FlashBack

画面に示される数値が徐々に上昇し、赤いラインを越えたところでアラート音が鳴った。
[動力注入開始準備、全員安全区画に退避せよ]
理沙は制御室でモニター表示を確認し、実験装置の部屋から全員退避したことを確認すると、作業を続行した。
「動力注入を開始、点火まであと60秒」
理沙も含め5人は、制御室でモニター表示を並んで確認した。
ちょっとした住宅地一帯分の電力が、キャパシタに蓄えられ、蓄えられた電力が一気に実験装置に注入される。
動力レベルを示すゲージが徐々に上昇し、数値も既定の値の50パーセントを超える頃になると、
実験装置の各コンポーネントの表示が、次々に赤表示に変化していた。
「20秒前」理沙は淡々と秒読みを続ける。
ドーナツ状の実験装置の全てのコンポーネントが、準備完了のステータスに変わった。
理沙は操作パネル中央にある、小さな赤いボタンの保護カバーをはずした。
赤いボタンに手をかけて、カウントゼロと同時に押した。
「開始」
実験装置内部のモニター表示を、5人は注視した。
真っ暗だった画面が、ほのかにピンク色に輝き、ドーナツ状のその小部屋の真ん中に、光り輝く筋が現れた。
空中に浮かんでいるその光輝く筋は、1秒もしないうちに消えて、再び元の暗い画面になった。
よし、という声が聞こえた。
理沙も小さく溜息をついた。
「データ収集開始」
モニター画面上にはいくつかの数値が表示されていたが、その中のひとつの数値を理沙は指で示し、
右隣に座っているリーダーも満足そうに頷いた。
[持続時間、0.8秒。発生出力、0.5メガワット]


配属先が決まるまでの間、理沙は士官学校に隣接している研究施設で研究をすることが許可された。
選択した核物理学のコースは、難解なテキストと格闘するのが非常に苦行ではあったが、
実験装置を操作するのは気晴らしにもなり、また、官民共同の研究プロジェクトに参加することで、
一般大学生と交流することになり、士官学校での苦しい訓練の日々と比べれば、天国のような楽しい日々となった。
4人の大学生のチームに参画し、理沙は核融合実験装置を使用した、臨界プラズマの特性を研究することにした。
実験装置は、ちょっとした小部屋におさまるくらいの、直径5メートル、高さは4メートルほどの大きさでである。
フランスのカダラシュや、茨城の那珂町にあるような、連続運転が可能な核融合原型炉ほどの能力はないが、
水素とヘリウムを使用して、1億度近い高温プラズマを取り扱い、核融合炉の模擬操作的なことが可能だった。
その日も水素とヘリウムの調合割合を変え、プラズマの加熱と超電導磁石の状態を調整して、
プラズマの安定化と、加熱についての検討を行い、検討した通りの結果になることを装置で確認していた。
核融合はまだまだ制御の難しい技術ではあるものの、カダラシュや那珂町の設備では日々技術革新が行われており、
実用化もそろそろといった状態になっていた。
5人チームのリーダーは、常に冷静沈着で、チームメンバーを引っ張っていくタイプで、
難しい課題に直面しても、皆で解決しようという前向きな気持ちの人物だった。
大学卒業後は、彼はカダラシュに行き、技術開発プロジェクトへの参画を考えていた。
「なぁ、今度の休みにちょっと出かけない?」
皆が実験データの取集に忙しく手を動かしているところで、リーダーは言った。
いいねぇ、と皆から声があがった。
理沙もまた手を休めて、リーダーの方を見た。
「いいですね。一段落したし、行きましょう」


その日の夕食後に、5人はラウンジに集まって週末の過ごし方について話をした。
近くの山に行こうという案は、5分もかからずにあっさりと決まってしまった。
自然環境は比較的恵まれている場所なので、いつでも行けると思っていたものの、日々の研究と作業であんがい時間はなく、
いつかは行ってみたいという漫然とした思いが、5人皆で一致した。
キャンプ道具一式をワゴン車に載せて、1泊して帰ってくるというプランで、
土曜日の夜が明ける直前に5人は研究所を後にした。


*     *     *     *

車で約2時間ほど走ると、ロッキー山脈近く渓谷に着いた。
夜がようやく明けたところだった。春先でまだ肌寒かったものの、目が覚めるような新緑の風景が気分を高揚させた。
さっそく山を歩いてみることにした。リーダーが先頭に立ち、観光客が徐々に増えてきた山道を歩き、
山の中腹で食事をしたあとは、再び渓流に戻り、夜の食事の準備を始めた。


火を囲みながら、食後の時間を過ごす。
あたりはすっかり暗くなり、人里離れたこの渓谷は静まり返っていた。
100メートル程離れた場所に、他の宿泊者が火を囲んでいたが、彼らの声は静寂に飲み込まれて聞こえない。
5人は、しばらくの間日常の他愛のない話題ばかりしていたが、やがて、リーダーが話題を変えた。
「こんな時もあと何回あるかわからないし、差し支えなければ」
理沙を除いた4人は同じ大学の学生だが、理沙だけが軍からの参加者ということで、常に皆は一目置いていた。
ましてや士官学校出身の軍人である。見えない壁のようなものを感じているのだろう。
「私みたいな経験者は、軍でも珍しいかと思っています。4年前には東京の夜の街で働いていましたから」
なぜ夜の街で働くようになったかの経緯は省略した。
昔からの親友と偶然に再会して、彼女が働いている店で働くことになったという程度にとどめた。
「昼は別な仕事をしていましたが、彼女の考えに惹かれて、いつかは自分の店を持つことを夢見て店で働きました。
いろいろな客を見てきましたが、世の中の縮図を見ているようなものでした」
きらびやかに見える夜の世界は、学生たちにも少々経験があるようだったが、
ちょっと話のネタ程度に、遊びのつもりで店を覗いてみたといったくらいで、深く足を踏み込んだ者はいないようだった。
「ノルマもあり、店の中ではキャスト同志で争いが絶えませんでした。文字通り体を痛めつけられたことも。
士官学校での陰湿ないじめの話は、以前お話したことがありましたが、店でのいじめの方が厳しかったかも」
そして今までの人生の中で転換点となった、エアギター男との出会い、店長が裏切って店を窮地に陥れたことについて、
理沙は淡々と話を続けた。天地の差ほどの経験も、今では単なる過去の出来事でしかないが。


「親友と別な店に移ることになり、文字通り根無し草の状態から、再スタートすることになったわけですが、
よくもまぁ乗り越えたものだと、今でも不思議に思うくらいです。でも、その経験があったので今があると思っています。
とにかく、死ぬわけじゃないんだし、やれると思えばやれるのだと」
親友の心の中の冷酷無比な考えを知った、恐ろしい出来事についてはさらりと語るだけにとどめた。
話したところで夜の怪談話になるだけだし、どんな波紋を呼ぶかも想像がつかなかったからだった。
「親友とは、考え方の違いもあって、別れました。今でもおそらく夜の街で働いているか、または自分の夢を実現して、
店を持っているのかもしれませんが、彼女とはその後連絡をとっていません。いつかは会ってみたいと思っていますが」


*     *     *     *

理沙の身の上話は、その後も1時間以上続いた。
店を出てからのエアギター男との苦労話がしばらく続いた後で、オーディション会場での話にようやくたどり着いた。
無名の小さなバンドの苦労話など、面白くもなんとも思わないだろうと理沙は早々に引き揚げたかったのだが、
4人の中には過去にバンド経験のある者もいたり、どんな曲をコピーしたのかといった話題がなぜか盛り上がり、
リーダーも理沙の曲の嗜好の部分で喰いついてきたりもした。
「ようやくバンドらしくなって、そろそろメジャーでデビューしたいと、オーディションを受ける事になったのですが、
その選考会場で、私は圧倒されるような方と出会いました。とにかく、歌うことに対する考えが全く違うというか」
近くで火を焚いていた別なグループも宴を終えたのか、あたり全体が漆黒の闇に包まれていた。
「知っている方がいらっしゃるかしら、彼女の名は、マリア」
微妙な空気の変化を、理沙は感じた。
リーダーの表情が微妙にひきつった。他の3人がリーダーの事を心配そうに見ている。
「何か、変な事を言ったかしら。マリアの事、皆さんも良く知っているの?」
「知っているも何も」
リーダーの表情には、いつもの頼もしい、包み込むような暖かさはなかった。今にも泣き出してしまいそうに見えた。
「もしかして、あなたもファンだった?」
リーダーは小さく頷き、やがてうなだれてしまった。
重苦しい空気が漂い始め、宴はそこで終わりになった。
リーダーはそのままワゴン車の後部席に潜り込んでしまい、朝になってもなかなか起きなかった。
「トリガー引いちゃったみたいね」
リーダーにいつも想いを寄せていると、理沙が目をつけていた、メンバーの一人がそっと耳打ちした。
「マリアが亡くなったあと、リーダーはしばらく寝込んでいたのよ。まさかあなたが彼女と縁があったとはね」


*     *     *     *

1泊のキャンプのあと、リーダーは何事もなかったかのように普通に研究に打ち込んでいたが、
理沙との間には、その日を境にして気まずい空気が流れていた。
自分が当初抱いていた彼に対するイメージとのギャップを目撃し、気持ちがすっかり萎えた。
その後、理沙はアラスカの早期警戒レーダー基地への技術要員としての配属が決まった。
研究生活を離れる前日、5人は食堂で小さなパーティーを開いた。
先日の精神的ショックからようやく立ち直ったのか、リーダーはいつものように振舞っていた。
そして、夜遅くまで酒を飲み、どうでもいいような内容の他愛のない話をしたが、理沙は終始にリーダーの様子を観察していた。
翌日の午後、駅まで向かうバスに乗る前に、理沙はメンバー4人に別れの挨拶をした。
「ありがとうございました。お元気で」
リーダーと握手を交わし、バスに乗るとしばらくの間彼ら4人が後方に小さくなってゆくのを眺めた。
理沙がリーダーに対して抱いていた、淡い期待はあっさりと消え去った。



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