女神の到着

「船に乗ってくれないか?」
いったい何のことでしょう?と理沙は訊き返す。
支援輸送担当中佐に呼び出され、会っていきなりのこの発言。
次世代探査船「エンデヴァー」の乗組員の人選が着々と進んでいることは知っていたが、
理沙は自分に関係ない事と思っていた。
「次世代制御システムの研究のこともありますが、いかがいたしましょう?」
「それは、もう上の人間に話はついているので大丈夫。さっそく準備を始めてくれ。ただし。。。。」
淡々と話す中佐の口元が少しだけゆるんだ。
「予備搭乗員扱いだがね」
官民の勢力争いの縮図のようなものだった。
プロジェクト側は純粋に民間主導としたいところに、軍は理沙を送り込みたいとの画策する。
個人的に言えば、ようやくサイボーグの体に慣れてきたところで、長期間の宇宙滞在である。
定期的な検診はまだ必要なのに、果たして何年も宇宙で医師の助けなしに生活できるのか。
予備搭乗員扱いであるということで理沙は了解したが、まだ何か裏で画策しているものがあるのではと理沙は考えた。
さらにもう一つ、理沙には気になる事が。


*     *     *     *

「エンデヴァー」船長は、混成チームのまとめ役として、とにかくメンバー各人をよく知ろうとつとめていた。
メンバー各人に、それぞれのバックグラウンドがあることは理解はしているが、
メンバーになった以上は一つのチームであり、12人の家族として生活しようと常に思っていた。
訓練期間中は常に全体に目が届くように努力し、
余計な事と管理職たちから陰口を叩かれながらも、とにかく家族の一員のようにメンバーを扱い、時には彼らを守る盾となった。
それが船長として当然の事であると思っていた。
気になる一人の女性に対しては特に気を遣っていた。
いったい何を思って「エンデヴァー」搭乗員に応募したのだろう。
プロフィール情報を見て、エリシウム基地での技術員だったということで、面談の時に彼はそれとなくその点に触れたが、
想像に反して彼女はきっぱりと、
「そんな事もありましたが、もう過去の事です。上司に搭乗員になる事を立候補しました」
なのでそれ以上詮索することはやめた。
シミュレーターでの100日間の閉鎖空間での生活体験はあっというまに終わり、やがて「エンデヴァー」は完成し、
気がつけば地球/月L1作業プラットフォームに行くのはもう来月に迫っていた。
そこで予備搭乗員扱いながらも、また一人が突然加わることをマネジメントから聞かされ、これは面倒だなと思ったところ、
プロフィール情報を見て船長の背中にはゾクゾクとするものが走った。
「まさか。。。。」


*     *     *     *

体の大きさでは一回りも大きなプロレスラーのような女性訓練兵。
そんな彼女に立ち向かうもう一人の女性訓練兵。どう見ても勝ち目はないと思っていた。
常日頃から彼女はいじめられて身も心もぼろぼろになっているように見えた。
それでも、彼女は諦めずに、苦言も言わずに翌日にはきちんと朝の訓練に遅れずにやって来ている。
弱小チームと訓練生チームから言われながらも、男女混成の3人チームの中で彼女はいつも明るかった。
大柄の女性訓練生は彼女を見下ろし、さぁどこからでもというように余裕のポーズ。
対して、立ち向かう彼女の方は体格では不利ながらも、視線はしっかりと一点を見つめている。
不思議な余裕の感覚。何かありそうだと彼は思った。
ちょっとの隙をねらって彼女は大柄訓練生の胸元に飛びかかるが、
当然のごとくがっちりと捉えられて身動きが取れなくなる。今にもひねり潰されそうだった。
しかし、彼女は冷静になって、ひねり潰されそうになりながらも全身で耐えていた。
どうやって形勢逆転したのか、その瞬間を彼は見逃してしまったのだが、
彼女は一気に体をひねると急所を突き、そのあとは体制を立て直して攻撃に転じ、とどめを刺す直前で手を止める。
訓練生チームから笑いが消えた。
彼は横たわる女性訓練兵の上に馬乗りになっている彼女を見た。一瞬ではあるが彼女と目が合った。
馬乗りになった体制からゆっくりと起き上がり歩き始める彼女。
勝利はその一回限りではあったものの、その劇的な光景は脳裏に焼きついている。
彼にとって伝説の女性だった。
その彼女がまさか搭乗員メンバーに加わるとは。
夢でも見ているような気分になった。


*     *     *     *

しかし、当の理沙にとってはそんな気持ちは全くなかった。
予備搭乗員としての面談の場では、まるで好きなアイドル歌手にでも会ったように興奮している船長に対して、
理沙は冷たいとも言える態度で船長に接していた。
「同じ士官学校の出身なんですね」
ようやくそこで部屋の空気が和んできたが、理沙にとっては同じ士官学校出身であることだけが共通事項で、
同期であるわけでもなく、大柄女性兵を倒したという伝説も、船長の頭の中だけで膨らんだ空想としか思っていなかった。
「核融合推進システムの設計にも参画していますので、お役に立てると思いますが」
「いやいや、参画して頂けるだけでも十分」
なんという温度差。
船長だけが興奮して気分が空回りしていた。
最初の面談から1か月後、理沙は予備搭乗員ではなく正式搭乗員に格上げになった。
12人のメンバーの一人に、健康上の問題が発生したというのが理由だったが、何事にも裏があると疑っている理沙は、
支援輸送中佐にそれとなく真の理由について尋ねてみた。
「何かありそうな気がするんだ。なのであなたを投入することにした」
慌ただしく訓練に参画したものの、他の11人との合同訓練には間に合わず、船の設備についての集中レクチャーと、
長期ミッションのための集中特別プログラムのみの対応となった。
なによりも心配なのは他のメンバーとうまく仕事をやっていけるのか。
「家族である12人を守るのが私の役目です。私がなんとかします」
あまり深く考えず、今回は船長にすべてを任せ、自分の仕事に集中しようと理沙は思った。


*     *     *     *

深夜の空港からシャトルに乗り飛び立つ。客席には理沙を含め数名。
空港から一気に低軌道ステーションへと向かう。
乗り換え時間を含めても、「エンデヴァー」を準備している作業プラットフォームまでは2日ほどの旅である。
しかし、理沙にはまだ準備ができていなかった。
読まなければいけない資料はまだ山ほどあり、「エンデヴァー」に到着してからも出発までの間に行う作業が沢山ある。
大変なことを引き受けてしまったものだと思いつつも、まずは出来る事から手をつけた。
低軌道ステーションでの5時間の乗り換え待ちの間、一旦は資料を読む手を止めて、展望デッキで配下の地球を眺めた。
何か勘違いをされている。。。といまだに理沙は思っていた。
中佐はいったい自分に何を期待しているのか。
ミッションを失敗させるかもしれない要因を常に監視して、しかるべき時には迅速に対処する事。
しかし、それが出来るかと問われればまだ自信はなかった。
そして船長。彼は明らかに勘違いしているように見えた。
勝手に自分のことをヒーロー扱いしているように見えたが、そんな特別な才能がないことは理沙自身がよく知っている。
とはいえ、まんざらでもないなと理沙は思った。


*     *     *     *

翌日、理沙は「エンデヴァー」に到着した。
狭いドッキング通路の中で搭乗員メンバーの出迎えを受ける。皆が気さくに迎えてくれたので理沙はとりあえず安心した。
船長が大きく両腕を広げてハグしてくる。
「よく来てくれましたね」
そしてプロフィールの中で見た彼女。実物で見るのは初めてだった。
「理沙、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。メリッサ」
2人は握手を交わした。



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