疑いの目

出発する中国の宇宙船の映像を、上司から送付されてきた宇宙船のスペック情報とともに眺める理沙。
「エンデヴァー」は木星まであと数日のところまで到達しており、先に到着するのは間違いなかった。
数日前からは、大気ブレーキ減速のための準備も始まっていた。
「エンデヴァー」は船体を180度方向転換し、大きな大気ブレーキシールドを展開し、逆噴射推進で多少の減速を行った。
回転により1G疑似重力を生み出している居住区も、木星大気突入に備えて回転を止めていた。
上司からのメールと文書を読み終えると、理沙は今日の作業報告を始めた。
「本日の作業報告です。木星大気ブレーキの準備は完了し、各自、木星到着後の作業の段取りも完了しています。
中国の宇宙船の軌道をチェックしましたが、若干気になるところがあります。詳細はレポートに書きましたので、
ご確認をお願いします。監視対象の動向についても、特に目立った変化はありません。以上、本日の報告は終わりです」


*     *     *     *

翌日、7:00の食事のあと、船長と2人だけになった時に、理沙は話を切り出した。
「ちょっと見て頂きたいものが」
上司にも送った、中国の宇宙船の軌道データを船長に見せた。
中国の宇宙船は、月と地球の間の軌道上で待機しているような軌道をとっていた。
中国からの公式な発表はまだなかったが、推進システムのテストをしているのだろう、というのが大多数の見解だった。
核融合推進システムのテストに時間をかけて、月面上で綿密に行った事業団側に比べて、
中国側の動向を過去からずっと調べた限りでは、テスト時間が不足していることは明らかだった。
木星への到着もまだまだ先だろう。
「私たちは木星まであと少し、勝負はついていると思うが」
船長はデータシートを再び理沙の手元に戻した。
「別なことを狙っていると思います。私たちが油断している間に、突然思いがけない事をするとか」
理沙は、自分が予測した、これから先の中国の宇宙船の航路を、データシート上で示した。
しばらく地球と月の間を往復していた宇宙船は、あるところで地球の重力アシストを行い、一気に加速を行う。
その方向は「エンデヴァー」の向かっている方向とは全く違う方向だった。
「私たちの「エンデヴァー」と比較すると、2割ほど小さな宇宙船ですが、スリムな分、加速がいい」
地球の重力圏を出発した後は、目的地に向けて一直線の航路。
船長は腕組みをして考えていた。
しばらくの間、天井を見つめていたが、やがて、
「その時がやってきたら、皆で相談しよう」
そう言うと、コクピットへと向かっていった。


*     *     *     *

[木星大気突入まで、あと2時間]
船内アナウンスが通路に響く。
理沙は推進システムのチェックを終え、コクピットにいる船長にチェック完了を伝えた。
「了解、お疲れ様でした。部屋で待機してください」
制御室から中央通路を抜けて、居住区の接合部分に入る。
理沙を含めて6人の非番の乗組員は自室で待機、3人はコクピット、3人は制御室で待機することになっていた。
そのまま自室に入ろうと思ったのだが、理沙はコクピットへと向かっていった。
コクピットには船長とメリッサの2人だけだった。
特に驚いたという様子はなかったが、船長からは自室で待機するようにと再度注意を促された。
「もしかして、怖くなったとか」
そして、メリッサは少々からかうような言い方で、言った。
「シミュレーターでは経験していても、本番では何が起こるかわからないからね」
理沙は、2人に別れの挨拶をすると、部屋へ向かった。
何があるかわからない。そのメリッサの一言を理沙は非常に意味深なものとして受け止めた。
普段は意識していないものの、ほんのちょっとしたきっかけでフラッシュバックする。
彼女の心理診断結果を、中佐から見せられた時、理沙はエリシウム基地での事故はきっと心の奥底で古傷のように残っていて、
ある日突然に発現し、彼女を予測不可能な行動に駆り立てるのではないかと思った。
当の本人も意識していないから、なおさら恐ろしい。
その兆候は、理沙がサイボーグだと知った時に、彼女がとった行動からわかっていた。
[あなた、もしかして。。。。]
その目は、メリッサのいつもの目とは違う、心の底から目の敵にしているといったような、鋭い目つきだった。
ほんの一時の出来事で、やがて彼女は平常心を取り戻したが、
エリシウム基地での事故報告で触れられていた、システムの判断ミスによる冷酷無比な対応、
ロボット警備員により射殺されたフィアンセの記憶が、一瞬、理沙に重なったのかもしれない。
部屋に戻り、もしかしたら最後の報告になるかもしれない日時報告をまとめると、上司へと送った。
報告の最後に、理沙はこう書いた。
[彼女は、今のところは問題ないと思います。ただし、過去の記憶が残っている限り、いつ何時なにがあるかは予測できませんが」


*     *     *     *

大気突入5分前には、理沙は自室で部屋備え付けの椅子に座り、シートベルトを入念にチェックした。
上層大気の影響は既に始まっていて、かすかなGが体に感じられる。
1分前には、居住区画の照明はすべて非常灯に変わり、理沙は薄暗い自室で目の前のディスプレイを眺めていた。
カウントダウン表示がついにゼロになり、その数秒前からは減速Gがかなり強烈になってきた。
船体がきしむような音が響き渡り、目の前のディスプレイ表示では、船外モニターからの映像が表示されている。
大気ブレーキシールドに遮られているものの、シールドの淵から赤々と燃える炎のようなものが見え、周囲を取り囲んだ。
すでに減速Gは強烈なものになっていて、目の前のディスプレイは天井の壁のように見えていた。
船体が軋む音がさらに強烈になり、なにかがぶつかってはじけるような音がする。
おそらく、きちんと固定されていない何かが、部屋の外で飛んでいったのだろう。
[まもなく、最大Gになります]
船内アナウンスの音声が、騒音の中で、ようやくかすかに聞き取れた。
再び、船外モニターの映像を見ると、「エンデヴァー」はまるで船全体が炎に包まれているような状態だった。
理沙はその風景を見て、急に胸が苦しくなり、息ができなくなるような感覚に襲われた。
あたり一面が炎に包まれ、シートベルトがはずれなくてなかなか身動きがとれない。
救助はいつになったらやってくるのか。
足先が徐々に熱くなり、生命の危険を感じる。
目を閉じて、何度かゆっくりと呼吸をした。
理沙は自分に言い聞かせた。
ここは「エンデヴァー」の船内。大丈夫、大気ブレーキシールドが必ず自分を守ってくれる。
それからどれだけの時間が経ったのか。
減速Gは徐々におさまってゆき、船外モニターの炎も一時の状況からかなり下火になってきた。
[減速完了。システムのチェック完了まで、しばらく待機してください]
チェック完了のアナウンスを待つ間、理沙は再び何度か深呼吸をした。
気分はかなり楽になっていた。
メリッサの事ばかり心配していたが、自分にも同様の心の奥底のトラウマのようなものがあったことを再認識し、
なぜか、その事が非常に面白おかしく感じられた。
[チェック完了しました。各自、身の回りの点検を始めてください]
船内アナウンスのメリッサの声は、しっかりとして落ち着き払っていた。


*     *     *     *

木星周回軌道に到達し、エウロパへと向かおうとしている「エンデヴァー」
船内では、あらかじめ計画された探査ミッションのための準備が始まり、12人の作業タスクは再編成され、
理沙は木星本体調査のための、レーダーやセンサーシステムの準備を始めた。
作業用端末の隅に、緊急時を知らせるアラート表示が現れた。
制御室で中佐からの緊急メッセージを見ていたその時、船内アナウンスでもアラート音が鳴り、船長は言った。
「すぐに、食堂に集まって欲しい」
食堂に集まると、すぐに中国からのニュース映像がモニター画面に表示された。
国家主席が意気揚々と宣言をしていた。
「私たちは、すでに実現した宇宙強国としての立場を強固とするために、新たな一歩を踏み出した。
核融合という強大な力を使用して、太陽系内を縦横に自由に航海し、勢力圏をさらに拡大していくことだろう」
ここまでは想定の範囲内だったので、特に驚くことはなかった。
「私たちは今日、土星に向けて調査船を出発させた。4か月ほどで土星に到着し、土星とその衛星を調査することになっている。
すでに木星は10年以上前に調査済みであり、新たに探査の必要はない。私たちは常に先を見て行動している」
あまりに突拍子もないその宣言に皆は、驚きが半分、あきれたという気持ちが半分。
さて、これから私たちはどうすべきか。
やがて船長は話し始めた。



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