罵声と屈辱を乗り越える

4か月の初等訓練も終わりが近くなり、理沙の3人チームは成績がどうなるのか気にしていた。
理沙が教官から単刀直入に聞き出した、評価にあたっての配点については、3人にとって希望になったが、
もしかしたらガセねたではないのか、理沙たちはまんまと教官の策略に嵌められたのではないかとの疑いも生じてきた。
「一番愚かなのは、あたしたちって事になるのかも」
同僚の女性候補生からそんな事を聞いて、理沙の心にも一抹の不安が生じてきた。
「あたしたちは技術士官になるんだから、目標があやふやではだめだよ」
その言葉は自分自身に対するものでもあった。
軍事訓練では毎日のように訓練兵チームから痛めつけられ、
一日の終わりには疲れ果てて眠りたいところ、3人で翌日の技術講義の予習をする。
とにかく成績トップになって訓練兵たちを見返してやりたい。
眠りにつけば相変わらず訓練兵たちから殴打される。
一時、防犯ブザーを鳴らして陰湿な行動が明るみに出たものの、
根本的に解決にはならず、教官たちからも見て見ぬふりをされることになった。
そんな皆からの理不尽な扱いが、理沙の心にさらに火をつけた。


*     *     *     *

「おめでとう」
理沙たちの3人チームは、教官から呼び出され、さっそく激励された。
結果として、理沙たちの3人チームが総合成績トップで首席卒業することになった。
成績発表されて、まるで夢を見ているのではないかと疑ってしまったが、
現実であることを認識すると爆発的な喜びがこみあげてきた。
「いろいろとあったが、よく頑張った。これからは士官として頑張って欲しい」
3人は教官の前で敬礼し、その後、教官は握手を求めてきた。
今までの屈辱的な扱いとは雲泥の差である。
教官の手を握るのは初めての事だった。見た目とは違い、包み込むような柔らかさと暖かさを感じた。
「教官」
理沙は喜びで張り裂けそうな気持ちを抑えながら、言った。
「私たちに勝つことのできるチャンスを与えてくださり、感謝しています」
泥沼のような屈辱と味わい、罵声を浴びながら耐えてきたところ、教官からの一言が理沙たちを救った。
「あの一言がなければ、脱落していたかもしれません」
すると教官は、
「私が何かためになる事を言ったかな?」
そして何も思い当たらないというような表情を見せていたが、やがて思い当たったのか、
「ああ、あれね。別にどうって事はない。技術士官の訓練なんだから当たり前のことだと思うがね」
そして、いつもの訓練の時の厳しい口調とは違った、淡々と語りかけるような口調で言った。


「体力や軍事訓練の成績だけがすべてではない。
技術士官であれば技術が第一。その基盤があって指揮能力や、軍人としての能力が求められるのであって、
その点をまずは勘違いしてはいけない。
勘違いしている連中は、その時点で落第したも同じ。彼らの軍人としての人生はもう終わったようなものだ」
今までの訓練での屈辱的な扱いに、理由があった事を知り、理沙は踏みとどまってよかったと思った。
見て見ぬふりをしていたのではなく、教官は訓練生の個々の考えを見抜いて、ふるいにかけていたのだった。
「自分たちが体力的にも、戦闘能力的にも優れていると思い込んでいるのがそもそもの間違い。
最初の訓練でその事がわかったので、チーム編成の際にはその点を考慮した。
兵隊あがりの訓練兵グループと、一般枠からのグループに分けたのは、目的あってそのようにした。
訓練兵グループと一般枠からのグループを競争させて、だが、私が期待していたのは一般枠からのグループだ」
その後も教官からの説明は続いた。
士官クラス、特に下級士官の管理能力の低下について、軍の中では近年大きな問題になっていた。
各地の戦闘地域で発生している不祥事に対し、軍としては規律を重んじた教育の重要性を再度課題とした。
体力や精神力だけに任せるのではなく、規律や論理的な思考をベースとして、メンタル能力の向上を目的とした教育方針。
そこで考え出されたのが、訓練兵と一般採用の混成教育だった。
「私も非常に不安だった。内心は。
だが、限界の状態に身を置いて、そこで冷静になって考えられる事こそ士官に求められる事。
理沙、あなたは私に評価の仕組みについて質問してきたが、あのような質問をしてきたのはあなたが初めてだ。
どんな極限状態でも、冷静になって考える事を忘れてはいけない」


教官の部屋から出ると、3人は廊下をゆったりと歩き始めた。
つい先ほどまでの風景が、がらりと変わって明るくなったような気がした。
廊下の真ん中を堂々と歩き、講堂につながる共有スペースに着くと、
あちこちで休憩している訓練生たちが、皆理沙たち3人のことを見た。
3人のことを痛めつけ、時には罵声を浴びせられていた訓練生のチームもいた。
しかし理沙は、彼ら訓練生から目をそらすことなく、堂々と前を見て歩いた。
「ごきげんよう」
理沙は、軍事訓練で瀕死の状態に追い込まれたものの、一発逆転で喉元にナイフを突き付けた女性兵に言った。
今にでも襲い掛かって来るのではないかと怒りに燃えているようにも見えたが、理沙はもうどうでもいいと思った。
気力では、女性兵に勝てる。そんな気がした。
明日からは、実地訓練に入ることになり、理沙の3人チームは解散することになるが、
最強のチームで一緒に戦うことができたことを理沙は非常に誇りに思った。
面接会場で初めて会ったおしとやかな女性候補生。
チームになってはじめて会った、家庭が貧しくて大学受験をあきらめた、ネガティブ思考の塊の頼りない男性候補生。
しかし今では2人とも立派な首席卒業生へと成長していた。
「理沙と会えて良かったよ」と、女性候補生。
「これからは、自分に自信を持ってがんばる」と、男性候補生。
3人は腕を組んで、空高く帽子を投げ上げた。
屈辱も、皆からの罵声も、すでに過去の楽しい思い出の一つになった。
理沙は講堂を振り返り、まだあの場でくすぶっているであろう訓練兵チームのことを思い、
反省して、這い上がることはできるのだろうかと思ったりした。
なぜか、笑みがこみあげてきた。


*     *     *     *

その後、男性候補生が士官学校を去ることになった。
彼は、原子力潜水艦の技術士官として、軍の技術開発センターに配属されしばらくの間働くことになるが、
その後は原子力潜水艦の乗務、または新型潜水艦の設計にかかわることになりそうだった。
ほぼ同時期に、女性候補生も司令管制システムの開発センターへの配属が決まった。
2人の配属が決まってから、3人での送別会は配属前日にあわただしく行なわれることになった。
「理沙の配属はいつ?」
女性候補生から尋ねられたが、
「まだはっきりと決まっていないんだよね」
配属が決まるまでの間は、士官学校の研究施設で研究生としてとどまることが可能だった。
研究施設は、技術開発センターも兼ねていて、官民共同で研究が行われることがあった。
理沙が選択したのは、核物理工学センターのカリキュラムだった。
小さいながらも原子炉などの核物理の実験施設があり、大学と共同で使用していた。
核物理は難解なこともあり、兵器工学や、情報工学と比べると選択する者は少なかったが、
競争率が低い事に目をつけ、理沙は核物理工学を選択することにした。
ちょうど近隣の大学から来ていた学生と一緒に、核物理工学センターの中を見学する機会があり、理沙も同行した。
センター長が先導して、施設の中を歩く。
小型原子炉、粒子加速器、次々にセンター長が設備について説明しているところで、理沙はふと学生の一人が気になった。
向こうもこちらを気にしているのか、目が合った。
「どうも、はじめまして」学生は軽く頭を下げた。
「はじめまして」
理沙も頭を下げた。そして再びセンター長の説明に聞き入った。



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