徐々に心が通う

派手な演出で完成式が行われたものの、「エンデヴァー」には出発に向けて問題が山積していた。
動力系システム、推進システムそのものには問題はないのだが、
制御システムとの連携がうまくいかず、フル出力で推進システムを長時間稼働させるには、まだ課題があった。
制御するためのモデルデータに不備があり、地上のスタッフが毎日夜を徹してデータの再構成を行っても、
推進システムとの連携を行ってみると、再び新たな不具合が発生し、
再び夜を徹してデータの再構成、その繰り返しが続いていた。
乗組員達もすっかり呆れていた。
船長は理沙にモデルデータの内容と、ほぼ毎日実施している連携テストのチャートを見せた。
「どこに問題があるか、わかりますか?」
理沙はチャート上の、動力が不安定になる部分に注目し、表示されているいくつかの値を指さした。
「おそらく、このあたりかと」
その数値であれば何度も見ている、と船長は思ったが、
「打つ手はありますか?」
そして理沙の次の一言に期待した。
彼女は普通の人とは違う何かを持っているのだ。
理沙は小さく頷いた。
「今までの作業記録も見ましたが、ちょっとやり方を変えてみようかと思います」
では、また6時間後に見に来る、と言い残すと、船長は動力制御室を出た。


*     *     *     *

到着してまだ3日だったが、理沙は船の中ではまだ背水の陣状態だった。
出発直前というのに、急遽、乗組員の一人が交代することになり、しかも、その交代の真の理由が知らされていない。
船長だけが、理沙とは普通に会話しているように見えるのだが、かえってそれが他の乗組員には不自然に見えていた。
12人の乗組員は、6人が12時間交代で働いており、
船時間の7時と19時の食事の場で全員が必ず食堂に集まることになっているものの、
理沙の発言の際には、船長以外のメンバーはほとんど反応しなかった。
乗組員の交代が発表されたのとちょうど同じ頃、中国が地球/月L2にて建造している宇宙船が、
「エンデヴァー」と同様に、木星と土星に近々向かうのではないかとの知らせが乗組員のもとにも届いたので、
国家の手先として送り込まれた軍人ではないのか、
出発を急ぐように圧力をかけられるのではないか、そんな憶測が船内には飛び交っていた。
しかし、そんな事を全く気にせずに、理沙は日々黙々と働いていた。
一日のほとんどの時間を、動力制御室の中で過ごし、個人用作業端末で地上のスタッフと事あるごとに会話をしている。
「とりあえずは、私が動力制御系の課題を全て引き受けます」
理沙は19時の食後の会話の場で、乗組員皆にそのように言い切った。
しかし、元々の動力系システム担当者は、気になるのか時々理沙の作業の様子を眺めるようになり、
やがて彼は船長以外で、理沙と打ち解けて話すことになった最初の乗組員となった。
その様子を、観測システム担当のメリッサは、冷ややかな目で見ていた。


しかし、理沙の日々の働きを見ているうちに、それは単なる自分の偏見なのだということにメリッサは気づいた。
いつ寝ているのだろうかと思ってしまう程に、理沙は働いていた。
2日後、動力制御室からやってきた理沙が、通路にいたメリッサに声をかけてきた。
「今度はうまくいくと思います」
船長、動力系システム担当、メリッサ、そして理沙の4人はコクピットに集合し、制御システムの再起動を行い、
制御用モデルデータの読み込みを行い、動力系を船内に切り替えた。
「ほぼ全面的に書き換えしてもらいました。100パーセント出力でも安定稼働するはずです」
理沙が出力を徐々に上げてゆき、船長は操作パネル上のグラフ表示を見守る。
数値の変化を理沙が読み上げ、動力系システム担当が復唱し、船長が見守る。
船外モニター表示では、ラジエーターパネルが徐々に明るく光る様子が確認できた。
「よし、ここまで」
船長の合図で理沙は出力上昇を止めた。
最大出力の15パーセントだったが、安定稼働は確認できた。
「今までは5パーセントの時点で不安定になっていた。これで大丈夫。ありがとう」
ここ数日は緊張して険しい表情だったが、理沙はそこで久しぶりの笑顔を見せた。


その日を境にして、理沙はメリッサと普通に会話ができるようになった。
動力システムの課題を解決させると、その翌日には連動する推進システムの課題も解決させ、
「エンデヴァー」の出発に向けての準備は一気に加速した。
どんよりした船内の空気は一変し、モチベーションが改善された。
「あなたのこと、誤解していたかも」
居住区画の展望デッキで、理沙が休憩していると、メリッサはカップに入ったコーヒーを2つ持ってやってきた。
理沙は彼女から差し出されたコーヒーを受け取った。
「いきなりの乗組員交代なんて、きちんとした説明もなかったし、それと」
メリッサは展望窓に腰を降ろして、理沙と向かい合った。
「あなたが中国の件と関係していると思い込んでいたよ」
しかし理沙は、反応しなかった。
しばらくの間理沙は、窓の外の作業プラットフォームの構造物を見ながら、コーヒーを時々すするだけ。
「私は、技術系の士官です。それとこの船の推進システムの設計段階から関わっていましたから」
そして大きく背伸びをすると、自分の個室へ向かっていった。
「ではまた明日。ごきげんよう」


居住区では1日2回の食事の時間と、就寝前のプライベートの時間帯に音楽が流れていた。
クラシックから最新の曲まで、カントリーミュージックからオペラ、
乗組員からのリクエストも一部反映はされているが、ランダムに選曲されていた。
理沙は毎日就寝前に、30分ほどかけて上司への報告、および開発局本部への報告をまとめていた。
船長が船内のすべての出来事を統括して、日誌にまとめていたが、理沙はそれとは別に本部への報告を行っていた。
報告をまとめあげ、上司と開発局本部への送付を終えたその時、耳に入ってきた曲に理沙ははっとなった。
なつかしさで気持ちが高揚した。
かなり昔の事なのに、まるでつい先日の事のように思えた。
[Vanishing]だった。
その曲を客の前で歌ったことがあったなぁ、理沙は懐かしく思った。
小さなステージの上で歌った後は、客からのまばらな拍手。
いつかは自分の店を持つのだと、友人と夢を語り合った日々。
様々な客との出会い、時にはプライベートの時間も一緒に過ごし、一般人よりは少々豪華な生活を経験し、
店長の裏切りによる、どん底のような経験もあり、そのどん底から這い上がる友人の姿も見た。
その日から15年、ささやかな夢はいったいどこに行ってしまったのか。
理沙は窓の外に見える地球を見ながらふと昔を思い出した。


*     *     *     *

「エンデヴァー」は木星に向けて出発した。
地球に向けて落下するコースをたどり、地球の重力アシストにより少々スピードを稼いで、
そのあとはフルパワー推進で木星へ向かう。
乗組員の中では当初浮いた存在だった理沙だったが、制御システムの課題を短期間で解消したことから、
皆が理沙を見る目は一気に変わった。
もう何も心配することはない。これで堂々と木星へと向かうことができる。
理沙は、観測システムの点検を終えたメリッサと通路で出会った。そこで船長からのアナウンスが流れた。
「全員、食堂に集まって欲しい」


食堂に集まると、船長は少々神妙な表情で待っていた。
理沙は船長のすぐ隣に座った。メリッサはその2人の様子を少々違和感を感じながら見ていた。
「船がようやく正式に木星へ向かうことになったので、今回の詳細なミッションについて説明する」
当初は、木星と土星の学術調査、将来の深宇宙定期航路の開発は目的だったのだが、昨今の国際情勢を鑑み、
ミッション内容に調整が加えられることになったというのが趣旨だった。
中国の宇宙船はまだ出発していない。
中国政府も沈黙を保っていたが、突然の発表があるかもしれず、出発準備を急いだのはそのためだった。
船長は、時々理沙の方に目を向け、理沙もまた船長から視線を向けられるたびに頷いた。
「木星での作業期間は、半分に短縮し、土星に向かいタイタンに着陸する」
船長のその言葉に、乗組員皆しばらく黙っていたが、
「それは、本部の決定ですか?」
制御系システム担当が質問した。
「本部決定でもあり、国としての決定です」
乗組員皆が不快な表情になり、部屋の空気が不穏なものに変化していた。
「国の政策に振り回されたくないのだが、それと」
船長はそこで再び理沙の事を見た。
理沙は立ち上がった。
「このあとは、私から説明します。私は今回の計画変更のために派遣されました。すべては中国との戦いのためです」
乗組員の不快な気持ちが、改めて理沙に向けられた。



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