心の距離

「宇宙船のデザインが、ようやく決まったみたいだな」
リーダーは会議の場で、画面に木星探査船のドラフトデザインを表示した。
すらりとした長い構造物を中心に、前3分の1に居住区画を配置し、先頭にはコクピット。
半分から後ろに巨大なタンクがあり、推進剤や水、酸素等が貯蔵されている。後部には核融合炉と核融合推進システム。
ラジエーターパネルが核融合炉から伸びていて、見方を変えれば風を受けて走る帆船のようにも見えた。
「でも、まだまだなんですよね。特にこれが」
理沙は核融合推進システムを指差した。
半年間、フランスで技術者たちの苦労を目の前で見てきたので、難航しているのが身に染みてよくわかっていた。
「実証実験を始めるなんて、本気なんですか?」
「それも1つのやり方だと思う」
そしてリーダーは、つい先ほど届いた、修正版の作業工程のチャートを表示した。
「トライアンドエラーで、問題を潰していくことを考えているようだ」
チャートと同時に届いた、プレゼンテーションをリーダーは開いた。
組み立てられた核融合推進システムを、輸送機に載せて宇宙空間に運び、月のクラビウス基地に設置するというものだった。
クラビウス基地では、つい先日に研究開発用の設備が完成したばかりで、核融合推進システム用のテスト施設も建設が始まった。
また、ヘリウム3生産施設の建設も進められていた。
「そこで」
リーダーは理沙のことをじっと見つめた。
「推進システムのテストのために、月に行ってきて欲しい」
理沙にとっては、特に違和感はなかった。
「わかりました」
準備が整って、推進システムが月に運ばれて、実証テストが始まるまでに1年から2年はかかると予想されていて、
その間には準備のための時間は十分にあった。大したことではない。
「早速、関係各社と準備を進めます」
理沙の心の片隅には、別な事での心配があった。


*     *     *     *

「原子力ラムジェット機の状況は?」
担当者と廊下を一緒に歩きながら、理沙は核融合推進システムと同様に難航している、原子力ラムジェット機の状況を
聞いていたところ、休憩コーナーのところでリーダーとヴェラが立ち話をしているところが見えた。
「いったい何年かかるかわかりませんね。なにせ、この地球に実機テストができる場所がない」
「大変ね。。。。」
休憩コーナーの脇を2人は通り過ぎて、食堂へと向かう。
ヴェラがリーダーを睨みつけるような目つきで見ている。雰囲気が良くないように見えた。
「何か揉めてるの?」
理沙は首を振った。
「わかりません。でも、どこも同じだと思いますが」


理沙はリーダーに月での実証テストに向けてのスケジュールを提出した。
「まだドラフト版です。随時更新がかかると思いますが、長くても3年以内には開始させたいと」
「ご苦労様」
リーダーの目のあたりを見ると、クマができてなんとなく黒ずんでいるようにも見える。
「お疲れですよね」
目をしょぼしょぼさせて、彼は理沙から渡されたスケジュールを確認した。
理沙は、スケジュールを目で追い、時々指差ししながら確認するリーダーを、ヴェラと立ち話しながら追い込まれている姿と重ねていた。
彼は一通り確認を終えると、小さく頷いた。「よし、これで頼みます」
夜も遅くなり、既に日付は変わっていた。そろそろ帰宅しようと理沙はテーブルを離れた。
「ああ、私もそろそろ帰るよ」
オフィスでは、原子力ラムジェット担当が、開発会社と一人でリモート会議をしているところだった。
理沙とリーダーは事務所を出て、宿舎に向けて歩き始めた。
「なんだか今日も暑いなぁ、この時刻でこの暑さじゃ死にそうだ」
ぬるま湯のような、高温で湿度の高い空気。空調の効いた部屋から出てほんの5分ほどで汗ダラダラになる。
「それにしても、リーダーはタフですね」
まだ何か考え事をしているのか、彼はすぐには答えなかったが、やがて言われた意味を理解したのか、
「いや、理沙ほどではないよ」
海岸に近い幹線道路の歩道を歩く。人通りはほとんどなかった。
「10年前は、東京で仕事していたんだよね?」
「ええ、夜のお仕事で」
何度か夜の街で働いていた時のことを彼に話したことはあったが、今日もまた同じような話をした。
社会の縮図のような店の中の様子。キャストとの間での軋轢。そして極限状態の中での友人との友情のことも。
「リーダーの、元気の源はなんですか?」


既に伝説となっている、とある映画をたまたま見て、彼は驚愕した。
かれこれ60年近く昔に作られた映画だったが、親の書斎で見つけたその映画に引き込まれた。
最初は真っ暗な画面で、なんだこれは故障じゃないかと思ったりもしたが、聞きなれない不思議な旋律の音楽、
その後に続く、宇宙空間を背景に、月と地球が一直線に並び、その向こうから太陽が昇る光景に、
今まで見慣れているSFアクション映画とはまた違った、異質なものを彼は感じた。
人類がまだサルの状態だったころのシーンは、非常に退屈きわまりなく、停止ボタンに手をかけようとしたところ、
同類のサル軍団との戦いに勝利した一人のサルが投げた骨が、次の瞬間、宇宙空間のレーザー兵器衛星に変わった。
そのあとは、なにかに取りつかれたように画面を見つ続けた。
月へと向かう宇宙船。木星へと向かう宇宙船の中でのサスペンス劇。
生き残った一人の乗組員が、木星の衛星軌道上で突然に異次元空間に巻き込まれて、どこかもわからない場所に到着。
そして最後に、主人公は人間とは似ても似つかない存在となり、エンディングは、再び暗い画面にクラシック音楽。
映画が終わって、抱いた感想といえば、驚愕というよりも恐怖に近いものだった。


リーダーは、子供の頃見た映画の事を理沙に語ったあと、星空を見上げ、
「まさか、こんな立場になって仕事するとは思っていなかったけど、でも、あの映画を見たのがきっかけかな」
理沙はその映画を見たことはなかったが、似たような心境になったことはあった。
ちょうど親友と袂を分かち、互いに人生の違う道を歩み始めた時、歌手になろうかまだ迷いがあり非常に複雑な心境。
ちょうどその時、東京湾の中央から力強く宇宙空間へと向かう、シャトルの姿に衝撃を受けた。そして胸に熱いものを感じた。
「似たようなものですかね」
「いや、みんなそうだよ」
理沙の住むアパートの前で2人は立ち止まった。
相変わらずの、汗ダラダラになるような暑さ。理沙はリーダーのことをしっかりと見つめた。
「さて」
リーダーは手を挙げて、自分のアパートに向かおうとした。
「また明日もよろしく。お疲れ様」


*     *     *     *

部屋に入ると、理沙はさっそくエアコンを全開にして汗ダラダラの体を冷やした。
時刻はすでに2時を回っていたが、とりあえずはシャワーを浴びて、汗が引いたところで冷蔵庫からビール缶を取り出して、
一気に飲み干した。スポンジに水が浸み込むように、冷たいビールが体にじんわりと浸み込む。
バッグの中から端末を取り出して、部屋のディスプレイにメッセージの一覧を表示したが、
山のような量のタスク間の調整メールとメッセージにはうんざりした。
自分に直接関係するものだけ軽く目を通して、明日の行動予定を頭の中で組み立てた。
ベッドに横になり、4時間ほどしか眠れないということは分かっていても、目を閉じてビールが体をリラックスさせてくれるのを待つ。
さきほど、ほんの数秒間ではあるが、リーダーとしっかり見つめ合った時のことを思い出した。
気になって、なかなか眠りに到達することができない。
訓練期間中、何度か非常に近い距離で、深い話をしたことがあったが、あと少しというところでその先に踏み込めなかった。
彼は、特別に何か強烈なところはなく、どちらかといえば控えめで、チームを全体的に俯瞰してメンバーが動きやすいように行動する。
だからこそリーダーの資質を見込まれたのかもしれないが、今まで付き合ってきた男の中で、彼は異質ながらも
非常に魅かれるところがあった。何がその理由かと問いかけられても、上手く答えられない。
ようやく意識がぼんやりした状態になったところで、突然にリーダーとヴェラが口論している風景が思い出された。
はっとなって理沙は目が覚めた。外は既にぼんやりと明るくなり始めていた。



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