頭上の脅威
天が崩れて落ちてくるのではないか、そんなありえない事を心配するという故事があるが、
実際に恐れるべきものは、現実の脅威だった。
20世紀の後半から、空には人工衛星が飛び交うようになり、いつどこから飛んでくるかわからない核ミサイルの脅威も、
相変わらず存在していた。核を使用して戦わないという大国間での約束は交わされたものの、
裏では別な方法で優位に立つための兵器研究が進められていた。
人工衛星の中に核爆弾を仕込んで、大気圏外で爆発させることで生じる電磁波パルスを利用した、
EMP(電磁パルス)による攻撃である。20世紀半ばの冷戦時代に締結された、部分的核実験禁止条約により、
禁止されているはずの行為だったが、今では既にその条約は形骸化していた。
* * * *
アラスカのレーダー早期警戒基地に配属されてはや5か月。理沙は20人の部下を指揮する立場になっていた。
士官学校を首席卒業できたことにより、少尉からの軍歴スタートとなった。
理沙の上司は、同じように士官学校を首席で卒業した、理沙の10歳年上の女性少佐である。
「本日の報告を」
席から見上げるときの彼女の視線は、鋭く強烈である。
当直12時間での状況を、理沙は淡々と報告した。
監視状況、不審な飛翔体や衛星の状況、システムの稼働状況、その他課題事項等。
「今のところ問題はありません。以上です」
「了解」
理沙は次の当直に引き継ぐために部屋を出て行こうとして、少佐から呼び止められた。
「ところで週末ちょっと時間ある?」
「何でしょうか?」
少佐は机の上のペンをもてあそびながら、
「5か月経って慣れたことだし、ちょっと我が家でのんびりお話しない?」
理沙は少し考えてから、
「では、今週の土曜か、来週の月曜日は当直がありませんので、どちらかでいかがでしょう?」
「では、月曜日にしましょう」
少佐の部屋を出て、コントロールルーム脇の会議室に向かう。
次の当直の士官に5分ほどの引継ぎを淡々と行い、24時間開いている食堂で夕食を食べる。
食べている間も、テーブルの上には携帯端末を置き、不測の事態での緊急連絡に対応できるようにしていた。
画面上のコンソールディスプレイ表示の、要監視対象の物体表示が気になる。
外に出ると、時刻は午前中なのだが、冬のこの時期はまだ夜のように真っ暗で星が輝いていた。
* * * *
次のシフトも夜の9時に出勤するために、宿舎から基地に向かう。距離にして車で5分ほどである。
しかし今日はなんだか胸騒ぎがしていた。宿舎から出る直前に、当直の士官から不審な衛星のことを聞いたからである。
「わかりました。着いたらすぐに引き継ぎます」
昨日に降った雪が路面に凍り付いていて、事故にならないように注意深く運転したが、センサーに時々捉えられる動物に、
理沙は時々ヒヤリとさせられることもあった。
基地に到着し、会議室に行くと、前の当直の士官の説明がすぐに始まった。
「これです。IDの照合をしていますが、いまだ不明です」
ディスプレイ上のその飛翔体の軌道を、理沙は目で追いかけた。次の周回では米国中部を縦断することになり、
軌道高度も考慮すると、もしEMP兵器であった場合には、影響は多大なものとなることが予想された。
電磁波パルスについては、軍のシステムについては強固な対策が行われているが、民間のシステム特に古いインフラ設備は、
脆弱性が残っている状態だった。弱い部分を突かれれば軍のシステムが無影響と言い切ることはできない。
「わかりました。引き続き監視を続けます」
大小さまざまな飛翔体や衛星が、地球周回軌道上に蠢いている。
民間、軍事目的はさまざまで、さらには打ち上げの際に使用したロケットや部品など、細かいものを合わせるとその数は、
数百万になろうとしていて、すべてを追跡し、識別するのは至難の技だった。
今気にしているその衛星は、レーダー衛星の精密な調査では大きさが1メートルほどであったが、打ち上げられた場所は不明。
国際識別番号も今のところ不明。打ち上げられたであろう時まで遡っての確認も難しく、インシデント扱いされた。
細かい追跡はシステムに任せている。20人のオペレータは、システムがふるいにかけた重大なものだけ着目している。
オペレータ席から一段高いところにある士官席で、理沙が監視システムの状態を確認していると、アラートが突然鳴った。
[重大インシデント。識別ID不明の衛星]
理沙は目の前の監視ディスプレイに表示された、その衛星を確認し、オペレータにも指示する。
「統合司令部に確認」
確認作業が進められている間に、理沙は部屋にいる少佐に状況を伝えた。
「また別の衛星です。軌道を変更し、東海岸を縦断しようとしています。高度は250キロメートル」
状況を伝えている間に、レーダー衛星による精密な形状測定も行われ、物体の解析映像が表示される。
のっぺりとした、大きさが1メートル程度の、しかし見た目はいかにも爆弾といった形状であった。
数百キロトン級と仮定して、もし爆発すれば東海岸の都市やシステムインフラは壊滅状態となる。
あと5分ほどで、ちょうどレーダー基地の上空に到達することになっていた。
「警戒態勢にて待機」
理沙は少佐の指示を復唱し、警戒レベルを引き上げた。
いつでも発射可能な状態で待機している、基地の対衛星ミサイルや、衛星軌道上の破壊用レーザー兵器衛星を、
その衛星に向けターゲット設定した。
あとは、統合司令部から指令が下るかどうか。統合司令部も衛星の確認作業を行っているところで、
並行して国防総省に指示を仰いでいるはず。さらにその先には大統領がいた。
衛星がミサイルの射程に入るまであと1分ほど。
対立している中国のものではないのか、日々聞こえてくるニュースでは中国との関係悪化が深刻との話題ばかりだったが、
だからといって何の前触れもなく奇襲攻撃をするほどの状況でもない。
残り30秒。まだ指令は下らない。
ディスプレイ上のその物体表示が、じりじりと動いているのが非常に厄介に思える。
あと15秒、理沙がスタンバイからいつでも発射できる状態で待っているところ、
「識別ID確認」
統合司令部からの連絡だった。
「飛翔体に問題はない。繰り返す、飛翔体に問題はない」
理沙は警戒レベルを引き下げた。待機状態の対衛星ミサイルと、破壊用レーザー兵器衛星をリリースした。
「インシデントは解消されました」
理沙は少佐にその旨伝えた。
「了解」
少佐もまた安堵しているようだった。
その日も当直を終えると、基地を出て宿舎へと向かった。
なにげなく近くの河原に車を停めて、車外に出た。
着任したばかりの時には、まだ夏の終わりの頃で雪は全くなかったのだが、今では深い雪にすべてが埋もれている。
辺ぴな場所なので車も時々しか通らない。静かな場所だった。
まもなく太陽が昇ろうとしていて、東の空がようやく明るくなっているように見えるが、それもほんのつかの間である。
思えば遠くへ来たものだと思った。自分がこのような場所にいて生活している事が信じられなかった。
アラスカに行く直前に、親や妹に連絡をしようと思ったことはあったが、絶縁状態に近い父親とは話す気はなく、
妹の直子に連絡したものの、つながらなかった。
そうかといって、天涯孤独というわけでもない。今では軍人としての生活があり、上司と20人の部下に囲まれている。
車内に置いてきた端末から、アラート音がした
「少尉、また不審な飛翔体です」
当直の士官からだった。理沙は車内で彼とひとことふたこと会話したあとで、宿舎へと向かった。
* * * *
日々の高ストレスな生活も、慣れればそれまでの事であるが、時々少佐には自宅に招待されることがあった。
一緒にプライベートな時間を過ごしているうちに、理沙も自分の先々のことを考えるようになっていた。おぼろげながらではあるが。
「ねぇ、理沙」
職務を離れているときの少佐は、子供2人の良き母親で、家族4人で仲良く過ごす彼女を理沙は理想の家庭と思っていた。
「あたしはここに来て10年になるけど、ここはいい所よ」
「そうですね」
彼女は笑っていた。
「今は寒いけど、新緑の季節は本当にいい所よ」
その日はなぜか理沙は、いつものような楽しい気分にはなれなかった。
少し離れた場所で楽しく話をしている、2人の娘のことをぼんやりと見ているのを、彼女は見逃さなかった。
「疲れてる?」
声をかけられてふと我に返った理沙は、いえ、何でもないですと首を振った。
理沙は少佐の家を出ると、自分の宿舎までの200メートルほどの距離の雪道を歩いた。
ふと立ち止まって空を見上げると、今日も星が良く見えた。息を吹きかけると視界がぼやけた。