決意
奇跡的に3人が「エンデヴァー」に帰還し、不可能と思われた救助作戦が成功したことはニュースとなり、
船長や乗組員には救出作業時のエピソードについて、インタビューが行われた。
しかし、1か月が経過し、2か月、3か月を過ぎる頃になると乗組員の事がニュースに取り上げられることは激減した。
木星での調査を早々に切り上げたことの反省から、土星では予定通りの調査を行い、
後回しになっていた木星での調査データの整理等、乗組員にはやる事が山ほどあり、
地上からの報道関係者からのインタビューが激減したことは、かえって幸いな事となった。
地上では、相変わらずのように超大国同志の対立がおさまらず、
中国ととりまく各国の間での不穏な行動、中国国内での局地戦、デモ行動についての情報が世界を飛び交っていた。
中国の探査船は、「エンデヴァー」に先だって地球へ向けて出発した。
出発前に、中国の乗組員との間でのエールの交換、互いの無事を祈る交信が行われ、
地球へと向かうところを、離れたところから見守った。
[私たちは、再び木星、土星に戻り開発の礎を築く]
彼らは出発前に公式に宣言をしたが、果たしてその公約は守られるのだろうかと「エンデヴァー」乗組員は皆疑問に思った。
救出作戦から5か月が経ち、予定した調査は完了し、リモートから引き続き調査をするための機器類の設置も完了。
将来の開発の礎としての灯台衛星の設置も完了したので、地球帰還のための準備が始まった。
帰還を前にして、乗組員の最大の関心は、
救出が完了し、船に戻った時の船長とメリッサの熱いハグの意味は何だったのだろうか?という事だった。
抱き合っている間2人は無言だったが、
その異様なほど長い時間のハグに、見ている皆は唖然とし、
しかし、まわりの空気に気づいた2人は、その後まるで何事もなかったかのように振舞った。
そして5か月の間、2人の間には目立って何事もなかった。
理沙はメリッサといつもと変わらないように接していたが、
心の底では、いったいこの先どう思っているのだろうかと尋ねたい気持ちにもなったが、敢えて聞かないことにした。
おそらく、どこかのタイミングで言うつもりなのだろうと理沙は思った。
出発を明日にひかえて船長は皆を食堂に集めた。
* * * *
「いよいよ、明日地球へと帰還する」
船長は今までを振り返り、淡々と話を始めた。
「世間から非常に期待される反面、上層部からは様々なプレッシャーあり、時々刻々変わる世界情勢に振り回されて、
時には、非常に無理難題を言ってしまった事も多々あり、大変申し訳なかったと思っています。
特に、地球出発直前に要員交代が発生し、気心もまだ知れない状態の中で、職務をしっかりと果たしてくれた、
理沙、あなたには特に感謝しています。ありがとう」
ばらばらな拍手があり、皆が理沙に注目した。
小さく頭を下げた理沙、引き続き船長は理沙に感謝の言葉を述べた。
「軍人の立場で、いろいろと気まずいことも様々あった事と思います。
私もかつて軍で潜水艦の艦長を勤めていたこともあり、このようなミッションの中での立ち位置の苦労はあったと思います。
時には毅然とした態度も必要で、衝突もありました。この狭い船内に争いを持ち込むのは好ましい事ではないですが、
あなたの毅然とした態度が、結果として皆の気持ちを一つにしました」
しかし、単に任務のためにやった事、当たり前にやるべき事。
理沙の頭の中にはいつもその事しかなかった。
結果としてミッションは成功したものの、もし乗組員の間での意見が決裂して、分断が生じてしまったらどうなっていたのか。
想像するだけでも恐ろしいものがあった。
やはり、船長は器の大きな人物だと、理沙は改めて思った。
「皆が心を一つにしたからこそ、不可能を可能にした。タイタンからの救助作戦の際にも、本当に成功できるのだろうか、
地上のスタッフたちがシミュレーションして、できると頭では分かっていても、
何か見落としやアクシデントがあれば、3人は助からなかったかもしれない。そんな思いがいつも頭の片隅にありました。
無事に3人がハッチから出てきて、ああ本当によかった、皆が生きて帰還してよかったと思いました」
部屋の中はいつの間にかしんと静まり返っていた。
しかし、どこからか鼻をすする音がしたので、何気なく目を向けると、何人かの目がうるんでいるように見えた。
そんな雰囲気を察知してか、船長は、
「地球に帰還して、おそらくこの12人のチームは解散することになるかと思います。
でも、この12人が再び集まれば、また何か大きなことができるのではないかと私は思っています。
木星の資源開発が、本格的に始まるのか、いつになったら始まるのかわかりません。
もしかしたら政治的な騒乱の中で、何もかもが木端微塵になることもあるでしょう。
もしそうなったとしても、この12人で再び何かを成し遂げたい。
今日この場で何を話すべきか、いろいろと考えたのですが、一つ、以前から思っていたことがありました」
しばらくの間があり、船長は皆の事を見渡すと、言った。
「自分なりに、この先やってみる目標を持とうと思いました。
不可能だからこそやってみるのだ、というかつてのケネディ大統領の言葉の通り、不可能と思える目標を持ちました。
合衆国大統領になりたいと思っています。そして自分の手で木星開発を推進できる立場になりたい」
再びばらばらな拍手、理沙も遅れて拍手した。
船長は、まるで大統領選で勝利したかのような、両手を上げたポーズをとって見せた。
「まぁ、今言ってみたところで、世間の笑いものになるだけなのかもしれませんが、
先ほども言ったように、この12人で不可能なことを実現したいと思っています。もしその時が来たら力を貸して欲しい」
今度はばらばらな歓声があがった。そして笑い声。
しかし、先ほどまでの湿っぽい雰囲気はもうなかった。
理沙には船長の背後に後光が差しているかのように見えた。
船長は、向かって右側に立っているメリッサに目を向けた。
「そして、メリッサ、私のファーストレディーになって欲しい」
一瞬の静けさ。
皆の視線がメリッサに集まった。
船長は彼女からの返事を待っていた。
やがてメリッサは小さく頷き、ようやく聞こえるほどの小さな声ではいと言った。
全員からの拍手、そして歓声。
メリッサは船長のもとへと近づいてゆき、2人はしっかりと抱き合った。
ああ、いい眺めだな、と理沙は思った。
狭い船内のことだから、どんな些細なことでもすぐに広まってしまうことを、2人はお互いによくわかっていたはずで、
お互いに仕事に集中しながらも、思いを募らせていたのだろうと理沙はいつも思っていた。
いつ言おうかとチャンスをうかがっていたのだろう、そして絶好の機会に船長は自分から一歩を踏み出した。
過去は変えられない。
壮絶な過去の記憶にメリッサはいつも苦しめられ、その記憶を忘れるために仕事に集中した。
「エンデヴァー」の乗組員に選ばれ、木星・土星の探査に命を捧げる事で過去の記憶を忘れようとしたものの、
タイタンでの瀕死の事故は、過去の悲劇的な事故を思い起こさせ、一時は生きる希望を失いそうにもなった。
船長はそんなメリッサのことを理解し、生き続ける強い気持ちを持たせるために、救出ミッションに全力を注いだ。
まだこの先、2人には乗り越えなくてはならない障害があるかもしれない。
とはいえ、今日2人は第一歩を踏み出したのだった。
* * * *
翌日、「エンデヴァー」は地球に向けて出発した。
前日の中佐への定例報告の中で、理沙は船長のスピーチの件について触れ、
もうメリッサについての観察は必要ない事、そして非公式ではあるものの船長のメリッサへのプロポーズの事に触れた。
中佐からは、政情不安定な中国の内部情報や、中国の今後の宇宙開発計画の事、
また、暴走する中国の政治体制が、いつ何時世界全体を巻き込むことになるかもしれないといったきな臭い話があった。
自分たちが地球に帰還したとき、果たして世界は存続しているのだろうか、
「エンデヴァー」の探査計画が、今後の木星開発、核融合エネルギーの実用化に役に立つ日が来るのだろうかと、
疑問に思うことは多々あった。しかし、やらねばいけない早急な課題でもあった。
「エンデヴァー」は、そんな未知の世界に向けて、第一歩を踏み出した。