しょせん私達は社畜

賛成が5票、対して反対が7票。
木星での調査を打ち切って、中国の宇宙船を追って土星に向かうか、
またはそんな中国の動向を気にすることなく木星での調査を続行するか。
しかし、土星一番乗りの勝負は、既に決まったようなものだった。
「もう、やる意味もないと思います」とメリッサ。
「衛星と木星本体の調査タスクを打ち切る意味があるのか。政治は私たちとは関係ありません。調査を予定通りに完了させて、
それから土星に向かっても、何の問題もないと思います。それと」
メリッサの鋭い眼差しが理沙に向けられた。
「あなたが裏でいろいろと手を回して、この船を操っている事も。だから軍の方は。。。」
船長が彼女の事を制止した。
理沙は、いつもと変わらない、終始涼しい表情で、言った。
「私が、何もかも勝手に決めていると言いたいのであれば、それで結構です」
少なくとも、理沙一人で土星行きに賛成しているわけではない。
あと2人説得すれば事は動き出す。
そんな緊張した空気漂う会議室で、船長は何も言わずに事の成り行きを見守るだけだった。


[何もかも、勝手に決めないで欲しいな]
理沙は、自分もかつては同じような事を、父親に向けて言い放っていたことを思い出した。
今から20年近く前、両親の離婚は、自分たちが関わる事ができない、好き嫌いレベルの非常に次元の低い事であることは、
頭では分かっているものの、自分が蚊帳の外状態であることに理沙は我慢ができなかった。
結局のところそれが理由で、飛び出すように家を出て、路頭に迷い、
その後は一度も父親とは連絡をとる事もなく、今に至っている。
その時に心の中に生まれ今に至るまで続く反骨精神が、
誰にも頼らず、常に自分で考えながら道を切り開いてきたという点では、結果として良かったとは思っているが。


木星での調査打ち切りと、土星への出発については、船長判断で翌日再度討議することになった。
その間にも、中国の宇宙船は毎秒250km、1時間で90万km、一日では約2000万キロメートル進んでいた。
理沙は早速、もし木星での調査を打ち切る場合には、どのタスクを打ち切るべきか、
また、次回の2回目探査ではどのタスクをテーマとすべきか、選定を始めていた。
賛成に挙手した探査機等の機器類の管理者と、備品類のチェックをしていたところ、船長が作業を覗きに来た。
理沙はとりまとめたチェックシートを早速船長に見せた。
「食料品は無理ですが、探査用の大気突入モジュールと、関係する機器類、しめて5トンほどはカプセルに入れて、
木星周回軌道上に置いていくことは可能かと。エウロパへの無人着陸船は、あす切り離しをしてエウロパへの軌道に」
5トンか。。。と船長は呟いた。
「その程度の荷物が船の速度にどれほど影響するか。たかが知れているな」
予想通りの答えに、理沙はその先の言葉が続かなかった。
あと10日もすれば中国の宇宙船は土星に到着する。
太陽系内の位置関係上、「エンデヴァー」はどうあがいても先には着けない。
理沙は、展望窓のところに行き、窓の外を指さした。
「船長、これどうします?」
大きくて黒い、巨大なデルタ翼の原子力ラムジェット機。
木星上層大気での大気サンプル採取のことはとうの昔に忘れ去られ、
新品同様ではあるが、結局のところ出番もなく巨体を持て余しているように見えた。
「これだけで、50トン以上のペイロードになりますが」
船長は腕組みして、しばらくの間考えていたが、
「これは持っていこう」
そう言うと、居住区画の方へと向かっていった。


*     *     *     *

翌日、まずは中国の宇宙船の位置情報について理沙から説明があり、
船長は、事業団本部からのコメントを読み上げ、
船内備品の棚卸結果について理沙がまとめたチェックシートが読み上げられる。
「まだ、決まったわけではないのですが」
メリッサと同様に、調査打ち切りを強く反対している、閉鎖リサイクル系/生産システム担当者が船長の発言を遮った。
「何度も言いましたが、純粋な科学調査が目的のこの船は、国威発揚のためにあるわけではありません」
しかし、昨日と違い、会議室の空気は微妙に変化していた。
理沙はひとこと言いたい気分だったが、場の空気の変化をすぐに感じ取り、船長の発言を見守った。
「確かに、この船のミッションは、科学的調査に重点が置かれている。それと、前回の「ディスカバリー」計画の反省から、
この船には潤沢な設備と食料、高性能な推進システムが搭載されている」
船長は、いつもよりも落ち着いた声で、ゆっくりと問いかけるように話を始めた。
「ただし、勘違いをして欲しくないのは、私たちは国を背負って最前線にいるということだ。戦争をしているわけではないものの、
自由主義国家の先頭に立って、将来のために戦っている。
人種や主義主張、その他のすべてを超越して、皆で戦っている。
木星と土星の資源調査は最優先事項だが、国力と意志を見せるのも、大事な事だと思う。
私も含めて、賛成に挙手したことは苦渋の決断だとは思うが、そこはきちんとわきまえるべき点だ。
それと、私たちは歴史に名を残したい」
メリッサに対する船長の目は、何かを訴えているようにも見えた。
彼女もまた、船長のことをしっかりと見つめていた。
「今から80年前の、アポロの時だって、準戦争状態の世界の中で、3人のパイロットは国家の先頭に立って戦っていたわけだ。
私たちの場合、彼らの時よりもずっと潤沢で、強力な移動手段が手元にある。生かさないという選択肢はないだろう」


結果、賛成10人、反対2人。メリッサはその後もかたくなに木星での調査打ち切りに反対していたが、
船長に促されて反対を撤回した。
「エンデヴァー」は土星に向けて出発する準備を始めた。
理沙がまとめたチェックリストをもとに、できるだけ重量を減らすことを目的として、当面不要と思われるものは
次回の調査時に再利用できるように、コンテナに詰め込まれて木星周回軌道上に置き去りにされることになった。
エウロパへの着陸探査機は翌日に切り離され、エウロパに向かう軌道に投入された。
土星に向かう道中でリモート操作しながら、エウロパへの着陸調査が行われる事となった。
土星へ向けての秒読みが始まったのは翌日の16:00、出発決定後、制御室で理沙は推進システムの動作確認を慌ただしく行い、
出発2時間前に準備が完了すると、コクピットで出発準備をしているメリッサに引継ぎを行った。
「全て準備完了しました。あとはよろしく」
「了解」
自分の部屋に戻ると、いつものように中佐向けに本日の作業報告を行った。
報告書の送付を終えたちょうどその時、メリッサの残りあと1分のアナウンスがあった。
理沙はシートベルトを確認すると、目を閉じて待った。
やがてゆるやかな、しかし確実に体を捉える加速が感じられた。「エンデヴァー」は土星へと出発した。


*     *     *     *

木星の夜の側を抜けた時には、すでに最初の加速は完了し木星の重力圏からは脱出した。
少々の方向制御を行った後、「エンデヴァー」は土星に向けて一直線に加速を始める。
中国の宇宙船に勝てる見込みはもうないが、地球上では独裁国家と自由主義国家との間のレース開始の事が、大々的に報じられた。
通路で、非番のメリッサとすれ違ったとき、彼女は理沙に声をかけてきた。
先日の方針決定の場での、船長の発言は、直接にメリッサに向けられたものではなかったものの、
理沙は、2人の視線になにかただならぬものを感じていた。
「どうかしたの?」
メリッサは言い出すのに、少々時間がかかった。
理沙は早く制御室に行きたいと思っていたのだが、彼女が言い出すのを待った。
「理沙の仕事って、大変だよね」
あまりに平凡な一言に、ちょっと拍子抜けしたが、
「まぁ、それが私の任務なので」
そして制御室へ向かおうとしたのだが、メリッサが行く手を遮った。
「そのうち、2人だけで話がしたいな」
理沙は小さく頷き、会話はそこで終わった。
制御室の入り口までやってきたところでふと振り返ると、メリッサはまだ理沙の方を見ていた。



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