深い仲になってゆく

エリシウム基地での悲劇的な事故から1年。
事故当時の世間の喧騒はおさまりつつあったが、世の中を支える中核インフラである、
制御システムの信頼を揺るがすこの事故は、大きな課題を世界全体に突きつけた。
実際のところ、世の中のあらゆる制御システムに関し再調査したところ、規模の大小に関係なく、事例が山のように出てきた。
軍のシステムも例外ではなく、人間の判断とシステムの判断との衝突により、あわや核ミサイル発射寸前となった事例もあった。
新型宇宙船の中枢システムには、今後の事を考えて、自立型の思考システムが採用され、
要求仕様書もほぼまとまっていたのだが、
今回の事故発生により、中枢システムの仕様はゼロベースで見直されることになった。
中枢システムの開発タスクを担当するヴェラは、要求仕様書の見直しに頭を抱えていた。
「1年かけてようやくまとめたのに、またやり直しになって、これじゃいつになっても完成しない」
頭を抱えたまま、しばらくうなだれている彼女を、理沙はかける言葉が見つからなかった。
「いざとなれば、手作業で運転すればいいじゃない」
理沙は冗談のつもりで彼女に言ったのだが、きっ、とした目つきで睨み返された。
「そういう問題じゃないの」
実際、そういった簡単な問題ではなかった。問題は他にもあるのだが。


*     *     *     *

制御システムの遅れに対し、理沙が担当する核融合推進システムの方は、
一時期の難航していた状況は脱して、実機テスト開始のための準備が始まろうとしていた。
1年ほどの間は、理沙も各タスクおよび協力会社との調整に専念していたのだが、
その甲斐あって、仕様が固まったあとは事は一気にスピードをあげて進んでいた。
推進システムの部品の製造が始まり、次々に製造が完了すると、月のクラビウス基地に向けての輸送が始まった。
1年後には完成する予定で、そのときには理沙も現地で立ち合う予定だった。
現物の完成にはメドがたったのだが、制御システムの完成が気にかかってくる。
炉心制御のためのプラズマのデータモデルが、テストまでに間に合うかどうか、
そして、そのデータモデルを問題なく扱うことのできる制御システムは、いつになったら完成するのか。
事業団の木星開発タスク内会議の場で、制御システムの課題について再び話題になった。
「閉じた1つのシステム系として使用する分には、全く問題はありません」
ヴェラは枝分かれした網目のような、ネットワーク図を示した。
「問題は、統合システムに接続した場合に発生します。膨大なデータモデルを駆使して、
全体最適化が働いたときに問題が発生します。エリシウム基地ではこれが原因で悲劇が起きました。
あるべき状態に対し、例外事象を排除する力が働きました」
1つ1つのノードは正常であるのに、寄り集まるとなぜか間違った方向に動き出してしまう。
エリシウム基地での事故調査レポートでも、そのことが指摘されていた。
「なので、私は諦めた方がいいと考えました。乗組員の安全を考えた場合、宇宙船単体のシステムにすべきでしょう」
ヴェラの考え同様に、エリシウム基地においても、事故後は同じ対応が取られた。
交通管制等の、地球の統合システムとの連携が必要なもの以外は、できるだけ分離されることになった。
「わかった。その方向でもう少し方針を固めて欲しい」
タスク内会議は終わり、理沙は席を立った。
「リーダー、ちょっとお話が」
ヴェラはリーダーに声をかけ、2人はそのまま会議室を出ていった。


*     *     *     *

理沙はフロリダに行き、核融合推進システムの部品が次々に納入され、
ヘビーリフターに搭載されて打ち上げられるのを見守った。
今回含めて、合計3回の打ち上げで部品はクラビウス基地に運び込まれる事になっている。
初回の打ち上げが極めて順調に行われたので、これでようやく動き出したと、理沙はほっとひと息ついた。
今日この日まではほぼ24時間働きどおしだったので、関係各社のリーダーと地元の酒場で飲み明かすと、
そのまま一度も起きることなく、ほぼ24時間寝てしまった。
休みにしておいて本当に良かったと思った。
その翌日は、午前中は管制センターに行き、打ち上げられたカーゴモジュールが、
予定通りに月に向かって出発するのを見届けた。
理沙は、早速リーダーに状況を報告した。
「ご苦労さん、ようやく第一歩を踏み出したわけだね」
「リーダー、これでようやく休みが取れそうです」
月への輸送が無事に始まることを想定して、理沙は2週間の休暇を取るつもりでいた。
予定では、フロリダ近郊に予約したホテルに泊まり、1週間を何もせずに過ごし、
翌週はテキサスの宿舎に戻るつもりではあるが、特にノープランであった。
「来週のリーダーの予定はどうですか?」
特に予定している事はないが、と彼は言った。
「ちょっと一緒に出かけませんか。いい眺めの店があるんです」
しかし、理沙からの誘いに対して、リーダーの返事はあまりはっきりしない。
「ちょっとなんとも言えないな。来週にまた連絡するよ」
翌日から理沙はホテルに泊まり、昼はビーチでのんびりと過ごし、
夜は豪華なディナーと酒、もちろん、携帯端末は肌身離さず持ち歩いていて、不測の事態での連絡は可能にしてあった。
しかし、管制センターや協力会社からの連絡は休暇中に一度もなかった。
そして、リーダーからも。


フロリダでの休暇を終えて、理沙はテキサスの宿舎に戻った。
忙しさのためにおろそかにしていた、部屋の掃除と、不用品の整理をしたあとで、理沙はリーダーに連絡を入れてみた。
「すまない、なかなか連絡ができなくて」
「お忙しかったんですね」
リーダーからの映像は、自宅からだった。
なんだ、だったら今から自宅に押しかけようかと理沙は思ったが、
「ちょっと、これから出かける用事があって。また来週に会おう」
そう言われたので、諦める事にした。


2週間の休暇が終わり、再び事業団のオフィスに戻った理沙は、
タスクメンバーのほとんどが出張で不在で、閑散としたところで一人で仕事を始めた。
リーダーとヴェラがオフィスに残っていたので、タスク全体の会議は、3人だけテキサスから、他は皆リモート参加となった。
会議が終わると、3人だけでヴェラの制御システムのタスクを、どのようにリカバリするのか会話をした。
「私にも、何か手伝えることがあるかしら?」
「どうかしら。。。」
ヴェラの表情には疲労がにじみ出ていた。肌荒れが目立っていた。
「機能が限定されるのであれば、十分仕様は満たすんだけど、それだけでいいのかどうか」
ヴェラとリーダーが、理沙の目の前で並んで座っている。
以前から気づいていたことだが、お互いになにか発言するときでも、2人は視線を合わせる事がない。
なんとなく、気まずいような空気が漂っている。
ある程度、仕事に余裕ができてきた理沙は、ヴェラのタスクを手伝うことになった。
「ああ、それと」
席を立って、会議室を一緒に出ていこうとした理沙とヴェラに、リーダーは言った。
「ヴェラも少しは休んだ方がいい」
「ありがとう、リーダー」
ヴェラは、少しだけ彼に笑顔を見せた。


*     *     *     *

中核タスクメンバー全員がテキサスに集合するのは、かれこれ半年ぶりといったところか。
ちょっとした慰労会といった感じで、行きつけの近所の酒場でメンバーは飲み会をした。
軽く酔いが回ってきて、理沙はカウンター席でしばらくまどろんでいたが、
ちょっと夜風を浴びたくなりベランダへ行くと、隅の方でリーダーとヴェラがなにやら話し込んでいた。
状況が険悪だという事は、会話の口調からもなんとなくわかった。
話の内容は聞き取れなかったので、ヴェラは自分のタスクがうまくいっていないことに苛立っているのだろうかと思い、
理沙は再びカウンター席に戻り、バーテンダーと世間話を始めた。
やがて、ヴェラがカウンター席に割り込んできた。
「ねぇ、理沙」


理沙とヴェラは、つい先ほどまで彼女とリーダーが口論していたベランダに出た。
2人はテーブル席に座り、ヴェラはしばらくの間近くの住宅地の夜景を眺めていたが、
「リーダーの事、どう思う?」
さきほどの口論のことを気にしての事だろう。
「特に、信頼できると思ってる」
だろうね、とヴェラはまた夜景の方に目を向けた。
「でも、実はとんでもない人だったとしたら?」
「いったい何の事?」
理沙もまた彼女に問いかけた。
ヴェラは何かリーダーに関しての裏事情を知っているようだった。
「気になるわね。リーダーに何か気になる事でもあるの?」



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