弾道飛行

危険なミッションをこなす、第一線で働く宇宙飛行士ほどではないものの、
宇宙に行って仕事をする以上、規定の訓練をこなすことが求められていた。
理沙は修士号メンバーとしての最終選考に残り、テキサスでの訓練に参加した。
飛行機での疑似0Gの体験では、慣れないうちは平衡感覚を保つのに苦労し、飛行機から降りた時にはフラフラの状態。
しかし、何度かの訓練でコツのようなものを掴んだのか、最後のフライトでは訓練を楽しむ余裕も生まれた。
水中での疑似船外活動も淡々とこなし、半年間の訓練は多忙の中であっというまに終わった。
訓練での結果をもって、正式採用が決まるわけだが、理沙は既に開き直っていた。
前回は二次選考の段階で落ちているので、今回落ちてもまたやり直せばいい。
三度目の正直で受かればいいと思っていた。


ほんの20年前までは、一部のエリートが宇宙に行くものと決まっていた。
中にはお金を積んで宇宙船の座席を確保した者もいたが、宇宙への物資の大量輸送手段が確立し、
労働者も大量に必要になると、訓練も徐々に定型化、簡素化が進み、修士号の訓練プログラムへと進化していった。
内容は根本的には変わらないが、期間の短縮と、チームを数多く作って、
チーム内で協調して訓練することが重視された。
理沙が所属しているチームは6人のメンバーで構成されている。
採用にあたっては国籍、年齢問わずということになっているため、
理沙が所属しているチームのように年齢が近い集まりは珍しいほうだった。
外の世界と遮断される、閉鎖空間での7日間での訓練で、6人ははじめて顔を合わせた。
訓練が始まると、まずはカプセルの中の中央の会議テーブルで、各自自己紹介を始めた。
理沙の隣に座った女性とは、すぐに打ち解けて会話ができた。
「ヴェラって呼んでくれればいいよ」
「じゃぁ、あたしはリサでいいよ」
テーブルを挟んでちょうど目の前に座っている男。
システム開発の会社をいくつか渡り歩いてきた、エリートサラリーマンであり、
プロジェクトリーダーのような雰囲気も感じられる。
それだけの理由でメンバーの中ではリーダーと呼ばれることになった。


*     *     *     *

アリゾナの荒野では、食料も水も十分に与えられずに、外部からの助けなしでのサバイバル生活の訓練が行われた。
掘っ立て小屋のようなところに住み、昼は50度以上の高温、
夜になると凍えるような寒さの中で、前触れもなく襲ってくるヘビやサソリと戦いながら生き延びなければいけない。
理沙にとっては、そんな夜の不意打ちも、士官学校時代に同僚からの不意打ちを体験済みなので、
大したことはないと思っていた。
「そうやって、自然を甘く見るととんでもないことになる」
リーダーはボーイスカウトの体験から、サバイバル訓練の際にも昔の知識を生かして皆をリードしていた。
夜は火を囲みながら、自分たちで決めたテーマで各自1つずつスピーチをした。
訓練最終日もいよいよ明日となり、今夜のスピーチは理沙の番だった。
以前、士官学校の研究過程で、大学生たちとキャンプに出かけた時、昔東京で地下アイドルをしていた時の体験を
話そうかと思っていたが、亡くなったマリアのことを溺愛していた学生が中にいたことを知り、
非常にデリケートな内容なので、今回はそのことについて触れるのはやめた。
荒くれものに囲まれていた、士官学校での体験を、ここアリゾナでのキャンプ経験と交えて話すことにした。
就寝時間帯に他の訓練生から鈍器で不意打ちを食らった事、
密かに持ち込んだ護身用ブザーを使って大事になり、教官から大目玉を食らったことなど、
今では過去の思い出の一つとなった出来事を、面白おかしく理沙は話した。
しかし、軍事訓練で体格の大きな女性兵の喉元にナイフを突き付けた話には、場内の空気が凍り付いた。
「あたしの話したこと、そんなに強烈だったかしら?」


しかし、リアルな恐怖はその翌日にやってきた。
回収用のヘリが、予定時刻になっても現れなかった。
GPSで自分たちの位置は把握されているはずなので、不安はないのだが、
通信機はあえて渡されていないため、連絡を取りたくてもとることができない。
やがて夕方になり、夜遅くまで待ったがしびれを切らして6人は寝ることにした。
そして翌朝、6人は今日の過ごし方を改めて考え、もし今日も回収がやってこない場合には、
あす正午まで待ってから、一番近い町まで歩くことを決めた。
目隠しをされてこの場所にやってきたので、近隣の町までの具体的な距離すらわからない。
食料は底をついていたので、ガラガラヘビを捕まえて、残り少ない調味料で調理して皆で分けて食べた。
結局のところ、翌日の正午近くに回収ヘリがやってきたので、町まで歩くことはなくなったが、
「ヘリの故障だと言っていたけど、なんだか怪しくない?」
ヴェラは回収班からの説明を疑っていた。
しかし、理沙にとっては想定の範囲内だった。
「よくあることよ」


*     *     *     *

レーダー基地の勤務最後の日がやってきた。
テキサスでの訓練期間が終わり、NASAへの正式採用が決まり、
再びレーダー基地に戻ったときには、職員4名体制に向けての調整が始まっていたところだった。
コントロールルームも閑散としていた。
「私も次の職場が決まりました」
上司の少佐は、中央指令所で勤務することになっていた。
階級も上がることになり、実質的に栄転といったところか。
「理沙も次の職場で頑張って。でも、退役扱いにならなくてよかったわね」
理沙は軍での経歴がリセットされて、NASA職員扱いになるものと思っていたのだが、
軍の任務の一環として、NASAに出向してプロジェクトを管理することになった。
理由については明かされなかったが、おそらく、軍の兵站を仕切っているあの中佐の考えあってのことだろうと思った。


荷物をまとめて、アラスカの基地を離れる。
前日には関係者集まっての壮行会が開催された。
テキサスに向かう理沙と、中央指令所に転勤する少佐。
壮行会が終わった後も、理沙は少佐と一緒に2人だけで食堂で静かに飲んだ。
「中央に行くわけだけど、私にもそろそろ肩たたきがやってくると思ってる」
「時代の流れなんでしょうね」
女性士官の一人として、時には厳しく理沙を指導することもあったが、
今目の前にいる上司は、疲れてそろそろ家庭でのんびり生活したい、一人のキャリアウーマンにしか見えなかった。


*     *     *     *

テキサスに行くと、NASAから分離独立する、太陽系開発事業団の設立のための準備が進んでいた。
理沙含めた16人の修士号取得者は、設立時の中核メンバーとなることが決まっていた。
まだ残っている訓練プログラムがあり、2か月ほどを訓練施設で過ごすことになったが、
理沙の気持ちはすでに事業団での仕事の事に向いていた。
今後の仕事にも関わることとして、16人には管制コントロール室での仕事が割り当てられた。
レーダー基地での仕事のようなものと理沙は思ったが、
周回軌道上のプラットフォームの運営、月の基地の建設と運営、数えきれないほどの衛星や探査機の管理等、
やることは盛りだくさんだった。
ただし、レーダー基地のように常に戦争を意識した緊張感は、この場所では無縁だった。
まだ運用が始まったばかりの、ヘビーリフターでの物資の輸送に、理沙は胸の鼓動の高まりを感じた。
1000トンもの物資を搭載し、ゆっくりと上昇してゆくヘビーリフター。
その上昇から少し遅れて、遠い、地響きのような揺れが管制コントロール室にも届く。
例えとして適切ではないかもしれないが、巨大ドーム球場でのコンサートのようなものか。
理沙は、はやく自分もヘビーリフターに乗って宇宙に行きたいと思った。
しかし、ヘビーリフターは荷物専用の輸送機であり、2人のパイロット以外の客席は用意されていない。
その代わりに、理沙には小型シャトルでの弾道飛行の訓練が最後に予定されていた。


テキサスのダラス空港。旅客用滑走路のはずれに、シャトル用の設備があった。
ヘビーリフターと比較すると、ちっぽけなものではあるが、最大20人を乗せて低軌道ステーションとの間を往復するシャトル。
今回は、弾道飛行が目的なので、シャトルは加速用のブースターで衛星軌道直前まで加速されるだけである。
デルタ翼を持ったブースターに接続されたその形は、デルタ翼の飛行機が親子飛行しているようにも見える。
さっそくシャトルに乗り込んでみると、ごく普通の旅客機のような座席。
ただし、20人乗りで少々狭いが。
準備には1時間ほどかかり、シートベルトを締めてしばらくの間うたた寝していると、やがて滑走路に向けて動きだした。
通路を挟んで隣には、ヴェラが座っている。彼女も寝ていたようだった。
船内アナウンスがあり、何機かの着陸便を待ち、ようやく滑走路に出るとすぐに最大加速で離陸する。
「なんか、飛行機感そのままなんだよね」と、ヴェラ、
「もうじきだよ」
定期便の飛行機と違うのは、いつになっても水平飛行にならない事。
加速は離陸時のまま続き、音速を突破し、それでもまだ加速がおさまらないどころか、座席に取りつけられている加速計は、
1Gをこえてまもなく2Gになろうとしていた。耐G訓練の成果はこれからだ。
やがてエンジン音が微妙に変わるのがわかった。
ジェットエンジンはスクラムジェットに移行し、空気が極端に薄くなったところでロケットエンジンへの切替が行われたからだった。
加速で首を動かすのは難しかったが、座席に取りつけられた船外モニター画像で、外がすっかり暗くなっているのはわかった。
加速は徐々にゆるやかになり、今まで体を締め付けていたGがおさまり、1Gどころかゆるやかに0Gになった。
浮遊しているような感覚は、飛行機で訓練している時と同じだったが、今回はいつになってもその0Gの状態が続くこと。
加速用ブースター切り離しの船内アナウンスがあった。
地球を背景にブースターが後方に離れてゆく。
「生で見ると、やっぱり違うよね」
理沙は、ヴェラとお互いに反対の窓から地球の姿を生で見た。
弾道飛行のため、0Gの時間は短く、距離を伸ばすためにところどころで行う大気突入のこともあり、
座席を離れて0Gを自由に体験することは今回許可されなかったが、理沙にとっては十分だった。
鼓動が高まり、うまく言葉で表現することができないが、理沙は歌いたい気分でいっぱいだった。



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