困難な時こそチャンス

訓練で疲れ果てて、ベッドに横になるとすぐに深い眠りに入ってしまう。
しばらくたって、突然の激痛に起こされる。
体全体が押さえつけられて身動きが取れない。何度も鈍器のようなもので殴られる。
あっというまの攻撃だったので、ようやく起き上がって周りを見渡すものの、
犯人は暗がりの中で良く見えない。しかし、逃げる後姿は見えた。
理沙は激痛で動けない体をようやく動かして、再び横になった。
打撲の痛さよりも、眠気の方が強かったので10分もしないうちに再び無意識の世界の中に溶け込んでいった。
そして、いつものように起床の合図。
反射的に起き上がり身支度をすると大急ぎでグラウンドに出る。
一緒に起きた同僚と慌ただしく階段を降りる間も、昨夜の犯人が誰なのか、まわりを見渡しながら不審な視線を探す。
まだ夜も明けない極寒のグラウンドで教官の訓示を聞いている間も、
どこかから向けられる鋭い視線を感じていた。
朝の訓練が始まり、トラックを走っている間、時々気になって目をそちらに向けると、彼らの方が目をそらせた。
このテの陰湿ないじめには、東京の夜の世界で生きていた時に経験済みなので深刻な問題とは考えていなかった。
どうやって彼らを出し抜き、完膚なきまでに叩きのめすのか、
その事にのみ理沙は思いを集中した。


*     *     *     *

「あなた、なんか違うところがあるなと思ってたよ」
昼食時間にチームメンバー3人で食事をする。士官学校で最初に仲良くなった女性と一緒になった。
「あそこまでやるとはね。。。。さすが」
「目立ったことやってぶちのめされるんだったら、もっと目立ってやろうかと」
理沙は相変わらず自分に向けられる視線の主に向け、
わざと聞こえるように言った。
「とはいえ。。。」神経質そうなもう一人のメンバー、理沙の一つ年上の男性は、なんとなく頼りない。
「彼らみんな訓練兵だぜ、体力じゃ絶対に不利だ」
「だから、頭を使って闘うのよ」
理沙たちの3人チームは、一般枠と呼ばれるカテゴリーから入学した候補生だった。
聞いてみれば理沙含めて皆軍隊経験はない。対して、ほぼ8割は軍隊経験者。
にもかかわらず今回の候補生60人が3人構成の20チームに分けられたものの、
軍隊経験者と一般枠の混成チームは一つもない。体力の点では軍隊経験者が有利だった。
軍隊経験者は一般枠を明らかに蔑んでいた。
就寝時の陰湿ないじめ、講義中に理沙に向けられる冷たい視線。
理沙は考えた末に、ある夜に作戦を考えてベッドの中でいつもと違う位置で寝る事にした。
案の定、それらしく型取った寝具の山に殴りかかって来たので、
理沙はひそかに持ち込んでいた防犯用ブザーのスイッチを入れた。
部屋全体に響き渡る大音響。すぐに部屋の照明が点いて、
理沙は犯人が両耳を押さえながら部屋を逃げ出す姿をはっきりと見た。
もちろん、その件で理沙は教官から厳重に注意されたが、ある意味、理沙は候補生の間では有名人になった。
「絶対に、彼らの事を見返してやろうよ。方法はあるはず」


*     *     *     *

毎日の軍事訓練で彼ら3人は、訓練兵チームには圧倒的にかなわなかった。
トラックでの長距離走ではいつでも半周遅れ、
まだまだ慣れない射撃訓練では、最低に近い点数をさまよう。
実戦を想定した交戦訓練では、いつでも速攻で殺されていた。
そうでなくても重い兵装が3人の動きを鈍くする。
疲れ果てても技術講義はおろそかにすることはできず、筋肉痛と強烈な眠さに何度もくじけそうになった。
「もうだめだ」すっかりリーダー男の口癖になっていた。
そんな彼に対して理沙はさらにダメ出しをする。
「どうせここで辞めても、行くところないんでしょ?」
「でも、あまりにも酷すぎる」
短い間に3人は戦友としての仲は深まったが、彼女のいう事ももっともだった。
理沙はどうにかしてこの窮地を脱出したいといつも思っていた。
弱気になりつつある2人を励まして、盛り上げようとしていた。
ただし、アイディアがまだなかった。夜の間あれこれ考えているとなかなか寝付けない。
ふと思いついた理沙は、見方を変えてみる事にした。
勝ちたいという思いだけあっても、結果につながらなければ全く意味がない。
ある日、理沙は教官と個別に会話することにした。


*     *     *     *

「修了テストのことでお聞きしたいです」
単刀直入に理沙は教官に尋ねる。
自分たちがどんな仕組みのもとで評価され、今後の軍での人生が決まってゆくことになるのか。
教官を前にして、理沙はどんな強烈な反論があってもまずは自分の考えを伝えようと、恐ろしさを抑えながら冷静に話した。
そして教官も、理沙の話を静かに聞いていた。
理沙が話を終えると、
「わかりました」
いつもの鬼教官の厳しい口調はなかった。1分ほど考えると、
「技術士官という特性上、候補生に対しては技術スキルの習得を重要視している」
すべてを説明するということはしなかった。
一番重要な点を簡潔に、そしてこれが答えだということは直接述べずに。
しかし理沙にとってはそれで十分だった。
部屋で待っている2人のところに戻るまでの間、自分のしたことが本当に正しかったのかと改めて思った。
もしかしたら今回の事がもとで、評価を下げられてしまうのではないか。
実は教官はウソの情報を伝えているのではないか。
それでも理沙は教官から聞いた情報を2人に伝えた。疲れ切っている2人の表情が一気に明るくなった。


*     *     *     *

とにかく、やりとげればいいんだ。
翌日からの軍事訓練も今までと何ら変わることなく、理沙たち3人は徹底的に痛めつけられ、成績は最下位だった。
しかし前日までの3人と明らかに違うのは、一言も弱音を吐かずに訓練を続けていたことだった。
毎日のようにトラックを走り、兵装を抱えて極寒の野山を走り、実戦訓練で訓練生チームと闘う。
軍事訓練でどんなに疲れていても技術講義には誰よりも早く教室に行き、一番最後まで教室にとどまった。
夜遅くまで3人で情報交換し、各々の注力すべきテーマを決めて全力で学び、
学んだことを再び3人で共有。その繰り返しが毎日続く。
気持ちが前向きな3人は、なぜか全体の中でも目立つようになってきた。
他の一般枠チームが次々に脱落する中で、なぜか理沙たちの3人チームは食らいついていた。
そのモチベーションに触発されたのか、訓練生チームは軍事訓練の場で本腰で臨むようになってきた。
目的はただ一つ。理沙たち一般枠チームを叩き潰し、出し抜くこと。
そうなることを理沙はしっかりと見抜いていた。
不思議な事に気持ちが前向きになるに従って軍事訓練の成績も徐々に上がってきた。


*     *     *     *

実戦訓練で理沙は、訓練兵の中でも格段の体力の女性兵と対峙した。
かつて彼女が理沙の寝込みを襲っていたことはわかっていた。
あえて彼女を挑発し、理沙は正面から立ち向かった。
背が高く、男性兵士と堂々と対決して五分五分の成績。
時には男性兵士を打ちのめしている彼女と、理沙はがっつりと組んで体力で対抗した。
当然のこととしてすぐに理沙は締め付けられてひねり潰されそうになった。
しかし、あえて理沙は弱いところを見せるつもりで苦悶の表情で動かなかった。
ただ耐えるだけでもう終わりかと思われた。
理沙は強靭な彼女の体力に身動きできなくなっている間、じっと耐えながらあたりの状況を観察し、
彼女の体を慎重に見渡した。スキを探すためだった。
そして発見したわずかなスキを狙ってある一点に全力を集中した。
どんなに鍛えても、人間にはどこか弱いところがある。
そのツボを理沙は力いっぱい突いた。
強烈な痛みに女性兵は体のバランスを崩す。理沙がそのチャンスを狙って押し倒す。
体を一気に反転させて女性兵の胸元に腕をかけて、上半身に馬乗りになる。首元に実戦用ナイフを寸止め。
女性兵と理沙はしばらく視線を合わせていた。
理沙はゆっくりと立ち上がり、歩き出した。
女性兵はしばらくの間空を見上げたまま動き出すことはなかった。


*     *     *     *

とはいえ、勝利はその一時だけだった。
翌日からは3人は再び痛めつけられ、一日の終わりにには疲弊して、講義中は眠くなりそうになるのを必死に耐えた。
「大丈夫、やりとげればいいんだ」
その言葉はいつの間にか理沙の口癖になっていた。
「75パーセントを完璧にこなせば、きっと勝てる」
その数字は夢の中にまで出てきた。
朝の長距離ランニングでは、3人でお互いに励まし合い、傷ついた体をなだめながら走った。
訓練生チーム達から弱小チームだと陰口をたたかれながらも、3人は走った。
ゴールを目指して。



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