事業化概要

「かつてのケネディ大統領が述べたように、達成が困難だからやるのです」
事業団長官からの言葉を聞きながら、理沙はどこかの映画のワンシーンを見ているような気持になった。
「課題は山ほどありますが、今取り組まなければ手遅れになります。必ずやり遂げます」
事業団設立の公式な会見の場はどうにかやり過ごした。
心の中ではこれからいったいどうなるのかといった思いが強い。
正直に言ってくれてありがとう。
課題は山ほど、制覇できないほどの大きな山が目の前にあり、
「さて、明日から大変なことになるぞ」
とリーダーがつぶやいているのが微かに聞こえる。
事業推進のための組織体制についての説明の後、事業推進のための中核メンバーが紹介された。
12人の中核メンバーは、参画している各国の研究者や、企業の技術者、軍からの参画は理沙含めて2名。
ディスプレイには達成すべき目標と達成に向けてのプロセスが示されていた。
目標 達成に向けたプロセス
核融合燃料生産システムの構築 ・木星大気から水素/ヘリウム3を採取する技術の確立
・採取した水素/ヘリウム3を製品に下降する技術の確立
深宇宙での居住拠点の確立 ・核融合エネルギーを中核とした、太陽に頼らないエネルギー基盤の構築
・水/食料全てを含めた、地産地消の自給体制の構築
木星を中心とした交通インフラ確立 ・核融合推進システムを使用した高機動/大量輸送システムの構築
・精密な軌道マップの作成
・交通インフラの安全を支える高度な管制システムの構築


事業団発足に向けた、要員面談の時の事が思い出された。
理沙は今ディスプレイ表示されている内容とほぼ同じ事を、面接官に対して語っていた。
発想はとんでもないが、考えるきっかけになったのは、昔飛行機で移動中に見た光景だった。
アメリカ大陸を西海岸から東海岸に移動する道中、
乗り換えのための中継ハブ空港で理沙は半日ほど待つことになった。
ただロビーで待っているのも退屈なので、何を思ったかターミナルの中を歩き始めた。
免税店の商品が気になるが、ぎりぎりの所持金で旅行している理沙には買い物をする余裕はなく、
食事後に貨物ターミナルを見渡すことができる場所に立ち寄った。
特に目的もなく、ただぼんやりと外を眺める。
時間を持て余している理沙に対して、目の前の光景は多忙極まりない状態。
専用滑走路は貨物機が分単位で離発着し、到着した貨物機は混雑する地上をすり抜けるように進む。
理沙の頭の中で、整然とした大混乱という言葉が思い浮かんだ。
太い機体から次々とコンテナが吐き出され、空になったと思えば再び別のコンテナが積み込まれてゆく。
この空港は、交通の要所であるとともに物流の巨大ターミナルでもあった。


*     *     *     *

要員面談の前日、アピールする決定的なものがなく思い悩んでいいた理沙だったが、
何をしてもアイディアが浮かばない時には、いったん頭をリセットするために寝るのが一番だと理沙は割り切った。
横になってふと自分の今までの経験を振り返り、その時思い浮かんだのがハブ空港で見た光景だった。
ベッドから飛び起きて、考えが頭の中から蒸発してしまう前に文章にしておこうと必死になった。
「木星が、太陽系の中心地になる?」
面接官は時々互いに目くばせをしていた。
「可能性を秘めていると、私は考えます」
木星を太陽系の中心にする、という要点をまず先頭に置いて、
昔見たハブ空港の光景を思い出しながら理沙は説明する。
「木星から採取した核融合燃料を元手に、太陽系全体の物流拠点にします」
地球近辺の、安価で無尽蔵な太陽エネルギーを利用する方法もあるが、太陽系全体から見れば場所が限られる。
莫大な初期投資をどう解決するのかと、当然想定した質問が理沙には投げかけられた。
その疑問はそのままで今日この日まで準備をしてきた。
そして明確な答えはいまだにない。


*     *     *     *

「中国の脅威についてどのようにお考えですか?これが今回のプロジェクト開始の動機なのでは?」
一人の記者の質問に、長官はすぐに反応する
「確かに、それも動機の一つです」
いやいや、理沙は心の中で反発した。
荒唐無稽であると面接官から相手にされなかったアイディアだったが、
理沙は事業団立ち上げのための技術タスクチームの一人として迎え入れられることになった。
後で話を聞いたところでは、長官の判断によるものだという。
「困難な点では、彼らも同じ事だと思います。なので、ここで技術を確立しておきたい。
スピーチの最後で、長官はスクリーンに宇宙船の姿を映し出した。
「これが私たちの切り札です。太陽系の中を自由に航海できる、次世代宇宙船のプロトタイプです」


*     *     *     *

長官のスピーチのあと、タスクリーダーが次世代宇宙船のスペックについて説明した。
核融合推進システムはまだ実用に耐える代物ではなかったが、5年以内には技術的に確立させて搭載する計画である。
これにより地球から木星まで早くて1年かかるところ、軌道上の位置関係にもよるが平均2か月で到着可能となる。
木星の上層大気から水素/ヘリウム3を採取するために、大きな翼の飛行機が搭載される予定である。
理沙はその飛行機についての説明を行った。
上層大気の組成分析が主な目的だが、本格生産に向けたプロトタイプでもあった。
「もっと効率のいい方法があるのかもしれませんが」
理沙は飛行機が木星の上層大気に突入し、大気のサンプルを採取して母船に戻るまでを説明した映像を見せた後で、
「例えば、長いホースを衛星軌道から降ろして吸い上げるとか」
記者の間からまばらな笑いが。笑いというよりも苦笑に近かった。
しかし、そんなことは全く気にせずに理沙は大気採取ミッションについての説明を終えた。
理沙の説明に続いて、衛星の調査ミッションや、灯台衛星の設置ミッションについて他のメンバーが説明した。
質問はあまりなかった。
煮え切らないような気分を残したまま、設立会見は終わった。


*     *     *     *

基本計画のために数カ月かかったが、それでも遅いと長官からは圧力をかけられた。
といっても、それは長官の本心ではなく、議会や大統領から圧力をかけられて仕方なくということを理沙はわかっていた。
実質的に宇宙強国になることを達成した中国は、月や火星に生活拠点を構築することに貪欲に取り組み、
原子力宇宙船の定期便を、地球と火星の間に就航させたのは2年前。
対して10か国連合である事業団は1年遅れで就航させた。
核融合推進システムの技術開発についても、とある筋の情報では事業団よりも先進的だと言われている。
核融合炉の技術が確立してまだ10年ほど。
商業利用のための実証用核融合炉はつい最近数か国で建設が始まり、それなりに形になってきたが、
宇宙船に搭載可能な規模の核融合炉となると、まだまだ解決すべき問題は多かった。
核融合推進システムも、まだ実験用の規模のものが宇宙空間でテストが始まったばかりである。
フランスの技術開発センターでは、核融合推進システムのプロトタイプが完成間近だった。
事業団の研究開発の別室がセンターに設置され、
理沙はリーダーと一緒にセンターに出張した際に、現物を見る事ができた。
長さが30メートルあるそのユニットは、今にもすぐ使えそうな感じに見えたが、内部にはまだ大きな問題を山ほど抱えていた。


*     *     *     *

会議では、技術者たちからの山ほどの課題事項についての報告、そして再見積もりのたびに膨らんでゆく費用。
出張を減らしてできるだけ費用削減したいところだが、リモートでの会議にも限界がある。
技術者達との会議の他には、参画している各協力会社との調整。
会社間での調整は重要ではあるが多忙きわまりない。
技術センター出張の際に、ようやく一段落して理沙はリーダーと一緒に宿泊先のホテルで一緒に食事をした。
「それにしても。。。。」
ワインを飲みながら、理沙は美しい夜景を眺める。海からの風が心地よい。
「本当に終わるのかしら、このプロジェクト」
「終わらないプロジェクトはないよ」とリーダー。
「成功しようと、失敗しようと、ね」
今回の2泊3日の出張は、観光どころではなかった。
美しい観光地で美味しいワインが飲めるにもかかわらず、である。
「大丈夫、失敗プロジェクトはある日突然に終わるから」
「そんな事言われても。。。。」
言いかけて、理沙は一気に視界がぼやけてゆくのを感じた。
昨日は結局のところ眠る時間はなく、飲んだワインで一気に気が抜けた。


*     *     *     *

直感的に、この勝負には勝ち目がある、と理沙には見抜く力があった。
タスクチームは間接的にではあるが、政府からプレッシャーをかけられて、中国との競争に巻き込まれていた。
しかし同様に、相手も政府からプレッシャーをかけられて相当に疲弊しているだろうと、理沙はいつも考えていた。
経済が急速に発展し、中国からの胸躍るようなニュースが次々に世界中に配信されたが、
漏れ聞こえてくる情報では、現場での事故の頻度は増える一方で、単に表面化していないだけとの事。
致命的な事故に発展するのは時間の問題だった。
また、政治的な不安定もエスカレートする一方。
各地での暴動は単に報道されないだけで、情報は政府の巨大な力で封印され、
個人レベルでの努力により、細々とではあるが情報は拡散されていた。
事によっては、全世界を巻き込んだ騒動になるかもしれない、と思いつつも、
理沙は目の前の課題を着実に片付けることだけに集中した。



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