救出作戦

単なる直感、というか、思いつきに近いものではあったが、理沙は救出プランを思いついた時の事を再び思い起こした。
着陸船の酸素タンクの一つが破裂し、メタンを燃焼させるために必要な半分の量しか残っていないことが判明し、
必要最小限にまで荷物を投棄しても、タイタン表面から周回軌道に到達できるだけの速度を確保するのは困難で、
それは3人の乗組員の帰還が絶望的であることを意味していた。
「エンデヴァーが迎えに行くという案は?」
理沙は思いついたことを言った。
しかし、大気のある惑星に「エンデヴァー」は着陸できるように作られてはいない。
とにかく、考えられることは何でも案出しをしてみて、その中から現実的な案を精査してゆく。
「そんな簡単なことも出来ないなんて。こちらには十分な燃料と酸素が。。。」
いや。。。。と、何かを思いついたのか、船長はテーブルから立ち上がった。
会議用のボードに、彼は殴り書きを始めた。
「迎えに行く案があるじゃないか。使えるものならいくらでもある。やってみよう」
無用の長物のようの船外エリアに放置されていた、原子力ラムジェット機。
準備が完了し、出発の時を待っていた。
今ではそれは非常に頼もしい存在になっていた。


いくつかの懸念事項があり、会議が終わると事業団本部との会話が始まった。
本来は、木星の大気サンプルの採取を目的として製造されたものであるため、
原子力ラムジェット機は、タイタンの大気中での動作は想定していない。
さらには余分な荷物を抱えて、タイタンの周回軌道まで戻ることが可能なのか、早速シミュレーションが行われた。
原子力ラムジェット機は、タイタンと比較してはるかに過酷な、木星大気中での稼働を想定して作られているため、
飛行するだけであれば全く問題ないことは分かっていた。
あとは如何にして着陸船の救出を行うか。
着陸装置は装備されていないので、大気中を飛行しながら上空で着陸船とドッキングするという案をベースに、
救出プランの組み立てが行われた。
まずは、原子力ラムジェット機がタイタンへ向けて降下する。
そして、厳密に計算されたタイミングで着陸船は出発する。
メタンと残り少ない酸素を使用して上昇し、ちょうど酸素残量がゼロになるところで原子力ラムジェット機が合流する。
原子力ラムジェット機は着陸船を背中に抱えて、フルパワーで周回軌道へと向かう。
どうやって着陸船を背中に抱えるか、方法については船内の備品庫からすぐに解答が見つかった。
着陸船には、格納庫のハードポイントと固定させるための4箇所の留め具があり、
ハードポイントの交換部品は部品倉庫にいくつも在庫があった。
ハードポイントを原子力ラムジェット機の背中にボルト固定し、着陸船はその上に乗りかかればよい。
原子力ラムジェット機の翼の耐熱材に穴を開ける事には懸念があったが、
大気突入時の機体表面の温度分布も調べたうえで、取りつけ可能な位置が割り出された。
取り付けにあたっては、ミリ単位の精度は要求されず、ばね仕掛けである程度の遊びもあるので、
ドッキングの際に多少位置がずれてもばね仕掛けがカバーしてくれることも、大きな助けになった。
他にも、フルパワー飛行時の着陸船内の放射線レベル、重量物を背負って船体構造が支えられるのか等、
並行してそれらの課題解決が進められている中、原子力ラムジェット機の改造が始まった。
24時間体制で、ある者は原子力ラムジェット機の機体改造に取り組み、理沙は事業団本部と数々の課題についての議論を行った。
48時間ほどで、救助プランはほぼ出来上がり、不足の事態での対応含め、プランはいくつものパターンに精緻化された。
「船長」
準備が完了し、救助に向かう時を待っている原子力ラムジェット機を見ている船長に、理沙は背後から声をかけた。
「まさか、今回のような事態になると予想していたとか?」
船長は首を振った。
「いや、あの時は思い付きで言った」
しかし、木星から出発する際に今回のような不測の事態を想定していたとすれば、相当な直感と判断力だと理沙は思った。
「いよいよ明日ですね」
「うまくいってくれよな」
窓の外の黒い機体に、彼は語りかけているように見えた。
「何が何でも、彼女たちを救助して欲しい」
そして、彼は理沙の方に向き直った。
しばらくの間、船長は何も言わなかったが、微妙な空気の変化を理沙は感じ取った。
なんとなく気まずいような、それでいて少々甘ったるいような。
とうとう、本心が出たか。。。。と理沙は思った。


*     *     *     *

コクピットで、原子力ラムジェット機のモニター表示を理沙は再チェックした。
いつ何時また不具合が発生するかもしれない。
そんな悪い予感と心の中で戦いながら、モニター表示を一つづつチェックする。
異常はない。
振り返ると、船長はパイロット席で頭の上で腕組みしていた。
ちょうどその時、着陸船からの会話が入る。
「60分前です」
「はい、こちらも特に問題なし」
お互いの会話は非常にそっけない。予定時刻を待つだけのひたすら退屈な時間。
船外モニター画面を見ると、原子力ラムジェット機は「エンデヴァー」船体から伸びたアームの先で待機していた。
下にはタイタンの大気と雲が、
タイタンの大気は非常に厚いので、「エンデヴァー」はタイタン上空の非常に高い高度を飛んでいるように見える。
「ねぇ、理沙」
目の前のチェックリストが、着陸船からの映像に切り替わる。
メリッサと他の2人は、放射線防御の目的も含め、船外活動服で席に座っていた。
フェイスプレートを上げて、ようやく顔が見える状態だったが、3人とも落ち着いているように見えた。
「あとは飛び立って、合流して、そっちに向かうだけだね」
はるか先の雲の下、3人の乗っている着陸船はモニター画面でも見えなかったが、
すぐ隣のナビゲーション表示の画面には、モニター画面に重ねて、着陸船の位置が表示されていた。
「ちゃんとキャッチしてあげるから、しっかりシートベルト締めて待っていてね」
メリッサは笑っていた。
しかし、次の言葉はなかった。副パイロットが淡々と時間を読み上げる。
「50分前です」
3人の表情を画面越しに見ながら、理沙は再び原子力ラムジェット機のモニター表示に注目し、異常がない事を確認する。
昨日、中佐との定期報告の際の、中佐からのコメントが、ふと理沙の脳裏をよぎった。
[万が一、彼女が不穏な行動をとった場合には]
メリッサの心理状態を疑うつもりはなかった、メリッサは理沙に対して心の奥深いところを開いてくれた。
心理療法は、過去のトラウマになっている出来事を掘り起こし、しっかりと見つめ、その事に対して解決の道を開いた。
しかし、記憶は完全に消去することはできない。
ほんのちょっとした出来事がそのトラウマを覚醒させ、予測不能な行動に駆り立てる。
[いいえ、彼女はもう大丈夫です]
[着陸船の故障についても、真の原因はまだわかっていないのでは]
疑う声は乗組員の間からも上がっていた。
他の2人を道連れにして、自らの命を犠牲にしようとしているのではないか。
中佐は理沙に、不測の事態に備え、操縦を担当するメリッサに少しでも不穏な行動があった場合には、
操縦をリモートに切り替える事ができるようにと、指示をした。
[非常時に備えた準備も完了しています。手は打ちました]


その後も時は淡々と進み、30分前には原子力ラムジェット機は「エンデヴァー」から切り離され、
50メートルほど離れた場所から、出発の時を待っていた。
「外は少々風が出てきましたが、出発には影響ありません」と、メリッサ。
着陸船のモニター映像を見ると、空には少し厚い雲が流れていて上空の視界を遮っていた。
隣のナビゲーション表示の画面を見て、位置情報を確認する。
着陸船を見失ってはいなかった。
「理沙」
どうかしたの、と理沙はプライベートでの会話のように返事をした。
「特に思いついた事はないんだけど」
機器のチェックをしているような素振りをしながら、彼女のひとことひとことに理沙は注意を払う。
「今まで、ありかとうね」
視界の隅で、船長がこちらに振り向いたのがわかった。
理沙は、彼女に話しかけようとしてる船長の事を、丁重に手で制止した。
「この前話した例の件の続き、戻ったらお話ししようか?」
メリッサはしばらく考えているように見えたが、
やがて目元に笑みを浮かべた。
「いいね、聞きたいな」
理沙は船長の方を振り向いて、指でOKサインをした。
「それじゃ、戻ったら話そうね」


*     *     *     *

そのあとも事は淡々と進んだ。
秒読みが5分前から始まり、その間も着陸船の3人の様子を理沙は注視していたが、何も起こらなかった。
そして、カウントゼロ。原子力ラムジェット機はタイタンに向けて出発した。
「これより救助に向かいます。3人は席で大人しくして待っていてください」



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