マスタープラン
木星探査船「ディスカバリー」の事故と、その後の壮大な救助計画は、世の中の注目を集め、
その後、かつてのアポロ13号のようにドキュメンタリー映画にもなった。
対して、同時期に木星を目指した、中国の木星探査船「ヤン・グイフェイ」は、
生命維持システムの致命的な故障により、乗組員全員が死亡、
しかし、計画はそのまま続行することになり、乗組員が死亡したことは極秘事項とされ、
関係者の間では緘口令が敷かれた。
「ヤン・グイフェイ」は無人の状態で木星に到着し、
船内の乗組員の生活風景は、事前に訓練時に撮影されたものに置き換えられ、
やがて地球へと帰還した宇宙船は、未知の病原体からの隔離を名目として世間の目から隠された。
チベット奥地のリハビリ施設で生活している風景が時々ニュースになることはあったが、これもまた合成画像であり、
その後、乗組員の家族も同じ施設に隔離された。
「ヤン・グイフェイ」は中国国内ではタブー扱いとなり、その後歴史の闇に埋もれる事になった。
そして、2年の月日が流れた。
事業化計画のスタートと時同じくして、理沙はプロジェクトの中核メンバーとして事業団で働くことになった。
木星を太陽系内のハブのような存在とするために、いくつかの主要なタスクが本格的に始動した。
宇宙飛行修士プログラムでの訓練期間を終えると、
理沙はすぐに木星開発を具体化するための上層部向けのプラン作成に着手した。
「ディスカバリー」での事故の反省も踏まえ、本格的に太陽系内の探査が可能な、次世代探査船のプランが作成され、
上層部に説明したところ、ある程度の手ごたえを得たので、探査船の詳細な設計が進められる事になった。
フランスの核融合技術開発センターで、理沙は核融合推進システムのプロトタイプが組みあがっているところも目撃した。
「だからといって、すべてが順調というわけではないのです」
技術開発センターの担当技術員との打ち合わせの中で、理沙とリーダーは、まだ根本的な部分で問題があり、
使えるものになるまでには少なくとも3年、難航すれば5年の期間が必要であると担当者から告げられた。
彼らに無理をさせて不完全なものを作るのは無意味である。
リーダーは正直にフランスでの状況を上層部に報告した。
2週間の予定でのフランス出張は、もうすぐ1か月になろうとしていた。
一日の終わりには、ホテル内の会議室で中核メンバー同志の情報共有も兼ねて、進捗会議が行われた。
「リーダー、そちらはバカンス気分で楽しそうね」
画面越しに、ヴェラが理沙とリーダーに対して冷やかすような口調で言った。いつものことだ。
今年はまだ極寒の日が続く。
ニューヨーク郊外の研究センターで、彼女は制御システムの開発タスクの状況を監督している。
「残念ながらそうでもないな、毎日ホテルに戻るとそのまま寝るだけだ」
しかし、ヴェラがこちらを見る視線には、疑いが込められているように見えた。
彼女からの報告にも、あまり明るいものはなかった。
制御システムについても、次から次へと各コンポーネントから追加される仕様に振り回されている状況だった。
軍事用の自動化システムで培ったノウハウが、なんとか応用できるのではないかとの当初の予想だったが、
追加される仕様に対する現場からの反対で、ヴェラは板挟みの状態。
「毎日目が醒めるたびに、気が重くて」
「大変でしょうけど、お互い壊れない程度に頑張りましょう」
理沙のその一言に、彼女は小さく頷いた。
「ありがとう、理沙」
会議の場で、今のところ最も注目が高いのは、原子力推進のラムジェット機の開発状況だった。
木星の上層大気に突入し、大気のサンプルを採取することを目的に作られたラムジェット機であるが、
要求仕様が厳しすぎるため、参画した企業からは、こんなものが本当に作れるのかと疑問の声があがったが、
結局のところ、地球の上層大気をグライダーのように飛行する、
極超音速ミサイルの製造実績のある企業が担当することになった。
しかし、実際の木星での飛行試験が可能な施設は、地球上どころか地球の大気圏どこにもなく、
木星探査機が過去に収集した木星大気に関するデータをもとに、システムの中に疑似的に作り上げるしか方法はなかった。
その後、複合素材で翼の模型を作り、高速度で地球の大気に突入させて実証実験を行い、設計に反映させる事の繰り返し。
「ですが、結論としては、木星でのぶっつけ本番テストになります」
こちらの担当者もまた、ヴェラと同じように四面楚歌の状態に追い込まれているようだった。
ひととおりの報告と、課題事項についての対応についてのディスカションは終わり、リーダーはいつもと同じく締めくくった。
「続けてさえいれば、いつかは灯りが見えてくる。では、今日はこれで終わり。解散」
* * * *
毎日発生する問題と立ち向かい格闘しているうちに、プランは徐々に現実的なものとなり、洗練されていった。
技術開発センターでのタスク立ち上げの期間は終わり、リーダーはテキサスに戻ることになった。
理沙が一人で核融合推進システムの開発タスクを監督することになり、
今まで以上に忙しくなることは明らかだったが、自分一人で苦労する必要はない。
各社まとめてタスクをコントロールすることだけに専念しよう、と理沙は割り切った。
「お気をつけて、リーダー」
理沙は、最寄りの駅までリーダーを見送り、事務所へと戻る道中、タクシーの中でぼんやりと考え事をしていた。
昨日の進捗会議のあとでの、彼とヴェラ2人だけで会話のことが気になる。
隣の部屋で、ベッドに横たわり、天井を眺めている間、
理沙は微かに聞こえる彼の部屋からの声に耳をすませていた。
細かいところまではよくわからない。ただ、時々なにか口論しているような口調が気になる。
原子力ラムジェット機と同じく、難易度が高いのは核融合燃料を精製・生産するためのプラントの設計だった。
常に高エネルギー粒子と磁場の強烈な嵐にさらされるため、木星本体からはできるだけ離れた場所に配置したいのだが、
原子力ラムジェット機の飛行距離を短くしたいため、できるだけ低軌道に配置する必要があった。
しかし、製品輸送用の大型タンカーが横づけすることを考えると、プラントはできるだけ高軌道に配置したい。
この相反する要求に対して、ならばプラントは低軌道に、タンカーが横づけする港は高軌道に、という分割案が持ち上がった。
プラントと港の間は、無人の中型輸送船で製品を運べばいい。
2段階輸送方式、と名付けられたその案に対しては、事が複雑になるだけだという反対意見が多かった。
しかし、1つのものに数多くの機能を盛り込むのではなく、
目的別に仕組みを作って全体を協調して組み上げる方が、実は確実に実現できるのではないかとのリーダーの説明に、
その後、徐々にではあるが賛同する者が現れてきた。
夢物語のような、実現不可能と思えたプランが、こうして現実的な形に姿を整えてゆく。
あとは、果たして理沙が当初予想したように30年で実現するのか、それだけが最大の課題事項であった。
* * * *
技術開発センターでの出張生活も半年、
理沙はいつまでも現地で見張る必要もないだろうと、そろそろテキサスへ戻る旨をセンター長と会話し、
今後の段取りについてセンターの各担当者と調整した。
今後はよほど大事がない限りはフランスに行く必要がなくなった。
「あすには戻ります。リーダー、ようやく対面で会話できますね」
「ああ、理沙。それとヴェラも来月からテキサスに戻ることになった」
それは良かったですね、と言った後で、理沙は少々気になった。
毎日の進捗会議の場では、おそらく気づいているのは自分だけだろうか、と思ったりもしていたが、
リーダーとヴェラの間での会話に、微妙ながら冷たいものを理沙は感じ取っていた。
「彼女も忙しかったし、少しは休みでもとれればいいのにね」
「そうだな」
翌日の早朝、まだ空が暗いうちに理沙はホテルを出て最寄りの駅に向かった。
空港に向かう列車の中で、少しは体を休めようと目を閉じたが、
リーダーとヴェラのことが頭から離れなかった。
テキサスに戻ると、そのまま自宅に帰っても良かったのだが、タクシーでそのまま職場に立ち寄ることにした。
オフィスに入ろうとしたところで、廊下にリーダーが立っているのが見えた。
電話での会話に夢中のようで、理沙がやって来たことにも気づいていないように見える。
まもなく日が暮れようとしていた。
理沙は気づかれないように再びエレベーターホールまで戻り、そのまま帰宅することにした。