まった。
他の候補者とも同列ではあったが、単に事務的な会話しかしない、事務所の役員たちや審査員とは違って、
親しく話しかけてくれたし、結果として理沙たちのバンドメンバーは候補から外れてしまったが、
これもひとつの縁と、再度のチャレンジを勧めてきたリ、マリアと親しくなった後では、彼女との連絡を取り持ってくれたこともあった。
「やっぱり、歌うのが好きなのね」と、マネージャー。
しかし、この店に理沙が流れつくまでの経緯について、マネージャーはあえて理沙に問いかける事はなかった。
理沙もまた、どうやって自分がこの店にいる事を知ったのか、マネージャーに訊くことはなかった。
2人はカウンター席に移り、お互いの今の状況について話しを続け、
ショットバーの閉店時刻になると、その後も2人は24時間営業のレストランで、朝まで話を続けた。
「心配はしたけど、でも、理沙が決めたことだからね」
「あたしも随分悩んだけど、先が見えなくなってしまったから」
マリアのことについて、マネージャーはずっと会話の中で触れずにいた。
なにか理由があると理沙は推測はしたが、ようやく空が白みはじめてきたころに理沙は話を切り出した。「ところで」
マリアの追悼のコンサートが開催され、立体映像で登場したマリアが大きな話題になった事までは、理沙は知っていた。
「実はね、あの件では社内でかなりの騒動になったの」
改装された東京ドームでのライブが、マリアにとって最初で最後のワンマンライブとなったが、
不慮の事故で亡くなったのちの、追悼コンサートの開催については事務所内で意見を二分することになった。
社長は、ワンマンライブの際に記録された立体映像を使用することを強く推した。
「最後の見納めにぴったりじゃないか」
「そんな」マネージャーはすぐに反応した。
「亡くなったマリアを、金儲けのネタにするつもりですか?」
そんなつもりはないと、社長もまた反応した。
ファンの気持ちに応えるためには、美しいままの姿のマリアを記憶にとどめてもらうのがいいだろうと、
その社長の意見には、社員もほとんど素直に受け止めていたが、マネージャーはそこで終わりにはしなかった。
「かえって逆効果だと私は思います。それと。。。。」
会議室はいつの間にか、社長と、マネージャーの1対1の口論の様相となっていた。
「立体映像を使うことに、なにか社長のすごいこだわりを感じますが」
マネージャーは、社長の目をしっかりと見据えていた。
社長は彼女のただならぬ眼光に驚き、ほんの少し表情がひきつった。「その事に、何か問題でも?」
専務が間に入って、とりあえずその場の2人の意見の対立は収束したが、
マネージャーは追悼コンサートの担当から外されることになった。
やがて、彼女は社内では浮いた存在となり、仕事も手につかなくなった。
「でも、追悼コンサートなんて今まででもあったのに。今さらなにを揉めるの?」
話が長くて、理沙もそろそろ眠くなってきていた。
うつろな目の理沙に対して、マネージャーもそろそろ話を終わりにしようと思っていたものの、
「普通ならね。でも、社長の後ろに大金が動いているとしたら、怪しいと思わない?」
理沙は、ちょうどそばを通りかかった店員にコーヒーを注文した。「金って、どのくらいの?」
マネージャーからの具体的な数字に、理沙は眠気が吹き飛んだ。
「そんな金額、どこから?」
マリアが亡くなり、事務所の中がてんやわんやで忙しかった頃、マネージャーはたまたま社長室の前を通りかかった時、
社長と一緒に外に出ていこうとしている数人の人物を見た。
マネージャーにも全く面識がない人物だったので、彼女も忙しかったので忘れかけていたところ、
数日後、たまたま見た討論番組の中の出演者のひとりに、彼女の目が留まった。
「その政治家が、金を出したわけ?」
「断定はできないけど。でも、討論会の内容と結び付けて考えると、繋がりそうな気がして」
社会を支配している、この閉塞感を何とかしたいというのが、その政治家の主張だった。
無気力な人々が溢れ、経済は停滞し、投資家の外国マネーに蹂躙されている社会全体に、昔のような活力を取り戻したい。
しかし、今までのようなやり方ではなく、もっと根本的に違った方法で対応したい。
「根本的に違った方法といっても、まさか、暴動でも起こすわけ?」
ちょうどその時店員がコーヒーを2つ持ってやってきた。理沙は手に取るとブラックを半分ほど一気に飲んだ。
「暴動とまではいかなくても、違った方法でみんなの気持ちにスイッチを入れることができれば」
その後、追悼コンサートは予定通りに開催され、5万人もの人々は立体映像で再度登場したマリアに涙し、別れを惜しんだ。
会場隅のコントロール室から、その光景と会場内の異様な空気を、マネージャーは違和感を感じつつ冷めた目で眺めていた、
「私の思い違いであればいいんだけど、あの時の政治家が絡んでいるとしたら、複雑よね」
外はすっかり明るくなっていた。入ってきた夜勤の労働者とすれ違いに、2人はレストランから出た。
* * * *
その後、理沙は東海岸のシステム会社に職を見つけることができ、シングルマザーの母親の家での居候生活は終わった。
小さなワンルームのアパートで生活しながら、忙しい毎日という点では今までと変わらずだった。
理沙は働いている間も、いつこの仕事が突然に終わってしまうのかと、常に緊張感にとらわれていた。
マネージャーとの別れ際に言っていた言葉が、理沙の脳裏にはまだ残っていた。
「いつでもその気になったら、戻ってきて欲しいと思っている」
マリアが亡くなり、それでもまだ死を受け入れられない熱狂的なファンは、
現実と立体映像の区別もつかなくなり、死というものがなかったかのように思っていた。
「作り上げられたイメージでなくて、素のままの理沙を、あたしは売り出したい」
一方、マネージャーは東京に戻ると、社長に理沙と会って話したことを伝えていた。
今は亡きマリアの追悼コンサートの大成功で味を占めた社長は、マリアを使った次のビジネスのことで頭がいっぱいだった。
「理沙って、誰?」
社長はまったく興味がないようだった。
マネージャーは、予想通りの返事が返ってきたので、小さく溜息をついた。「そうでしょうね」
そのあと社長は、尋ねもしないことをだらだらとマネージャーの前で話しを続けた。
閉塞感の中で行き場のない人たちは、マリアのような純粋な歌手を求めている。
現実に目を向けない人々に、これからも夢を与え続けるのが私たちの仕事。
マネージャーは話を遮り、言った。
「あの方々から、追悼コンサート名目で、いくら受け取ったのかしら?」