生きる事への執念
どうして、これほどまでに体の動きが鈍いのか?
床の上に倒れこんでしまった理沙は、しばらくの間動けなかった。
リハビリが始まったばかりの時には、まだ体の方が慣れていないと主治医は説明していた。
ベッドから起き上がった、新しい体での最初の目覚めの時には、半ば無意識のうちに体が動いて、
慌てて部屋に入ってきた看護師のことを、いったい何があったのかとぼんやり眺めていた。
翌日から始まったリハビリの際には、新しい体はあんがいスムーズに動くものだと理沙は思ったのだが、
今から思えばその時の状況はビギナーズラックのようなものなのだろう。
10日を過ぎたあたりから、体の反応が極端に悪くなってきた。
動きが非常に鈍い事もあれば、頭で思っている事と体が全く異なる動きをして、焦る事もしばしば。
食事の際には、持っていた食器を突然に後ろに放り投げてしまったり、
突然に体のバランスを崩して、ベッドの上に横になってしまって動けなくなることもあった。
最初の目覚めの朝の、非常に爽快な気分はどこにいってしまったのか。
主治医は、想定したことだと理沙に説明をした。
脳神経と、インターフェイス装置との連携がうまくいっていない状況であるとの事。
インターフェイスと神経との間の電気信号のやりとりや、神経伝達物質の受容レベルに問題があるとか、
脳波がインターフェイス装置に正しく解釈されていないとか、原因は複合的なものであると予想されていた。
リハビリをしながら、インターフェイス装置に記録されている大量のモニターデータを解析して、装置に調整を加える。
そして再びリハビリを行い、改善が延々と続けられる。
* * * *
体のリハビリと並行して、言語能力のリハビリも開始された。
脳の言語野からの信号を解釈して、音声化するシステムはすでに開発されているが、まだ発声に不自然なところがあり、
体をシステムに慣らせるという方法でリハビリは行われた。
当初はうめき声のような、音声になっているようでなっていない状態からスタートし、
しどろもどろではあるものの、ようやく言語らしい状態になるまでに1か月ほどかかり、その期間は理沙にとって、
コミュニケーションがスムーズにいかず、精神的にも追い込まれた時期となった。
すっかりやる気を失い、終日何もせずにベッドで横になっているだけの日々もあり、
先の見えない時期となったが、あきらめずに、1日1語でもいいからとの主治医の根気強いやり方は正しかった。
山を越えるまでが大変ではあったが、手探り状態からなんとかブレークスルーを迎え、
その先は、言語能力の向上は一気に進んだ。
そして3か月の日々が流れた。
目覚めた時には春先で肌寒かったのが、いつの間にか汗ばむほどの暑い夏となっていた。
* * * *
看護師の支えなしで歩けるようになり、杖なしでも歩く訓練を自発的にするようになっていたある日、
その日も理沙は5分ほどかけてベッドからテラス席までの50メートル近い距離を歩いていた。
足取りも確実になり、廊下ですれ違う他の患者や看護師に笑みを見せる余裕も生まれてきた。
廊下の角を右に曲り、あと10メートルほど歩けばテラス席。
突然に極度の脱力感に襲われ、理沙は崩れるように倒れた。
ちょうど通りがかりの看護師に抱えられたので頭を打つことはなかったが、非常に危ういところで救われた。
看護師2人に両脇を抱えられながら病室に戻り、横になった。
体が全く動かせなかった。
頭の中でいろいろな思いや恐怖心が渦のようになって理沙に襲いかかり、それでも声が上げられない、
まるで金縛りにでもかかったような感覚。
主治医がやってきて、看護師から状況説明を受けているのが見えた。
彼らが会話している内容も理解できた。主治医からの問いかけの内容も理解できた。
しかし、返答ができない。言葉が出なかった。
その後、調査のために集中治療室に入ることになった。まるまる2日間調査と機器を使用したインターフェイスの調整。
そして再び声と体の調子は元に戻った。
主治医から呼ばれて理沙は状況説明を受けた。
「生体の拒否反応が始まっています」
その事については、手術の際にリスク事項として主治医から説明はされていたので、想定内の事態である。
もし運が良ければ、何事もなく順調にリハビリを終えて社会復帰することができる。
理沙が今直面している事態は、運が悪い方の事態だった。
「対症療法として、薬剤で拒否反応のある神経組織を回復させます」
生体インターフェイスは、神経組織に適合しやすいように、自然素材を活用して構成されているものの、
人工的に作られたものであることには変わりない。
生体が自身にとって異質な物と判断した場合には拒否反応が発生し、神経の接続が失われる。
新しい体での最初の目覚めの日の、あの不思議な爽快感はどこに行ってしまったのか。
今では、新しい体は神経組織から完全に拒否され、理沙は五感もほとんどなくベッドの上に横たわっているだけだった。
* * * *
2週間の対症療法の成果は目に見える形で現れた。
徐々に視覚が回復し、その次には聴覚、首と手が動かせるようになり、
ベッドの上で自力で起きる事ができるようになったのは、治療を開始して1か月後。
その期間は理沙にとって再びの地獄のような日々となった。
「危機的な状況からは抜け出しました。良かったですね」
ベッドの上ではただ寝ているだけしかやる事がなく、眠れば悪夢が襲ってくる。
言葉では表現する事が難しいが、自分が生きている事を否定され、親しかった人々からも見放されてしまうという、
人生中で最悪とも言えるような内容の悪夢。
危機的な状況から抜け出したという主治医の言葉は、ただひとつの希望だった。
「これから先」
たどたどしい喋り方で、理沙は主治医は尋ねた。
「また同じような症状が再発するんですか?」
主治医は、特に答えに悩むという事もなく、言った。
「再発するかもしれないし、しないかもしれない。別な症状で悩まされるかもしれないし」
それが現実というものか、と理沙は思った。
しかし、事故当時のままで人生を終わりにはしたくないとの強い思いから、このサイボーグの体を選んだのではないのか。
そして主治医は、単に今の状況を正直に告げるだけではなく、フォローすることを忘れてはいなかった。
「ですが、私たちは全面的にあなたのことをサポートします」
その後も、理沙にとって危機的な状況は何度もやってきた。
生体の拒否反応は2回、感染症による発熱と消化器不全、呼吸器不全。
拒否反応のたびに、治療方針の全面的変更も検討された。
サイボーグでの生体の部分置換えは、世界中で成功ケースは着実に増えてはいたが、失敗事例もまだ多く、
代替治療法として、失われた体の機能を再生治療により復活させるという選択肢もあったが、
もうすでに理沙は開き直っていた。もうここまできたら、やれるだけやってみよう。
自分が生き続ける事自体が、将来に向けての技術の蓄積となり、技術革新に貢献することにもなる。
悪く言えば人体実験と言えなくもないが。
症状もなく、落ち着いて過ごせる日々がしだいに長くなっていった。リハビリが再開されて理沙は病棟の中を自力で歩く。
季節が冬になろうとしている時に、理沙は支えなしで屋外を歩いた。
風は冷たく、顔が少々ひきつるのを感じたが、外を歩く開放感は爽やかだった。
少し走りたい気分になったので、ジャケットを着たままで軽く走ってみた。約100メートルほど。
もう退院しても大丈夫じゃないのかと理沙は思った。
しかし、その翌日には朝から発熱と消化器不全、そして倦怠感。
また振り出しに戻るのかと思ったが、治療法は明確であり、もうここまでくれば気持ちの問題ではないかと理沙は思った。
だるいのであれば、無理に動くこともない。
やるべきことの優先順位としては、まずはしっかりと食事を採って体の機能を衰弱させない事。
もとの体の中で残っているのは、脳と神経系、そして消化器官だけとなってしまったが、体を維持するための力は、
栄養剤の液体食だけでは不自然であり、きちんとした栄養のバランスの取れた食事が必要である。
たとえ食欲がなかったとしても、なにがしか食べる事が必要だと理沙は自身に言い聞かせていた。
スプーン1杯のスープ、一切れのパン、一口のステーキ、箸でつまんだ一口のご飯だけでもいい。
今日よりも明日、明日よりも明後日、徐々に量を増やしていけばいいのだ。
* * * *
「そろそろ、外泊しても大丈夫でしょう」
まだ体調も万全ではないと思っていた矢先、主治医からのその言葉に理沙は耳を疑った。
何かあったらどうするんですかと理沙は尋ねたが、
「もう、治療法は確立しています。あなたのおかげです」
あなたのおかげですとの主治医の言葉に、それはこちらが言う事でしょ、と理沙は思ったが、
対症療法とは言え、常に手探りで理沙の社会復帰のために全力で臨んでいる、主治医と医療スタッフの姿を見ていると、
心を打たれるとともに、ノウハウをかなり蓄積したのではないかとも思った。
「いちおう、不測の事態があったときのために、専用の医療機器を自宅に持ち帰ってください」
引っ越し用のコンテナ2つ分の荷物、業者に自宅まで運んでもらうとコンテナだけでベッドルームは塞がった。
リビングで2泊3日の生活をしただけの外泊。それでも自宅に戻ると気分転換になった。
職場の仲間との面会も解禁になった。
リーダーとほぼ1年ぶりに再会した時には、理沙はこみ上げてくる思いで言葉が出なかった。
ヴェラがじっとこちらの方を見ているような気がしたが、もうどうでもいいと思った。
職場の仲間が病室を出ていってしばらくしてから、理沙は飲み物を買おうと受付ロビー近くの売店に行こうとした。
エレベーターを降りて、受付ロビーの前を通り過ぎようとしたところで理沙の足が止まった。
売店隣のオープンカフェに、リーダーとヴェラの姿が見えた。
2人で何か話をしているように見えるが、表情から見て、あまり友好的な会話ではなさそうだった。
理沙は売店には行かずに再び病室に戻った。
3度目の外泊の前日。
「明日はどちらへ?」
前回の外泊の際には、近所のスーパーに買い物に行った。今までの生活に着実に戻りつつあった。
理沙は少しの間考えるような素振りを見せたが、
「とりあえずは、自宅に戻ります」
1月半ばを過ぎたばかりなのだが、ここ数日は春というよりも初夏に近いような暖かい日が続いていた。
「ちょっと、散歩でもしてみようかな」